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論文データベース(最新論文順)

グローバル化と新たな統治システム

1998年2月号

ウォルフガング・H・ライニッケ ブルッキングス研究所上席研究員

相互依存とグローバリゼーションはまったく異なる。相互依存が、国家を単位とする国際システムにおける依存関係の「量的拡大」であるのに対して、グローバリズムは「おそらくは国民国家の終焉へとつながりかねない国際システムの抜本的な質的変化」だからである。そして、グローバリゼーションが状況を規定しているのはもっぱら先進工業世界においてで、その内実は、企業内、企業間ネットワークの著しい拡大に特徴づけられる。一方で途上世界がその波から取り残され、いまだ相互依存の関係にあることを忘れてはならない。こうしたなか、IMFや世銀のようなそもそも相互依存に対応するために組織された機構に役割の調整が求められるのは当然として、どうすれば、「民主社会の統治原理」を損なわずにグローバリゼーションから国家主権を守ろうとする試み、保護主義、ナショナリズム、領土紛争などが引き起こす多様な危機に対応できるだろうか。「IMFのような相互依存型の機構と、各国の規制当局者が一堂に集うジョイント・フォーラムといったグローバリゼーション対応型のレジームが、よりいっそう緊密に協力すべきであるのは間違いなく」、これに民間企業も巻き込んだ統治ネットワークの形成が急務である。

EMUと国際紛争

1998年2月号

マーチン・フェルドシュタイン  ハーバード大学経済学教授

「ヨーロッパ内で戦争が起きるというシナリオ自体忌むべきものだが、それでも、まったくありえないとは断言できない」。EMU(欧州経済通貨同盟)と欧州政治統合がその帰結として伴う紛争の危険は、無視するにはあまりに真実味を帯びているのだ。金融政策の舵取りをひとり欧州中央銀行に任せれば、失業、インフレなどの面でそれぞれに異なる状況にある諸国に単一の政策が採られるようになり、各国の政府がこれにあまねく満足することはありえず、大きな紛争の種になるだろう。実際、経済政策をめぐる対立や国家主権への干渉が、歴史、民族、宗教に根ざす長期に及ぶ敵対感情を増幅しかねない。問題はそれだけではない。ソ連の脅威が明らかに消滅した以上、ヨーロッパと米国の外交、経済、安全保障上の立場の違いがいずれ表面化するのは不可避であり、より堅固な政治統合を導くようなEMUの発足はこうした傾向を間違いなく加速することになるだろう。

それでもアジア経済は甦る

1998年2月号

スティーヴン・ラデレット (ハーバード大学国際開発研究所研究員) ジェフリー・サックス (ハーバード大学経済学教授)

「東南アジアの通貨危機はアジアの成長の終焉を示す兆候ではない」。通貨危機が適正に処理されれば、「アジア経済は二、三年のうちに再び高い成長率を取り戻すはずだ」。後発経済を先進諸国の成長のエンジンと連動させるために、多国籍企業の生産ラインとその技術を後発経済に取り込むことに見事に成功したからこそ、アジアは驚くべき経済成長を実現できた。アジアが、「制度・機構面での大きな制約(ゆえにではなく、)制約にもかかわらず、急速な成長を遂げた」ことを忘れてはならない。逆に言えば、アジア地域が直面する共通の一般的課題は金融統治(監督)システムの創設、そして、洗練された高所得国にふさわしい……法システムの導入なのである。「資本主義の諸制度を経済の急速なキャッチアップ・プロセスのための有効な手段にできることを証明してきた」アジアが、今後これらの課題に取り組んでいけば、西洋で誕生した資本主義システムのグローバルな有効性を実証しつつ、「二十一世紀初頭には世界の経済活動の中心地として再興隆しているだろう」

漂流するヨーロッパ

1998年2月号

デビッド・カレオ  ジョンズ・ホプキンス大学教授

ヨーロッパは、冷戦構造に替わる新たな統合原理をいまだに見いだしていない。そのような原理は本来連邦主義だったはずだが、今日のヨーロッパは、各国がいがみ合い、経済的困難が増している状態にあり、「共同の政策決定が可能な政治的統一体」にはどうやらなりそうにもない、と著者は言う。だが、実際には中央集権的ヨーロッパが現実的な選択肢となったことは一度もなく、それが達成されなかったとしても失敗とみなすべきではない。それぞれ独立を維持することを堅く決意しつつも、政策面で協力せざるをえない独仏関係を中心とするヨーロッパ合衆国。これこそ、今後長期的にみたヨーロッパの現実の姿なのだ。経済通貨同盟への道が平坦でないのはたしかだが、ヨーロッパ諸国はこの実現に向けて誠実に努力し、EU拡大の道をいずれ見いだすだろう。

だれが日本の方向性を決めているのか?

