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ロシアに関する論文

国を盗んだロシアのエリート

1999年11月号

アンダース・アスルンド  カーネギー国際平和財団上席研究員

ソビエト崩壊期にすでに巨万の富を手にしていた旧ソビエトの特権階級は、国の崩壊こそ気にかけなかったが、その後、ロシアという新生国家そのものを買収してしまった。規制の悪用、特権的輸出、補助金と、新興成り金たちが国から大金をせしめ、個人の懐に収める機会はいくらでもあった。彼らは数多くの政治家や役人に賄賂をばらまいては富を増やしていくとともに、「自分たちの利益独占状態に終止符が打たれるのを恐れて」、経済成長を促し国民の生活向上につながるはずだったリベラルな経済改革路線を妨害する試みにでた。こうした窃盗行為と無分別な外貨の流入の結果が、一九九八年の金融危機だった。ロシアの問題を市場が自由化されすぎたことに求めるのは、お門違いである。問題は、自由化が進展せず、大きな政府がつくりだす過剰な規制がいまだに存在し、それが汚職の温床となっていることなのだ。経済・金融危機はこうした現実をどのように変えたのだろうか。そうした変化は、ロシア経済と社会を健全化へと導くのだろうか。

ロシア・ユーラシアニズムと「反西欧」の構図

1999年4月号

チャールス・クローバー 『ファイナンシャル・タイムス』キエフ支局長

ユーラシアニズムとは、「西欧とは異なるロシアのユニークなアイデンティティを確立させようとする試みのことで、ユーラシア中枢に位置するロシアを起点に南や東へと目を向け、この巨大大陸の東方正教会系の民族と、イスラム人口を地政学的観点から一つにまとめあげる」ことを構想している。具体的には、「国内の経済政策面では左派よりで、対外政策面でアラブ諸国を助け、東方世界に傾斜し、旧ソビエト地域の統合を強化する政策である」。すでにロシア共産党のジュガーノフ委員長や、プリマコフ首相は、ユーラシアニズムという理念を政治外交の世界で具体化させ、少なくとも、国内政治そして一部外交面でも勝利を収めつつある。伝統主義と集団主義をつうじて、ユーラシアにおける民族集団を一手に取りまとめ、反リベラル・反欧米のスタンスで大同団結させようとするこのロシアの試みは、「西欧(WEST)」、そして世界にとってなにを意味するのだろうか。

国家間戦争から内戦の時代へ

1999年3月号

スティーブン・R・デービッド ジョンズホプキンス大学政治学教授

冷戦が終わり、今や内戦がほぼ唯一の戦闘形態となった。国家間戦争ほど関心を引かないとはいえ、各国の内戦は紛争勢力の「本来の意図とは関係のないところ」で、国境を超えた破壊的衝撃を伴う。しかも、対外的にダメージを与えるという意図に導かれていないだけに、内戦の発生を抑止するのは難しい。例えばサウジアラビアだ。世界一の石油資源を持つこの国で内戦が起きれば、油田地帯が戦場と化し、紛争勢力にその意図がなくても、世界経済は瞬く間に窒息する。しかもサウジアラビアで国内紛争が起きる可能性は現実に高い。われわれは、一刻も早く「安全保障上の脅威のすべてが、一貫した信条を持つ敵対勢力によって周到に準備されているわけではなく、具体的目的に導かれているわけでもなければ」、適切な政策をとれば抑止できる性格のものでもないことを肝に銘じるべきだ。内戦への対応を考えない限り、われわれにとって軍事的選択肢は、自国防衛の強化か予防的先制攻撃の二つしかない。

ロシア「バーチャル経済」の虚構

1998年11月号

クリフォード・G・ギャディ ブルッキングス研究所研究員

ロシアが市場改革を通じてゆっくりと市場経済へと近づいているとする認識は、まったくの間違いだ。この国の経済は「製造業部門が付加価値を生み出している」とする虚構を、政府、経済の各セクターのプレーヤー、家計がみな受け入れることでかろうじて成立する「バーチャル経済」にほかならない。現実には製造業は労働者や資源産業から受け取った価値以下のものしか生産できていないにもかかわらず、恣意的な価格設定によって価値を生み出しているように見せかけているにすぎない。その結果、原材料の仕入れ先にも、労働者にも支払いがなされず、税が現物で納められるようなキャッシュレス経済が誕生している。当然、膨大な財政赤字を抱え込んでしまった政府による家計への再分配機能も麻痺している。欧米や国際機関を通じた緊急支援は、彼らが現実を直視する時期を先送りするだけであり、今日の問題を明日の問題に置き換えるだけだ。「バーチャル経済」の存在を認識したうえでの痛みを伴う処方、つまり救済策の拒否こそ、われわれ、そして彼らにとっての明日を明るくするであろう。

ロシア経済再生の条件

1998年9月号

グリゴリー・ヤブリンスキー 穏健改革派政党「ヤブロコ」党首

ロシアの経済を牛耳っているのは、闇世界とのつながりを持ち、巨大企業やメディアを所有する、一握りの寡頭政治の支配者=悪徳資本家たちである。その結果、賄賂や腐敗が横行し、富のほとんどは彼らに独占され、法律が順守されることもない。 「犯罪に毒された市場が効率的に機能することはあり得ず、未来への確信が持てないため、だれも投資などしない。」これでは、市場経済も民主主義も定着しようがない。市場経済民主主義をめざすのであれば、何よりもビジネスと政治を切り離し、私有財産と競争に基づく市場経済を整備し、報道の自由を確立させなければならない。さらに法治主義と司法権の独立を保障し、民意を汲み取れる政党制を強化する必要もある。ロシアが寡頭制ではなく、民主政治をめざすのであれば、決断を下す時期は今であり、この決断は欧米世界にとっても他人事ではないはずだ。

