<「競争力神話」論争>
競争力志向は必要だ
1994年9月号
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1994年9月号
1994年9月号
1994年9月号
1994年9月号
1994年5月号
「国家が直面する経済問題を、世界市場をめぐる競争力の問題とみなし、コカ・コーラとペプシがライバルであるのと同様に、米国と日本がライバルであるかのようにとらえる見方」がいまや普遍的になされ、「貿易収支を国家の競争力の目安」とする考えがもてはやされている。その結果、「輸入によって高賃金の雇用が失われ、補助金をバックにした諸外国の競争によって、米国は高付加価値部門からの締めだされつつある」という認識が定着しつつある。だが、企業と国家を同一視し、貿易収支を国の競争力の目安と見るのは、完全な誤りである。競争力を軸とする誤った前提を今後も受け入れ続ければ、国内・国際経済の双方における誤った政策の採用に道を開き、国内の生産性は停滞し、貿易紛争の激化は不可避となる。なぜ、経済問題に対して競争力を軸とする説明がなされがちで、それが安易に受け入れられてしまっているのか。どうしてそれが誤っているのか、われわれはその前提を根本から検証し直す必要がある。
1994年5月号
東洋の社会においては、個人が家族の延長線上に存在すると考えられている点にある。個人は家族から分離した存在ではないし、一方では、家族も親類の一部、友人の環、より大きな社会の一部として存在する。
1994年1月号
新生南アフリカの最大の課題は、「人種、肌の色、信条、宗教、性の違いを問わず、すべての人が自らの人間性を十分主張できるような国家を誕生させることにほかならない」。そして、「市民の権利を保障できるのは、真の民主主義の実現をつうじてのみ」だ。今後、市民の権利は、「人民の、人民による、人民のための政府の登場によって」保障されることになる。一言でいえば、「多様性と人権の尊重」こそ、今後のわれわれの国内・外交政策双方における中核理念なのだ。また、アパルトヘイト政策によって孤立化してきた南アフリカを、国際的な政治・経済システムに再編していくことも急務だ。経済面では、市場アクセスや外資の導入を確保するとともに、保護主義的政策を段階的に改め、政治面では、国連を中心とした国際機構に積極的にコミットしていくつもりだ。国際的、地域的、そして国内的に、責任ある政治勢力として振舞うことこそ、民主化、国際化の唯一の方策と信じる。
1993年12月号
混迷する現在の世界を説明できるパラダイムが、文明のパラダイムでないというのなら、いったいそれは何なのだろうか。普遍主義や、国家パラダイムで現状を説明できるはずはない。冷戦の終結とともに、「歴史が終わった」わけではなく、世界が一つに統合されたわけでもない。そこにあるのは、異なる文明に属する国家や集団間で繰り返される衝突ではないか。「人々が自らのアイデンティティを確認する際に重視し、そのために戦い、命をかけることも厭わないのは、(イデオロギーや経済利益ではなく)信仰、家族、血のつながり、信条といった(文明的)要素」だからだ。この文明衝突の力学を封じ込めるには、その力学の本質を見極めない限り不可能だ。西洋人は、近代化を遂げた他の人々も「われわれのように」なるべきだと考えているが、これはむしろ西洋の奢りであり、こうした考え自体、文明の衝突を引き起こす要因になる。切実に必要とされるのは、異なる文明の本質を見極め、「他の文明と共存していくすべを学んでいくこと」にほかならない。
1993年8月号
ポスト冷戦時代の「X論文」とも評されるこの「文明の衝突」は、ハンチントンがそもそもハーバード大学のオケーショナル・ペーパーとして書き下ろしたものを、「フォーリン・アフェアーズ」に掲載するためにまとめ直し、その後の大反響を受けて『文明の衝突』という著作として加筆出版されたという経緯を持つ。発表と同時に世界各地でマスコミに取り上げられたこの壮大なスケールの論文は、政治家、歴史・政治学者にはじまり、人類学者、社会学者に至るまで広範な分野の専門家を巻き込んでの大論争となった。ハンチントンはポスト冷戦時代を、イデオロギー対決の時代から、宗教、歴史、民族、言語など文明対立が世界政治を規定する時代になると予測し、集団をとりまとめる求心力は文化や文明となり、紛争の火種もまた自らの文明に対する認識の高まりや文明の相違から生じるだろうという見解を示した。
1993年7月号
「米国内では、他の諸国が<アンフェア>な貿易活動に従事しているのに、米国だけが武器ももたずに貿易に従事しているとみなす勢力が力を得てきており、その結果、これまでの無策を改め、攻撃的な貿易政策への転換を図るべきだという主張がなされている」。問題は、衰退論を背景として、米国がこうした認識の違いを前提とする政策の採用に傾きつつあることである。現状が放置されれば、世界はブロック経済の方向へと向かいかねない。