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中東に関する論文

破綻国家へと向かうイエメン
―― イエメンにおけるサウジの挫折

2015年6月号

ファリア・アル・ムスリム
カーネギー中東センター客員研究員

空爆では何も解決しない。国際コミュニティと地域諸国がイエメンを救うためのコミットメントを示さない限り、この国はシリア、リビア、イラクのような混乱、あるいはそれ以上のカオスに陥り、これら3カ国の問題が重なり合う無残な空間と化すかもしれない。イエメンに介入せざるを得なくなったこと自体、・・・サウジの失敗を物語っている。アラブ世界でもっとも豊かな国がアラブ世界の最貧国の政治ダイナミクスを変えるために空爆を実施せざるを得なくなった。現在の危機は、この数年にわたって地域諸国がイエメンの混乱に傍観を決め込んだことによって直接的に引き起こされている。仮にフーシ派を抑え込めたとしても、劣悪な生活レベル、少数派の政治的周辺化、弱体な政府といった紛争の根本要因は残存する。すでに1000人のイエメン人が空爆の犠牲になり、数千人が負傷し、数十万人が難民化している。

イラン核合意と北朝鮮の教訓
―― 合意を政治的に進化させるには

2015年5月号

ジョン・デルーリー 延世大学准教授

イランとの核合意にとって、北朝鮮への核外交が失敗したことの中核的教訓とは何か。それは、最善の取引を交わしたとしても、合意そのものは外交ドラマのプレリュードにすぎないということだ。テヘランが平壌と同じ道を歩むのを阻むには、今後、テヘランがこれまでとは抜本的に異なる新しいアメリカや地域諸国との関係、国際コミュニティとの関係を築いていけるようにしなければならない。アメリカは北朝鮮との核合意を結びながらも、政治的理由から合意を適切に履行せず、結局、北朝鮮は核開発の道を歩み、核保有を宣言した。米議会からリヤド、エルサレムにいたるまで、イランとの核合意に反対する勢力がすでに動きだしている。相手国との関係の正常化こそが、核開発の凍結を実現する最善の方法であることを忘れてはならない。そうできなかったことが北朝鮮外交失敗の本質であり、この教訓をイランとの外交交渉に生かしていく必要がある。

トルコのサウジ接近と対イラン関係
―― トルコの真意、サウジの思惑

2015年5月号

アーロン・ステイン 英王立統合軍防衛安全保障問題研究所アソシエートフェロー

サウジは、(イランが支援していると言われる)イエメンのシーア派武装集団フーシ派に対する空爆を実施し、サウジと同じスンニ派のトルコは、サウジの空爆を支持すると最近表明した。それでも、トルコがサウジの地域的な野心のために、イランとの関係を犠牲にするとは考えにくい。トルコは中東におけるイランの大きな役割を事実上受け入れ、これに挑戦しようとは考えていない。トルコは、サウジほどイランの核開発プログラムを警戒していないし、イラン同様にクルド人問題を抱え、イランにエネルギー資源を依存している。一方、(ムスリム同胞団の)政治的イスラム主義をめぐるサウジとトルコの対立は解消していない。イエメン空爆に対するトルコのサウジへの歩み寄りは、戦争が続く中東でトルコがとってきたこれまでのバランス戦術の継続とみなすべきで、抜本的な路線変更ではない。

人道的介入で破綻国家と化したリビア
―― なぜアメリカは判断を間違えたのか

2015年4月号

アラン・J・クーパーマン テキサス大学准教授(政治学)

NATOが軍事介入するまでには、リビア内戦はすでに終わりに近づいていた。しかし、軍事介入で流れは大きく変化した。カダフィ政権が倒れた後も紛争が続き、少なくとも1万人近くが犠牲になった。今から考えれば、オバマ政権のリビア介入は惨めな失敗だった。民主化が進展しなかっただけでなく、リビアは破綻国家と化してしまった。暴力による犠牲者数、人権侵害の件数は数倍に増えた。テロとの戦いを容易にするのではなく、いまやリビアは、アルカイダやイスラム国(ISIS)関連組織の聖域と化している。「もっと全面的に介入すべきだった。社会を再建するためにもっと踏み込んだ関与をすべきだった」とオバマ大統領は語っている。だが、実際には、軍事介入の決定そのものが間違っていた、リビアには軍事介入すべきでなかった。

CFR Interview
内戦への道を歩むイエメン
――シーア派系フーシ派の目的は何か

2015年4月号

エイプリル・ロングレー・アレイ
国際危機グループ

2015年1月、イエメンでイスラム教シーア派系武装勢力「フーシ派」が権力を掌握し、議会を解散して暫定政府の樹立を宣言した。しかし、政治的経験のないフーシ派には、政府を運営し、経済を管理していく力はない。これまでの問題を批判するだけで、統治上の責任はほとんど果たせずにいる。一方でイエメンのスンニ派系テロ集団・アラビア半島のアルカイダ(AQAP)は、紛争を宗派抗争へ持ち込もうと策謀している。実際、フーシ派を侵略者とみなしているイエメン中央部のバイダー県を含む地域では、いまやAQAPに多くの若者が参加しつつある。地方の部族がAQAPと手を組む可能性もある。サウジは、外交的にフーシ派を孤立させ、彼らと軍事的に対立している集団を支援し、フーシ派に明確に敵対する路線をとっている。一方で、危機を緩和させるためにシーア派のイランが前向きな行動をみせるとも考えにくい。いまや宗派を軸とするイエメン内戦のリスクが高まっている。・・・

