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ヨーロッパに関する論文

なぜ旧ユーゴ紛争の火種は消えないか

1998年12月号

ウォーレン・バス 「フォーリン・アフェアーズ」副編集長

事実上のボスニア分割を、名ばかりの単一国家という体裁で取り繕っただけのデイトン合意は、それまでになされた侵略行為、人権弾圧、民族浄化など反民主的、非人間的行為を不問に付すことで成立した「嫌々ながらの妥協」である。合意をとりまとめるためには、リベラルな価値とは正反対のイデオロギーの持ち主であるミロシェビッチやツジマンとの交渉が必要だったため、結果的に彼らの立場を強化してしまった。現在のコソボの流血の惨事も、ミロシェビッチやツジマンの立場を強めてしまったデイトン合意の帰結の一つにすぎない。過去の蛮行に免罪符を与えたかのようなデイトン合意が、ますますセルビア人を民族的排外主義に駆り立ててしまったからだ。ボスニアを含む旧ユーゴの地に、多民族民主主義とコスモポリタンな社会を復活させ、アメリカのリベラル外交の面目を保つには、「戦争裁判の実施、難民の故郷への復帰、(民族的でない)市民的ナショナリズムの価値の再確認」など、デイトン合意に盛り込まれたリベラルな要素を実現していくしかない。

歩き続けるドイツ――ボンからベルリンへ

1998年12月号

クリストフ・ベルトラム  元「ツァイト」編集長

コールからシュレーダーへ。社会民主党、左派政党時代の幕開けが、対仏関係、国内政策、欧州統合にどのような影響を与えるのかは予断を許さない。一方、シュレーダー・ドイツの行く手には「ボンからベルリンへ」の首都移転という一大作業も待ち受けている。ナチス・ドイツが瓦礫とともに崩壊し、西側がスターリンと対決の瀬戸際までいったこの町への首都移転は何を意味するのか。海外の人々の一部は、「よりドイツらしいドイツ」は対外的なスタンスをどこに定めるのか、と懸念している。しかし、新生ベルリンがあくまでボンの遺産のうえに成り立つことを忘れてはならない。ベルリンが拠って立つのは、ボンがこの五十年の間に築き上げた、「ドイツの民主主義と(その前提である)寛容性、連邦制としての自信、国家としての実績」なのだ。ボンでは望みようのなかった何かをこの町が提供できるとすれば、「困惑させるほどに歴史的な町が人に与える興奮」と重厚な政治論争の場であろう。

欧州統合という幻想

1998年7月号

ティモシー・ガートン・アッシュ
オックスフォード大学評議員

統合への道をさらに進めない限りこれまでの試みも失敗に等しい、とヨーロッパの人々が確信しているのなら、それこそこれまでの成果も台なしとなろう。事実、通貨統合への強制的な行進は、われわれが手にしている協調や平和という価値を脅かしつつある。すでにわれわれがヨーロッパの西半分で、リベラルな秩序を確立し、協調、平和、自由という価値を諸制度のなかに織り込むという大きな成果をあげているのを忘れてはならない。欧州連合(EU)、NATO、欧州評議会、全欧安保協力機構などは、そうしたリベラルな秩序を構成する積み石なのだ。拙速に通貨統合を急ぐのではなく、こうした制度に織り込まれた価値をヨーロッパの東側へと広げていくことこそ、グローバル時代、そして二十一世紀に向けたヨーロッパのビジョンとして過不足なくふさわしい。あまりに遠大な目的を性急に実現しようとして危機を招くよりも、まず足元にある成果を広げていくことこそ、現実的方策ではないか。

ロシアこそがユーラシア秩序再生の要

1998年5月号

ヴァレリー・V・ツェプカロ  駐米ベラルーシ大使

現状の分散化・分裂化現象が続く限り、法や正義ではなく、再び利益や力のバランスによってユーラシア秩序を回復せざるを得なくなり、新たな、そして不吉な「歴史の始まり」が導かれるだろう。ユーラシアの分裂状況を放置すれば、中央アジアやコーカサスでの紛争が他の諸国を巻き込み、トルコ、イラン、中国、日本、そして欧米諸国の利益の錯綜や対立がこの大陸をカオスへと突き落としかねない。米国のユーラシアでの影響力には限界がある。秩序再生は、あくまでロシアによる過去と現在を踏まえた新理念の構築にかかっている。

