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市民的自由なき民主主義の台頭

ファリード・ザカリア/フォーリン・アフェアーズ誌副編集長

The Rise of Illiberal Democracy

ファリード・サガリアは、ハーバード大学の国際問題研究所で「変容する安全保障環境と米国の国益」プロジェクトのディレクターを務めた後、『フォーリン・アフェアーズ』誌の副編集長に就任。『ニューズウィーク』誌のコラムニストも務める。

1998年1月号掲載論文

いまや尊重に値するような民主主義に代わる選択肢は存在しない。民主主義は近代性の流行りの装いであり、二十一世紀における統治上の問題は民主主義内部の問題になる公算が高い。目下、台頭しつつある市民的な自由、つまり人権や法治主義を尊重しない非自由主義的な民主主義が勢いをもつようになれば、自由主義的民主主義の信頼性を淘汰し、民主的な統治の将来に暗雲をなげかけることになるだろう。選挙を実施すること自体が重要なのではない。選挙を経て選出された政府が法を守り、市民的自由を尊重するかどうか、市民が幸福に暮らせるかどうかが重要なのだ。行く手には、立憲自由主義を復活させるという知的作業が待ちかまえていることを忘れてはならない。もし民主主義が自由と法律を保護できないのであれば、民主主義自体はほんの慰めにすぎないのだから。

  • 民主主義と自由主義
  • 自由主義の本質
  • 自由主義的民主主義への道のり
  • 権力と自由
  • 民族紛争と戦争
  • 米国モデルとフランスモデル
  • 自由主義拡大の外交政策
  • 「世界を民主主義にとって安全なものに」

<民主主義と自由主義>

一九九六年九月。ボスニアでの選挙前夜、米国の外交官リチャード・ホルブルックは、この破壊された国家に市民生活を回復することについての一つの問題に思いをめぐらしていた。「選挙は自由で公正に行なわれたと宣言されるだろう。」だがその結果、選出されるのは「(平和や再統合に)公然と異議を唱える人種差別主義者、ファシスト、分離主義者たちで、これこそがジレンマだ」と。事実、この問題は旧ユーゴスラビアにかぎらず、世界全域に拡散しつつある。民主的手続きを経て選出された後しばしば再選され、あるいは国民投票によって信任を再確認される政権が、自らの権力についての憲法上の制限を無視して、市民の基本的人権や自由を剥奪するのはいまや日常的でさえある。ペルーからパレスチナまでの政府当局、シエラレオネからスロバキア、パキスタンからフィリピンにいたるまで、われわれは非自由主義的(イリベラル)な民主主義という厄介な現象の台頭に直面させられている。

この一世紀を通じて西洋では、民主主義といえば自由主義的民主主義を意味した。それは自由で公正な選挙だけでなく、法の支配、権力の分立、言論、集会、宗教の自由といった基本的権利の保障、さらには私有財産制度に特徴づけられる政治システムのことだった。それだけに、現下の非自由主義的民主主義の台頭という問題を認識するのが難しいのだ。実際、立憲自由主義(立憲リベラリズム)とでも呼べるような、先に指摘した一連の自由は、民主主義とは理論的に異なるし、歴史的にも区別されてきた。政治学者フィリップ・シュミッターが指摘するように、「政治的自由の概念、あるいは経済政策ドクトリンとしての自由主義が、民主主義の台頭と時を同じくして興隆したのかもしれない。だが、自由主義と民主主義の実践との結びつきはこれまで、一貫したものでも、はっきりとしたものでもなかった。」西洋という政治的生地に織り込まれた、自由主義と民主主義という二つの系譜が、世界の他の地域ではそれぞれ別物として引き裂かれつつある。民主主義は興隆しているが、立憲自由主義はこの限りではない。