アサド大統領、シリア紛争を語る

2015年3月号

バッシャール・アサド シリア大統領

そこには二つの反政府武装勢力がいる。多数派はイスラム国とヌスラ戦線・・・。もう一つはオバマが「穏健派の反政府勢力」と呼ぶ集団だ。しかしこの勢力は穏健派の反政府勢力というよりも、反乱勢力だし、その多くがすでにテロ組織に参加している。そしてテロ集団は交渉には関心がなく、自分たちの計画をもっている。一方でシリア軍に帰ってきた兵士たちもいる。・・・紛争は軍事的には決着しない。政治的に決着する。・・・問題はトルコ、サウジ、カタールが依然としてこれらのテロ組織を支援していることだ。これらの国が資金を提供し続ける限り、障害を排除できない。・・・

イスラム国の全貌
―― なぜ対テロ戦略は通用しないか

2015年3月号

オードリー・クルト・クローニン ジョージ・メイソン大学教授(国際安全保障プログラム)

イスラム国はテロ集団の定義では説明できない存在だ。3万の兵士を擁し、イラクとシリアの双方で占領地域を手に入れ、かなりの軍事能力をもっている。コミュニケーションラインを管理し、インフラを建設し、資金調達源をもち、洗練された軍事活動を遂行できる。したがって、これまでの対テロ、対武装集団戦略はイスラム国には通用しない。イスラム国は伝統的な軍隊が主導する純然たる準軍事国家で、20世紀に欧米諸国が考案した中東の政治的国境を消し去り、イスラム世界における唯一の政治、宗教、軍事的権限をもつ主体として自らを位置づけようとしている。必要なのは対テロ戦略でも対武装集団戦略でもない。限定的軍事戦略と広範な外交戦略を組み合わせた「攻撃的な封じ込め戦略」をとる必要がある。

トルコの対シリア戦略とヌスラ戦線
―― なぜトルコはテロ集団を支援するのか

2015年3月号

アーロン・ステイン 英王立防衛安全保障研究所アソシエートフェロー

トルコ政府がシリアのアサド政権へのアプローチをそれまでの関与政策から強硬策へと見直したのは2011年9月。それまで、アサドに対して改革を実施して国内を安定させるように働きかけてきたトルコ政府も、この時期を境に、シリアの独裁者を追放する地域的な試みに積極的に関与するようになった。シリアとの国境地帯に緩衝地帯を設けて、反政府勢力に委ね、自由シリア軍がアサド政権に対抗できるライバル政府を樹立することを期待したが、アメリカと湾岸諸国がこの構想に反対し、計画は頓挫する。こうしてトルコ政府は2012年の晩春以降、アレッポをターゲットにした反政府勢力による攻撃の組織化に乗り出した。自由シリア軍による作戦行動を支援しようと、トルコとカタールは(アサドとの戦いで自由シリア軍と実質的に共闘関係にあった)ヌスラ戦線と直接的に接触するようになった。・・・

サウジの石油戦略シフトとそのリスク
―― 原油低価格戦略にリヤドは耐えられるのか

2015年2月号

ビラル・Y・サーブ  アトランティック・カウンシル シニアフェロー  ロバート・A・マニング   アトランティック・カウンシル シニアフェロー

自信過剰に陥っているとき、あるいは、次第に懸念を募らせつつある時期には、いかなる政府も大きな賭に打って出ることが多い。国内では変革を求める動きかあり、隣接するイエメンでは紛争が起きている。そして、イスラム国がさまざまな問題を作り出している。サウジは必要以上に野心的になっているのかもしれない。緊張と混乱と不確実性が高まっているタイミングで、原油の低価格化を放置して、大胆な地政学的賭けに出ている。リヤドはグローバル市場におけるサウジ原油のシェアを増やそうと考えているのかもしれない。だが、この戦略の最大のリスクは国内にある。原油価格が1バレル55ドル前後で推移すれば、2015年のサウジの歳入から890億ドルが消し飛ぶ。予算の50%に達している社会保障給付や公務員のサラリーが削減されるのは避けられず、これが予期せぬ事態を引き起こす恐れもある。

イスラム国に参加した民主活動家たち
―― シリアで何が起きているのか

2015年2月号

ベラ・ミロノバ メリーランド大学博士課程、ローブナ・ムリエ  シリア人フォトジャーナリスト、リチャード・ニールセン MIT准教授、サム・ウィット ハイポイント大学准教授

バッシャール・アサドの独裁体制を打倒しようと、平和的な反政府運動を組織した若者たちは、アサドの残忍な弾圧を前に自由シリア軍(FSA)に参加して銃をとった。だがその多くは、すでにFSAを後にして、イスラム国やヌスラ戦線などのジハード主義集団に身を投じている。なぜ民主化運動に参加した若者たちが、イスラム過激派のメンバーになってしまったのか。FSAに対する不信、アサド打倒の目的を共有していることなどが、その理由のようだ。実際、いまはイスラム過激派のメンバーとして戦っているものの、彼らの目的は依然として「アサドを倒すこと」にあるようだ。逆に言えば、アサド体制を打倒すれば、彼らは、イスラム主義国家の建設を含む、ジハード主義集団が掲げる広範な目的に背を向けるかもしれない。だが、すでにイスラム過激派はこの問題への対策を取り始めている。・・・

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