EMUと国際紛争

1998年2月号

マーチン・フェルドシュタイン  ハーバード大学経済学教授

「ヨーロッパ内で戦争が起きるというシナリオ自体忌むべきものだが、それでも、まったくありえないとは断言できない」。EMU(欧州経済通貨同盟)と欧州政治統合がその帰結として伴う紛争の危険は、無視するにはあまりに真実味を帯びているのだ。金融政策の舵取りをひとり欧州中央銀行に任せれば、失業、インフレなどの面でそれぞれに異なる状況にある諸国に単一の政策が採られるようになり、各国の政府がこれにあまねく満足することはありえず、大きな紛争の種になるだろう。実際、経済政策をめぐる対立や国家主権への干渉が、歴史、民族、宗教に根ざす長期に及ぶ敵対感情を増幅しかねない。問題はそれだけではない。ソ連の脅威が明らかに消滅した以上、ヨーロッパと米国の外交、経済、安全保障上の立場の違いがいずれ表面化するのは不可避であり、より堅固な政治統合を導くようなEMUの発足はこうした傾向を間違いなく加速することになるだろう。

漂流するヨーロッパ

1998年2月号

デビッド・カレオ  ジョンズ・ホプキンス大学教授

ヨーロッパは、冷戦構造に替わる新たな統合原理をいまだに見いだしていない。そのような原理は本来連邦主義だったはずだが、今日のヨーロッパは、各国がいがみ合い、経済的困難が増している状態にあり、「共同の政策決定が可能な政治的統一体」にはどうやらなりそうにもない、と著者は言う。だが、実際には中央集権的ヨーロッパが現実的な選択肢となったことは一度もなく、それが達成されなかったとしても失敗とみなすべきではない。それぞれ独立を維持することを堅く決意しつつも、政策面で協力せざるをえない独仏関係を中心とするヨーロッパ合衆国。これこそ、今後長期的にみたヨーロッパの現実の姿なのだ。経済通貨同盟への道が平坦でないのはたしかだが、ヨーロッパ諸国はこの実現に向けて誠実に努力し、EU拡大の道をいずれ見いだすだろう。

市民的自由なき民主主義の台頭

1998年1月号

ファリード・ザカリア/フォーリン・アフェアーズ誌副編集長

いまや尊重に値するような民主主義に代わる選択肢は存在しない。民主主義は近代性の流行りの装いであり、二十一世紀における統治上の問題は民主主義内部の問題になる公算が高い。目下、台頭しつつある市民的な自由、つまり人権や法治主義を尊重しない非自由主義的な民主主義が勢いをもつようになれば、自由主義的民主主義の信頼性を淘汰し、民主的な統治の将来に暗雲をなげかけることになるだろう。選挙を実施すること自体が重要なのではない。選挙を経て選出された政府が法を守り、市民的自由を尊重するかどうか、市民が幸福に暮らせるかどうかが重要なのだ。行く手には、立憲自由主義を復活させるという知的作業が待ちかまえていることを忘れてはならない。もし民主主義が自由と法律を保護できないのであれば、民主主義自体はほんの慰めにすぎないのだから。

ユーラシアの地政学と日米中を考える

1997年11月号

ズビグニュー・ブレジンスキー 戦略問題国際研究所(CSIS)顧問

世界の人口の75パーセント、GNPの60パーセント、エネルギー資源の75パーセントが存在するユーラシア大陸は21世紀の安定の鍵を握る「スーパー・コンチネント」だ。ユーラシアにおけるアメリカの差し迫った課題は、「いかなる単独の国家、あるいは国家連合も、アメリカを放逐したり、その役割を周辺化させたりするような力をもてないようにすることだ。この点でとりわけ重要なのが、NATO、そして、アメリカと中国の関係であり、これを軸に、ロシア、中央アジア、日本との安定的共存を図っていかなければならない。NATO拡大とロシアの関係同様に、アメリカ、日本、中国の戦略関係にも細心の配慮が必要になる。肝に銘じておくべきは「再軍備路線への傾斜であれ、単独での対中共存路線であれ、日本が方向性を誤った場合には、安定した米日中の3国間アレンジメント形成の可能性はついえ去り、アジア・太平洋地域でのアメリカの役割は終わる」ということだ。

戦後復興からEUへの遙かな道

1997年8月号

ヘルムート・シュミット 前西ドイツ首相(一九七四~八二)

ヨーロッパの復興はマーシャル・プランなしではありえず、戦後ドイツは、ECとNATOを中軸とするヨーロッパの諸制度のなかに自らのパワーを織り込むことでヨーロッパの一員となり、米国との関係を深めるとともにフランスとの和解を目指した。だが冷戦が終結し、おそらく米中ロがその中枢を占めるであろう今後のグローバル秩序でのドイツの国益は、これまでのような米国との自動的な協調路線よりも、「EUのいっそうの進展、フランスとの密接な協力関係を中軸とするヨーロッパ統合」によって保障される。われわれを待ち受ける課題が一国家だけで対応できるものでないだけに、政治・経済、金融、国際社会での地位、歴史の教訓などのすべての観点から、ヨーロッパ人はますます「力強くて活力ある欧州連合」を求めている。だが、自立し、連帯を強めるヨーロッパへの米国の懸念は杞憂である。戦後復興も、ヨーロッパの団結と自立の証である欧州連合も、「米国が達成したもっとも偉大な成果の一つであり、それはマーシャル・プランなしには実現しなかった」のだから。

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