1998年1月号

ニコラス・クリストフ 『ニューヨーク・タイムズ』紙東京支局長

 「他の諸国のいかなるリーダーと比べても、日本の指導たちが自分から行動を起こすことはまれで、彼らはむしろ状況への対応に終始する」。一般にこの国の首相は、「官僚、ビジネス界の指導者、メディア、そして、国民のコンセンサス志向によって牽制されている」。国家的な課題が、往々にして世論に影響を与えるような予期せぬ事件によって形づくられるために、政治家の選択肢もおのずと制約されてしまうのだ。事実、戦後日本を形づくった主要な力学は、政治や政治指導者の手腕によるのではなく、「経済ブーム、都市化、人口構成の変化、女性の地位の変化など」がつくりだしたものだった。冷戦時代のソビエトならともかく、この国を「政治学」で分析しても、力学の片方を理解したことを意味するにすぎない。

ロシアはいまだに敵なのか

1998年1月号

リチャード・パイプス  ハーバード大学名誉教授

なんじの友人をいつの日にかなんじの敵になる者として、またなんじの敵をいつの日にかなんじの友人となる者の如く扱え。
デキムス・ラベリウス 紀元前一世紀

ロシアはいまだにわれわれの敵だろうか。目下のところそうではないし、そうであるべきでもない。だがモスクワの指導者たち、それも権力と影響力ばかりを気にかける古いタイプの指導者が、国民の政治的経験のなさと偏見を利用して、それ自体は何の意味もない広大な領土や、自分たちでは開発できない莫大な鉱物資源、そして使うこともできない巨大な核の兵器庫といったもの以外には、およそ手に入れることのできない幻の栄光を再び求めるとすれば、ロシアが敵となる可能性は十分にある。ロシアの指導者たちが再び孤立とスタンドプレーによって直面している困難から逃れようとするなら、ロシアはまたわれわれの敵となりうる。

市民的自由なき民主主義の台頭

1998年1月号

ファリード・ザカリア/フォーリン・アフェアーズ誌副編集長

いまや尊重に値するような民主主義に代わる選択肢は存在しない。民主主義は近代性の流行りの装いであり、二十一世紀における統治上の問題は民主主義内部の問題になる公算が高い。目下、台頭しつつある市民的な自由、つまり人権や法治主義を尊重しない非自由主義的な民主主義が勢いをもつようになれば、自由主義的民主主義の信頼性を淘汰し、民主的な統治の将来に暗雲をなげかけることになるだろう。選挙を実施すること自体が重要なのではない。選挙を経て選出された政府が法を守り、市民的自由を尊重するかどうか、市民が幸福に暮らせるかどうかが重要なのだ。行く手には、立憲自由主義を復活させるという知的作業が待ちかまえていることを忘れてはならない。もし民主主義が自由と法律を保護できないのであれば、民主主義自体はほんの慰めにすぎないのだから。

地球温暖化対策の盲点

1998年1月号

トマス・シェリング メリーランド大学経済学教授

途上国だけでなく、先進国も温暖化に派生するさまざまな問題を抱え込む。気候の変動が急激に進めば、(それによって引き起こされる)もっとも劇的な問題は、寄生虫性、熱帯性の病気の蔓延だろう。気温と湿度の上昇はマラリア蚊の生息や河川に影響を与え、住血吸虫病、デング熱、幼児性下痢を流行させ、これらは、先進諸国の人々が懸念している放射性物質、化学的有毒物質を上回る脅威になるだろう。

外交官なき外交の時代

1997年12月

ジョージ・ケナン

政治権力の分散化、利益の多様化は、外交組織にも大きな衝撃を与えている。いまや、国務省を迂回して国際交渉がなされることも珍しくなく、かつては国務省の人間とわずかばかりの武官だけがいた海外の大使館でも、国務省の職員や外交官はむしろ少数派である。さらに、州や利益団体までもが海外にオフィスをもち、多国間交渉の場には、相手国の立場や意向すらわきまえていない国務省とは無関係の代理人が送り込まれることも多い。だが、これは急速に変貌する社会や経済の反映であり、むしろ問題は、国家を代弁するのとは異なる次元で活動する多種多様な単位が登場したり、本来国家とは呼びえない資質しかもたない政治単位が国家として対外的に活動していることだ。この外交の混乱をうまく整理し、それぞれに適切な役回りを与えるルールを確立させることこそ急務であろう。

トランスガバメンタリズム

1997年12月号

アン=マリー・スローター/ハーバード大学法律大学院教授

情報革命とグローバル経済の進展によって、いまや一国では対処できないテロリズム、組織犯罪、環境悪化、マネーロンダリング、金融問題がわれわれの目の前にある。現状を前に、国際主義者は多国間機構の強化を唱え、一方保守派はそれは主権の喪失につながると反対する。だが、各国の司法、立法、行政といった政府機関が、それぞれ独自に国家を越えた横断的なネットワークを形成すれば、共通の課題に取り組めるようになるはずである。この動きの好例がバーゼル委員会、そして証券監督者国際機構の設立といえよう。現下の国際問題はそのトランスナショナルな性格ゆえに、「各国の政府機構間の国境を越えたつながりを育み、その維持を必然としているのだ」。現実にもっともうまく対応できるのは、単独の国家でも、多国間機構でもなく、むしろ複数の国家の政府機構間の横断的なつながり、つまり「トランスガバメンタリズム」なのである。

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