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論文データベース(最新論文順)

中央アジアを揺るがすタリバーンの正体

1999年12月号

アハメド・ラシッド/「ファーイースタン・エコノミックレヴュー」誌記者

アフガニスタンの平和の実現を助けずして、中央アジアの広大な石油・天然ガス資源を安全に開発できると考えるのは、非現実的である。タリバーンが牛耳るアフガニスタンは、今やパキスタン、イラン、中央アジア諸国、イスラム教徒の多い中国の新疆ウイグル自治区の反政府イスラム勢力が安心して逃げ込める「聖域」となっているだけでなく、軍事訓練の拠点と化している。実際、タリバーンと協力して現在アフガニスタンで戦っている数千のイスラム原理主義者たちは、いつか祖国の政権を倒し、世界各地でタリバーン流イスラム革命を起こすつもりなのだ。しかも、アフガニスタンは今や世界最大のアヘン生産国で、この犯罪経済に周辺諸国が巻き込まれつつある。タリバーンが支配するアフガニスタンから、暴力、麻薬、カオス、テロリズムが周辺地域へと拡散するのを放置すれば、いずれわれわれは途方もないコストを支払わされることになる。

ヨーロッパの壮大なる駆け引き

1999年11月号

パトリック ・マッカーシー  ジョンズ・ホプキンズ大学教授

国が主権を超国家機関へ委譲する動機は一体何だろうか、そして、ヨーロッパ十一カ国はなぜ自国の通貨を捨てユーロ導入を選択したのか。「ヨーロッパ」の今後が先行き不透明であるにせよ、確固たる足取りで経済統合へとすすんでいるのは間違いない。ヨーロッパを統合へと向かわせたのは、国益を重視する冷徹な経済ロジックだったのか、それとも、理念とリーダーシップが、政治、経済、文化、歴史と連動しながら地殻変動をおこしたのだろうか。

国を盗んだロシアのエリート

1999年11月号

アンダース・アスルンド  カーネギー国際平和財団上席研究員

ソビエト崩壊期にすでに巨万の富を手にしていた旧ソビエトの特権階級は、国の崩壊こそ気にかけなかったが、その後、ロシアという新生国家そのものを買収してしまった。規制の悪用、特権的輸出、補助金と、新興成り金たちが国から大金をせしめ、個人の懐に収める機会はいくらでもあった。彼らは数多くの政治家や役人に賄賂をばらまいては富を増やしていくとともに、「自分たちの利益独占状態に終止符が打たれるのを恐れて」、経済成長を促し国民の生活向上につながるはずだったリベラルな経済改革路線を妨害する試みにでた。こうした窃盗行為と無分別な外貨の流入の結果が、一九九八年の金融危機だった。ロシアの問題を市場が自由化されすぎたことに求めるのは、お門違いである。問題は、自由化が進展せず、大きな政府がつくりだす過剰な規制がいまだに存在し、それが汚職の温床となっていることなのだ。経済・金融危機はこうした現実をどのように変えたのだろうか。そうした変化は、ロシア経済と社会を健全化へと導くのだろうか。

国連安保理を機能させるには

1999年11月号

リチャード・バトラー 前UNSCOM委員長

今や世界秩序を脅かしているのは、超大国間のライバル関係ではなく、大量破壊兵器の拡散である。拡散防止を目的とするさまざまな条約も存在するが、問題は条約違反が発覚したときに、実質的な条約の管理主体である国連安全保障理事会が効果的に対応できるような環境があるかどうかだ。国際的平和や安全保障のためではなく、国益絡みで拒否権が行使されたり、拒否権を盾にした恫喝策がとられることも珍しくない。こうした安保理の政策決定メカニズムは、毅然たる強制措置をとるには決してふさわしくない。常任理事国に認められた拒否権は本質的に特権であり、特権を維持するには、それを責任ある形で行使しなければならないことを常任理事国は銘記すべきであろう。世界秩序にとっての最大の脅威である大量破壊兵器の拡散を阻止するためにも、拒否権をめぐる新たなルールの導入が急務である。

国家主権を考える
――リアリスト批判の立場から

1999年11月号

ジョセフ・ジョッフェ  南ドイツ新聞・論説ページ編集者

主権には様々な意味があり、定義も一律ではない。事実、「国内主権」がある程度確立されているといっても、国の対外的主権となると、そう話は簡単ではない。国は資源、支援、あるいは安全を他国に依存しており、たとえ強制されなくても条約、合意、(国際)機関への参加という形で、自らの権限をそれこそ数限りなく妥協させているからである。当然、国家の主権を絶対視して、各国をビリヤードの玉に見立てた国際関係理論では世界で何が起きているかを的確に説明できないし、一方で、グローバリズムなどの、昨今流行の通説でうまく説明できるわけでもない。グローバリズムと国の活動がともに増大しているのが現実だからだ。われわれは、主権をめぐって、概念的に「本来そうあるべきことと現実が違いながらも共存する」世界で暮らしているわけだ。これを認識した上で、主権という概念を再び考えなおし、世界の実像を捉えるべきだし、そのための理論を考えて行くべきだろう。