今日、世界の一九三カ国のうちの一一八カ国が民主国家で、世界の人口の大多数(正確には五四・八パーセント)が民主体制のもとで生活しており、これはほんの一〇年前と比べても大幅な上昇である。民主主義の勝利の時代にあるいま、西洋の政治家や知識人たちが、(英国の小説家)E・Mフォースターよりもさらに熱烈に、民主主義のための歓喜の喝采を三度繰り返すに違いないと考えている人がいてもおかしくない(訳注 フォースターの著書に『民主主義に二度喝采』がある)。だが、南・中央ヨーロッパ、アジア、アフリカでの多党制下での選挙実施の急速な拡散に、むしろ懸念が高まっているのが現実なのだ。理由はおそらく、選挙の後に何が起きるかを人々が心配しているからだろう。事実、ボリス・エリツィンやアルゼンチンのカルロス・メネムといった大衆指導者たちは、議会を迂回して大統領令による統治を行い、憲法執行の基盤を揺るがしている。他の中東地域諸国に比べより自由な選挙を経て選ばれたイラン議会は、言論、集会、さらに服装に至るまで厳しい制限を課し、もともと十分ではなかったこの国の自由をさらに締めつけているし、また選挙を経てできたエチオピア議会も、治安部隊の標的をジャーナリストや政治的反対派に向けさせ、(人間としての生存と同じように)人権を永続的に踏みにじっている。

一口に非自由主義的民主主義といっても当然、そこには幅がある。非自由主義的民主主義のなかでは比較的穏当なアルゼンチンから、なかば専制国家的なカザフスタンやベラルーシ、あるいは、この二つの中間に位置するルーマニアやバングラデシュという具合である。この分類に含まれる国で現在の欧米諸国並みに自由で公正な選挙が実施されることはまれだが、大衆の政治参加、被選出者への支持という面では現実を反映するような状況が存在する。ここに引いた例が特異なわけでも、例外的なわけでもない。一九九六年・九七年度版のフリーダム・ハウスの調査研究『世界における自由の現状』(Freedom in the World)は政治的自由と市民的自由のランクを別立てにしているが、これらは大枠で言えばそれぞれ民主主義と立憲自由主義(のランク)に符合する。純粋な独裁制治と堅固な民主主義の間に位置する国々の五〇パーセントは、市民的自由よりも政治的自由面での評価が高く、言い換えれば現在、世界の「民主化途上にある」諸国のほぼ半数が非自由主義的な民主主義の状態にあることになる(注1)。

非自由主義的民主主義の台頭ぶりは、いまや飛ぶ鳥を落とす勢いだ。七年前、民主化途上にある諸国の中で、非自由主義的民主主義として分類される国家はわずか二二パーセントだったが、五年前にはこの比率が三五パーセントに上昇した(注2)。そして今日にいたるまで、非自由主義的民主主義から自由主義的民主主義への成熟を見せた国家はほとんどない。なにがしかの方向性があるとすれば、これらの国々は非自由主義を極める方向へ向かっている。一時的現象、あるいは移行期という言葉は当てはまらず、多くの国が、かなりのレベルの民主主義とかなりの非自由主義を折衷した政府形態へと定着しつつあるようだ。

世界の多くの国が資本主義のさまざまな形態を自らに都合のよい快適なシステムとみなしているように、彼らが多様な民主主義の形態を採用し、それを維持していく可能性もある。民主主義という名の道程において、西洋型の自由主義的民主主義は最終的な目的地ではなく、数多くの可能性のひとつにすぎないことが、いずれ実証されるのかもしれない。

(注1)Roger Kaplan, ed., Freedom Around the World, 1997, New York : Freedom House, 1997 pp.21-22. この調査研究は、政治的権利、市民的自由という二つの区分でそれぞれ七段階からなる指標を用い、このポイントが低ければ低いほどよいとされている。私は、二つの区分のポイントの合計が五から一〇の諸国は民主化移行のプロセスの途上にあるとみなしている。文中で示したパーセントはフリーダム・ハウスの数字を基にしているが、私は個々の国家の評価に関しては必ずしもそのままを受け入れているわけではない。フリーダム・ハウスの調査研究は包括的かつ知的で実に見事だがその手法は一部において憲法上の権利と民主的手続きを一つとして扱っており、これが問題を複雑にしている。さらに(明確な一連のデータ枠としてではないが)私はイラン、カザフスタン、ベラルーシのような諸国を民主的手続きの面で、よくてもせいぜい疑似民主主義とみている。しかし、これらの諸国は興味深いケースとしてとくに焦点をあてる価値がある。というのも、その指導者のほとんどが選挙を経て選出され、再選され、大衆の支持をいまも確保しているからだ。

(注2)Freedom in the World : The Annual Survey of Political Rights and Civil Liberties, 1992-1993, pp.620-26 ; Freedom in the World, 1989-1990, pp.312-19.

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