1994年以降に発表された邦訳論文を検索できます。

論文データベース(最新論文順)

条約の平和的解体を

1995年8月号

チャルマーズ・ジョンソン 日本政策研究所所長
E・B・キーン ケンブリッジ大学教授

東アジア秩序の基軸が「軍事要因から経済要因へと大きくシフトした」ことを無視して、日本への軍事的コミットメントの継続を宣言したペンタゴン・レポートは、米国の破滅的な貿易赤字に対処するために必要な「実質的に唯一の手段」を一方的に放棄したことを意味するだけでなく、日本を「普通の国家」に脱皮させるのをほぼ不可能にしてしまった。東アジア安全保障における最大の脅威は、中国の強大化よりもむしろ、「真の同盟国として行動する日本の能力を疑いつづける米国の態度」にある。日本がいずれ東アジアにおける明確なリーダーシップをとるようになるのは間違いなく、米国はこのきたるべき変化にスムーズに移行できるよう、日本との間で「より平等な政治・安全保障関係」を築きあげるべきである。

自由世界の問題児、アメリカ

1999年5月号

ギャリー・ウィルス  歴史家

アメリカは「リーダーシップ」という言葉をはき違えている。アメリカは、「俺のやっているようにではなく、俺の言うとおりにやれ」と言っているのと同じで、これではリーダー失格である。新興国が米国製品を買ったり、米市場に商品を供給することでアメリカのパワーが拡大するように、国際的なパワーを維持していくにはそれを拡散させる必要がある。強制、転覆工作、挑発は、リーダーのやることではない。相手の声を聞き、説得し、敬意を示すことなしに、だれも他国を導くことなどできない。リーダーはまず相手を理解しなければならず、彼らがより崇高な目的のために喜んで活動するようそのエネルギーを結集させるだけの力量を持つ必要がある。アメリカは現在、世界で最も強大な国家だが、そのようなパワーは他国の協調を引きだして初めて維持できる。

ユーゴスラビア崩壊の記録

1995年5月号

ウォーレン・ジマーマン 元駐ユーゴスラビア米国大使

民族的な融合を繰り返してきたユーゴ市民にとって、「民族を意識せずに生活するのはきわめて自然」なことだったし、彼らが民族的な敵意を抱いていたわけでもない。つまり、ユーゴを崩壊へと導いた主要なアクターはとは、「純粋な民族国家」の形成という自らの政治的野望のためにナショナリズムを演出したミロセビッチ、そして、ツジマン、カラジッチなど、一握りの極端なナショナリストたちなのである。彼らは、自らのプロパガンダを、単一民族による純粋な民族国家という粗野な概念と結びつけることで、意図的に上からのナショナリズムをあおり立て、止めどない抗争の温床を作り出したのである。「人間性の節度の象徴だったサラエボの町」がなぜ、かつての「ベルリンの壁」のような存在へと回帰しようとしているのか。時代錯誤というほかはない。「最後の」アメリカ大使が当時の日記をもとに振り返るユーゴ崩壊の全記録。

大蔵省:目に見えぬリヴァイアサン

1995年4月号

イーモン・フィングルトン
金融ジャーナリスト

日本では政治家は「君臨すれども統治せず」、統治するのはあくまで官僚、それも大蔵官僚たちである。大蔵省(財務省)は、予算編成権、規制の恣意的な執行、民間への天下り、政策の財政面での審査などを通じて、西欧世界では考えられぬほどの巨大な権限を、それも目立たぬように行使している。事実日本の財務省は、米国においては、「連邦準備制度理事会、財務省、連邦預金保険公社、会計検査院、証券取引委員会がそれぞれに分散して担当している領域の全てを一手に自らの管轄領域とし」、しかも、その翼下にある国税庁を通じて日本の税システムも管理する日本の目に見えぬ「リヴァイアサン」だ。税システム、予算、国防のすべてを管理する大蔵省の実体を把握せずして、日本経済の実体を見きわめるのは不可能である。

原爆投下は何を問いかける?

1995年2月号

バートン・J・バーンスタイン
スタンフォード大学歴史学教授

原爆が戦争終結の時期を早めたという議論の根拠はとぼしく、「たとえ原子爆弾を投下していなくても、ソビエトの参戦によって、十一月前には日本は降伏していたかもしれない」。加えて、米国の指導者のなかで、一九四五年の春から夏の段階において、「五十万の米国人(将兵)の命を救うために」原爆を使用すべきだと考えていた者など一人としていなかった。広島や長崎への原爆投下を可能にしたのは、二十億ドルもの資金を投入したプロジェクトのもつ政治的・機構的勢い、そして、第二次大戦の熾烈な戦闘を通じて、(市民を戦闘行為に巻き込まないという)旧来の道徳観が崩れてしまっていたからにほかならない。この道徳観の衰退こそ、後における核兵器による恐怖の時代の背景を提供したのである。ドイツや日本の軍国主義者たちだけでなく、なぜ、米国を含む他の諸国の道徳観までもがかくも荒廃していたのか、この点にこそわれわれが歴史の教訓として学ぶべきテーマが存在する。

まぼろしのアジア経済

1995年1月号

ポール・クルーグマン
スタンフォード大学経済学教授

アジアの経済成長は奇跡ではない。持続的な経済成長には、「投入の増大」と「生産効率の改善」の双方が必要だが、アジア諸国の経済成長のほとんどは、労働力の拡大、教育レベルの改善、物的資本への投資など、持続的には行い得ない「投入」の増大によって説明できてしまうからである。実際、日本を例外とすれば、そこには生産効率の改善の形跡などほとんど見られない。いずれ陰りが見えてくるのがわかっている投入増大型の経済成長を、将来にそのまま当てはめ、世界経済の将来を論じても何の意味もない。われわれは、誤った前提を基にする過大な経済予測やそれに伴う思いこみに振り回されることなく、現実の数字、つまり「数字という暴君」を素直に受け入れるべきである。

民主主義の道徳的危機

1994年10月号

チャールズ・メイヤー ハーバード大学教授

冷戦における勝利も、いまや排外主義の台頭、伝統的政党への不信、政治に対する冷めた態度などによって急速に色あせたものとなりつつある。実際、われわれは「政治からの逃避、論争に対する嫌気、主張をめぐる信念のなさ、論争の結果に対する不信、論争に加わる人々への蔑視」といった態度が幅をきかすような民主主義の「道徳的危機」のただなかにある。
 変化や進歩を許容できるような改革主義が否定されてしまっているため、市民たちは、民族、イデオロギー上の多元主義状況を否定的にとらえだしている。現状が続けば、サミュエル・ハンチントンが指摘するような「文明の衝突」というゆゆしき事態に直面することになりかねない。
 この憂鬱な予測を覆すには、われわれは、「民族問題だけでなく、市民社会の不完全な状態の(改善に向けた)コミットメントを示し、保護主義への傾斜を回避し、民族性や文化的なつながりを超えた共通の大義を推進していく必要がある」。

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