台湾は主権国家だ

1999年11月号

李 登輝/中華民国総統

「中国という国は、中華人民共和国が自らの存在を宣言した一九四九年に分裂している」。したがって、「台湾の動きが国の分裂を引き起こすことはあり得ず、台湾が独立宣言をすることに中国側が警告を発する必要などない」。そもそも中華民国は一九一二年の建国以来、主権を持つ独立国家だからである。海峡間関係は、いまや「特別な国家間関係」にほかならない。必要とされているのは、台湾は国ではなく、「反抗的な一省」にすぎないとする、中国がふりかざす「虚構」を捨て去り、民主国家としての台湾の「現実」を踏まえた、海峡を隔てた国と国の「平等な立場」に立つ話し合いである。そのためにも、国際コミュニティーと海外のメディアは、これまでの「虚構」に振り回されるのではなく、台湾の「現実」を直視すべきであろう。

地域・文化対立が米外交を引き裂く

1999年11月号

マイケル・リンド 「ハーパーズ・マガジン」ワシントン・エディター

反介入主義と反軍部を旨とするリベラルな北部と、介入主義的で軍に好意的な保守派の南部という対立構図は、米国が誕生して以来のものだ。「南部は、それが何をめぐって、どの国を相手とする戦争であるかなどお構いなく、アメリカの戦争のすべてを支持してきた」。これに対して、北部は一貫して非介入、反軍事路線を崩さなかった。これは、アメリカの内的な地域文化対立である。問題なのは、そうした北部と南部の地域的な下位文化が融合しないどころか、むしろ、民主党、共和党という対立構図と重なり合いつつあることだ。経済ブームがこうした南北間の価値観や利益をめぐる対立を覆い隠す役割を果たしてきたが、ひとたびリセッションが起きたり、新たな安全保障上の脅威が登場すれば、「軍事路線と自由貿易を支持する南部と南西部、そして、反介入主義的で保護主義的な北東部の間」のやっかいな政治対立が先鋭化するに違いなく、その衝撃は同盟関係さえも揺るがしかねない。政党やメディアに、こうした二つの地域文化がバランスよく反映されるシステムを導入しない限り、南北戦争まがいの対立がなくなることは決してありえない。

イギリスの選択

1999年10月号

デヴィッド・フロムキン  ボストン大学教授

「大陸ヨーロッパ」と「アメリカ」のいずれをパートナーに選ぶかという、古くからの命題にイギリスはどのような答えを出しつつあるのだろうか。「イギリスは欧州共同体、英連邦および大英帝国、そしてアメリカ(英米関係)という三つの輪の中で中心的役割を果たすべきである」。このチャーチルの遠大な戦後ビジョンは、半世紀の歴史を経て、どのような現実に遭遇しているのだろうか。ブレアの登場とともにイギリスは純然たるヨーロッパの一部になってしまうのか、それとも大陸ヨーロッパの統合運動に参加しつつ、英米関係を温存していくのだろうか。

第三の道は権威主義への道

1999年10月号

ラルフ・ダーレンドルフ  英国貴族院議員・社会学者

グローバル経済、トランスナショナルな政治、情報化時代という環境下での福祉国家体制の破綻、思想パラダイムの混乱というヨーロッパの現実を前に、イギリスのトニー・ブレア首相は右派・左派を超えた「第三の道」を標榜している。ブレア首相によれば、第三の道とは「国がすべてを管理する社会主義でも、全てを放任する自由主義でもなく、現代的社会民主主義である」。このブレアの「第三の道」はドイツのゲハルト・シュレーダー首相の新路線とも共通基盤を見いだしつつあり、この六月には連名で、社会保障負担が経済競争力を妨げてはならないという趣旨の声明文書も発表された。「リスクと社会保障の間の新たなバランス」の形成を模索する第三の道はヨーロッパの政治理念と制度を変える起爆剤になるのだろうか。著者のダーレンドルフ卿は、第三の道が内包する権威主義的要素が伴う危険を排除するためにも、冷戦を経て世界が勝ち取った「自由」の概念を中核に据えた政治プログラムを開始すべきだと提案する。

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