ロシアこそがユーラシア秩序再生の要

1998年5月号

ヴァレリー・V・ツェプカロ  駐米ベラルーシ大使

現状の分散化・分裂化現象が続く限り、法や正義ではなく、再び利益や力のバランスによってユーラシア秩序を回復せざるを得なくなり、新たな、そして不吉な「歴史の始まり」が導かれるだろう。ユーラシアの分裂状況を放置すれば、中央アジアやコーカサスでの紛争が他の諸国を巻き込み、トルコ、イラン、中国、日本、そして欧米諸国の利益の錯綜や対立がこの大陸をカオスへと突き落としかねない。米国のユーラシアでの影響力には限界がある。秩序再生は、あくまでロシアによる過去と現在を踏まえた新理念の構築にかかっている。

ロシアはいまだに敵なのか

1998年1月号

リチャード・パイプス  ハーバード大学名誉教授

なんじの友人をいつの日にかなんじの敵になる者として、またなんじの敵をいつの日にかなんじの友人となる者の如く扱え。
デキムス・ラベリウス 紀元前一世紀

ロシアはいまだにわれわれの敵だろうか。目下のところそうではないし、そうであるべきでもない。だがモスクワの指導者たち、それも権力と影響力ばかりを気にかける古いタイプの指導者が、国民の政治的経験のなさと偏見を利用して、それ自体は何の意味もない広大な領土や、自分たちでは開発できない莫大な鉱物資源、そして使うこともできない巨大な核の兵器庫といったもの以外には、およそ手に入れることのできない幻の栄光を再び求めるとすれば、ロシアが敵となる可能性は十分にある。ロシアの指導者たちが再び孤立とスタンドプレーによって直面している困難から逃れようとするなら、ロシアはまたわれわれの敵となりうる。

ユーラシアの地政学と日米中を考える

1997年11月号

ズビグニュー・ブレジンスキー 戦略問題国際研究所(CSIS)顧問

世界の人口の75パーセント、GNPの60パーセント、エネルギー資源の75パーセントが存在するユーラシア大陸は21世紀の安定の鍵を握る「スーパー・コンチネント」だ。ユーラシアにおけるアメリカの差し迫った課題は、「いかなる単独の国家、あるいは国家連合も、アメリカを放逐したり、その役割を周辺化させたりするような力をもてないようにすることだ。この点でとりわけ重要なのが、NATO、そして、アメリカと中国の関係であり、これを軸に、ロシア、中央アジア、日本との安定的共存を図っていかなければならない。NATO拡大とロシアの関係同様に、アメリカ、日本、中国の戦略関係にも細心の配慮が必要になる。肝に銘じておくべきは「再軍備路線への傾斜であれ、単独での対中共存路線であれ、日本が方向性を誤った場合には、安定した米日中の3国間アレンジメント形成の可能性はついえ去り、アジア・太平洋地域でのアメリカの役割は終わる」ということだ。

中国・ロシアを国際秩序に組み込む道

1997年7月号

マイケル・マンデルバーム  外交問題評議会・東西関係プロジェクト議長

「正統的共産主義」がすでに崩壊・解体しているにもかかわらず、ロシアと中国はいまだに新たなシステムを構築できずにいる。そのため両国では、国内ではナショナリズムが幅を効かせ、対外的には自国の主権や地位に過度に敏感な外交路線が採用され、こうした環境を背景に、「ウクライナと台湾が、世界でもっとも危険なスポット」として浮上してきている。大切なのは、国際社会が現状の変革に反対していることを明確に伝え、彼らの現状変革の試みを今後も先送りし続けるように仕向け、すでに定着しつつあるポスト冷戦秩序のなかに、この二つの国家をゆっくりと組み込んで行くことである。いまわれわれに必要なのは、厄介で他の存在を脅かすようなロシアと中国の行動パターンが永続的ではないことを認識した上での、「忍耐強さ」である。

エリツィン後のロシア?

1997年4月号

デビッド・レムニック  前ワシントン・ポスト紙モスクワ特派員

ボリス・エリツィンの存在はいまやさまざまな「公約の破綻を具現するシンボル」にさえなっている。一九九一年の勝利が自由民主主義者たちによる堂々たる勝利だったとすれば、九六年のエリツィンの勝利は、寡頭政治階級の台頭に特徴づけられる。こうしたなか、エリツィンの心臓の具合や後継者をめぐる政治抗争によってモスクワが揺れ動いているのは事実だが、ロシアが共産主義という過去への逆コースを歩むことはありえない。現在のロシアは地域的・政治的により多元化し、民衆が過去への回帰を明確に拒絶し、しかも、今後ロシア経済が発展していく可能性が高いからだ。事実、二〇二〇年までにロシア経済は「中国経済とともに、ポーランド、ハンガリー、ブラジル、メキシコをはるか遠くに引き離して」追い抜いているだろうと予測する専門家もいる。「世界の一員としてのロシア」の新時代はすでに始まっている。

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