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テーマに関する論文

西洋と中東
―― 近代化と文明の受容

1997年6月号

バーナード・ルイス プリンストン大学名誉教授

近代性とはそれぞれの時代における力強くて支配的な文明の規範や基準にほかならない。そして支配的な文明の受容をつうじた近代化は、戦場における西洋の軍事技術の優位に注目したイスラム世界の指導者たちがそれを導入したように、多くの場合切実な必要性によって導かれ、やがてさまざまな領域へと広がりをみせていく。ここで常に問題とされるのは支配的な文明の規範や基準にほかならない近代性が、それを導入する側の文化や文明にどのような影響を与えるかである。「近代化と西洋化」をめぐる長期にわたる議論は、「自らの固有の文明を汚さずにいかに近代化をはかるか」という、文明の「受容と拒絶」をめぐる判断についての議論にほかならない。だが、同時代における議論は、近代性が「それに先立つ文明の遺産を継承した」現代文明の規範・基準であることをとかく忘れがちだ。かつてはイスラムがそれを定義づけ、現在は西洋が、そしていずれ過去の諸文明の上に成り立つ西洋文明の遺産を継承するまだ見ぬ文明がそれを規定することになるだろう。

朝鮮半島の統一を急げ

1997年5月号

ニコラス・エバースタット  アメリカン・エンタープライズ研究所・研究員

韓国を含む、北東アジア地域に利害を有する関係諸国は、様々な経済、安全保障上の理由から、朝鮮半島の統一プロセスは、かなりの長期的視野にたった段階的なものであるほうが好ましいと考えている。だが、統一の時期が先送りされればその分、韓国をはじめとする関係諸国が担わなければならない経済、安全保障上の潜在的コストは高くなる。なぜなら「今後時とともに、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)が経済的にはより貧しく、軍事的にはより危険な存在」になっていくのはほぼ間違いないからだ。中国とロシアの意向を配慮しつつも、早期統一を目的とする準備を韓国、アメリカ、日本という旧西側同盟諸国のイニシアティブによって即座に開始すべきである。「段階的で秩序立った分断朝鮮の幕引きという楽観的なビジョンは、今日の現実からすれば幻想にすぎない」

「中国脅威論」に惑わされるな

1997年5月号

ロバート・ロス  ボストン・カレッジ政治学教授

現在の対中アプローチをめぐるさまざまな議論は、「過大評価された中国の戦略的能力」を前提として受け入れたうえで、中国側のさまざまな「意図」や目的を憶測し、それへの対応策を主張している点で、危険きわまりない。というのも、中国の軍事能力は実際にはいわれるほど強大ではなく、であればこそ、現在中国は穏健路線をとっているからだ。米国とアジアの同盟諸国にとっての東アジアにおける死活的な利益とは、「安定した地域的勢力均衡」を維持することにあり、また中国にとっても、国内資源を経済的基盤に重点的に振り向けるのを可能とする「現状」の維持は利益なのだ。われわれの政策の目標は、中国との共通利益に注目し、彼らが「地域的な安定のなかに見いだす利益をより堅固なものにすることで、グローバル秩序の安定に向けた中国側のコミットメントをいっそう強化すること」でなければならない。闇雲な中国脅威論は、懸念される事態を現実へと導く悪しき処方箋にすぎない。

台頭するヨーロッパの地域主義

1997年4月号

ジョン・ニューハウス  米国務省顧問

EU統合の力学の一方で、ヨーロッパでは経済成長を共通目的とする国境を超えた都市や地域間のつながりが、ある時は自然発生的に、またある時は意図的に形成されつつある。鍵を握るのは、シュツットガルト、バルセロナ、リヨン、ミラノの周辺地域、言い換えれば、ドイツのバーデン・ビュルデンブルグ、スペインのカタルーニャ、フランスのローヌアルプ、イタリアのロンバルディアの各地方が中核となってつくりだしている二つの「スーパー・リジョン〈スーパー地域〉」である。EU、国民国家、地域主義という、相互に関連しながらもそれぞれに異なる三つの潮流の離合集散は、ヨーロッパ、そして世界の経済・政治秩序にどのような影響を与えるのだろうか? 国民国家は、地域主義と超国家主義の力学の前に崩壊してしまうのか?

エリツィン後のロシア?

1997年4月号

デビッド・レムニック  前ワシントン・ポスト紙モスクワ特派員

ボリス・エリツィンの存在はいまやさまざまな「公約の破綻を具現するシンボル」にさえなっている。一九九一年の勝利が自由民主主義者たちによる堂々たる勝利だったとすれば、九六年のエリツィンの勝利は、寡頭政治階級の台頭に特徴づけられる。こうしたなか、エリツィンの心臓の具合や後継者をめぐる政治抗争によってモスクワが揺れ動いているのは事実だが、ロシアが共産主義という過去への逆コースを歩むことはありえない。現在のロシアは地域的・政治的により多元化し、民衆が過去への回帰を明確に拒絶し、しかも、今後ロシア経済が発展していく可能性が高いからだ。事実、二〇二〇年までにロシア経済は「中国経済とともに、ポーランド、ハンガリー、ブラジル、メキシコをはるか遠くに引き離して」追い抜いているだろうと予測する専門家もいる。「世界の一員としてのロシア」の新時代はすでに始まっている。

日本経済再生の鍵を握る「コーポレート・ジャパン」

1997年4月号

マイケル・ハーシュ 『ニューズウィーク』誌国際版ビジネスエディター  E・キース・ヘンリー MITシニア・リサーチ・アソシエート

海外投資の増大と国内投資の低迷という日本における現象の一部は、グローバル・マーケットの強い求心力、さらには、円高と日本経済の成熟への対応として純粋に経済学で説明できるものだ。だが、この現実は一方で、企業側の日本政府に対する鋭い批判でもある。というのも、現在日本企業が海外へと出ていくのは、もはや神通力を失った自国の硬直的な経済システムから脱出するためにほかならないからだ。グローバル市場の力学を見極め、自ら「日本株式会社」の遺産を放棄したこれら日本の「マルチナショナル企業」は、世界的に見事な成功を収めている。この事実は、「日本がついに国際的な没価値状況を脱し、世界の一部となりつつあること」、そして、日本のマルチナショナル企業がその先鞭を付けていることを意味する。「日本株式会社」ではなく、グローバル市場の力学に応じて企業形態やトランスナショナルな提携関係を構築する能力をもつ企業が、日本経済の今後の牽引車役を果たしていくだろう。

日本再生の鍵を握る「コーポレート・ジャパン」

1997年4月号

マイケル・ハーシュ 『ニューズウィーク』誌国際版 ビジネスエディター(論文発表当時)
E・キース・ヘンリー MITシニア・リサーチ・アソシエート (論文発表当時)

外国への投資が増大する一方で、国内投資が低迷するという日本における現象の一部は、グローバルマーケットの強い求心力、そして、円高と成熟した日本経済への企業の対応として純粋に経済理論で説明できる。だが、この現象は一方で、企業側の日本政府に対する鋭い批判でもある。日本企業が外国への投資を増やし、進出しているのは、もはや神通力を失った硬直的な日本の経済システムから脱出するためにほかならない。グローバル市場の力学を見極め、自ら「日本株式会社」の遺産を放棄したこれら日本の「マルチナショナル企業」は、世界市場で見事な成功を収めている。この事実は、「日本がついに国際的な没価値状況を脱し、世界の一部となりつつあること」、そして、日本のマルチナショナル企業がその先鞭をつけていることを意味する。「日本株式会社」ではなく、グローバル市場の力学に応じて企業形態やトランスナショナルな提携関係を再編し、構築する能力をもつ、こうした企業が、日本経済の今後の牽引役を果たしていくことになるだろう。

<レビュー・エッセイ> 外交問題評議会を支えた精神

1997年3月号

デイビッド・ヘンドリクソン  コロラド大学政治学教授

外交問題評議会は、『フォーリン・アフェアーズ』誌やその研究プログラムをつうじて、「学者たちを自らの狭い専門領域から解き放ち、ビジネスマン、弁護士、金融家により大きな眺望を与えることで(異業種、専門の異なる人々)のパートナーシップを形成し、・・・相互の洞察をたかめ、世論を啓蒙し、そして政府に警告を発し、啓発してきた」。いわゆる公益というものは「周到な分析と開放的な議論によって最大限に実現されることを謙虚に心しながら、多種多様な知性を動員して、急を要する国際問題に取り組むという点で外交問題評議会は最善の存在」だったし、これこそ評議会を傑出した存在としたクォリティなのである。

<レビュー・エッセー> ユーロペシミズムへの回帰?

1997年3月号

スタンレー・ホフマン ハーバード大学教授

「EUを、ヨーロッパ大陸を苛んでいるすべての問題に対する解決策とみなしている者は誰もいないが、それでもそれが主要な問題のいくつかの解決策であることに変わりはない。多くはヘルムート・コール、ジョン・メージャー、アラン・ジュペ、ジャック・サンテール(現欧州委員会委員長)の後に、どのような人物がリーダーシップを発揮するかにかかっている。・・・結局のところ歴史のコースに影響を与え得るのはリーダーシップと状況の推移なのである」

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