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政治・文化・社会に関する論文

歴史の未来
―― 中間層を支える思想・イデオロギーの構築を

2012年2月号

フランシス・フクヤマ
スタンフォード大学シニアフェロー

社会格差の増大に象徴される現在の厄介な経済、社会トレンズが今後も続くようであれば、現代のリベラルな民主社会の安定も、リベラルな民主主義の優位も損なわれていく。マルキストが共産主義ユートピアを実現できなかったのは、成熟した資本主義社会が、労働者階級ではなく、中産階級を作り出したからだ。しかし、技術的進化とグローバル化が中産階級の基盤をさらに蝕み、先進国社会の中産階級の規模が少数派を下回るレベルへと小さくなっていけば、民主主義の未来はどうなるだろうか。問題は、社会民主主義モデルがすでに破綻しているにも関わらず、左派が新たな思想を打ち出せずにいることだ。先進国社会が高齢化しているために、富を再分配するための福祉国家モデルはもはや財政的に維持できない。古い社会主義がいまも健在であるかのように状況を誤認して、資本主義批判をしても進化は期待できない。問われているのは、資本主義の形態であり、社会が変化に適応していくのを政府がどの程度助けるかという点にある。

漂流する先進民主国家
―― なぜ日米欧は危機と問題に対応できなくなったか

2012年1月号

チャールズ・クプチャン
米外交問題評議会シニア・フェロー

グローバル化が「有権者が政府に対して望むもの」と「政府が提供できるもの」の間のギャップをますます広げ、政府は人々の要望に応えられなくなっている。これこそ、アメリカ、日本、ヨーロッパという先進民主世界が現在直面しているもっとも深刻な問題だ。先進民主諸国が統治危機に直面する一方で、台頭する「その他」の諸国が新たな政治力を発揮しているのは偶然ではない。グローバル化した世界への統合を進めていくにつれて、先進民主国家が問題への対応・管理手段の喪失という事態に直面しているのに対して、中国のような非自由主義国家の政府は、一元化された中央の政策決定、メディアに対する検閲、国家管理型の経済を通じて、社会の掌握度を高めている。必要とされているのは、民主主義、資本主義、グローバル化の相互作用が作り出している大きな緊張をいかに解決するかという設問に対する21世紀型の力強い答えを示すことだ。政府の行動を、グローバル市場の現実、恩恵をより公平に分配することを求める大衆社会の要望に適合させるとともに、痛みと犠牲を分かち合えるものへと変化させていく必要がある。

Foreign Affairs Update
ドイツ社会とイスラム系移民
―― 社会的統合に苦悶する移民たち

2012年1月号

ジェームズ・アンジェロス 前アレクサンダー・フォン・フンボルト財団フェロー

1961年10月30日、ドイツはその後数十年にわたって社会を否応なく変えてしまうゲストワーカーの受け入れを認める協定をトルコと交わした。協定締結後、ヨーロッパの炭鉱や鉄工場で働こうと、非常に多くのトルコ人ゲストワーカーが堰を切ったようにドイツへ殺到した。戦後におけるドイツ経済の繁栄を安価な労働力で支えたのは、こうしたトルコ人たちだった。今日、ドイツには300万人のトルコ系移民が暮らしており、いまや彼らはドイツ最大の民族マイノリティだ。両国の協定50周年を迎えた2011年にはさまざまな記念式典が催され、労働移民とその遺産についての議論が展開された。「新生ドイツの歴史は50年前に始まった」と切り出したズードドイチェ・ツァイトゥング紙の記事は、以来、ドイツは好むと好まざるとに関わらず「多文化主義」になったと指摘した。しかし、トルコのゲストワーカーたちを受け入れてから半世紀も経っているのに、ドイツ人は移民が果たしてきた役割について、いまも分裂症気味とまでは言わないが、どこか割り切れない思いを抱いているようだ。

「競争的権威主義」国家は帝政ドイツと同じ道を歩むのか
―― ビスマルクの遺産と教訓

2012年1月号

マイケル・バーンハード フロリダ大学政治学教授

異なる社会集団が権力を競い合うことは許容されるが、公正な選挙という概念は踏みにじられ、支配エリートによって野党勢力は抑え込まれ、リベラルな規範などほとんど気にとめられることはない。ロシアからペルー、カンボジアからカメルーンにいたるまで、帝政ドイツにルーツを持つこの「競争的権威主義」体制をとる国はいまも世界のあらゆる地域に存在する。かつてのドイツ同様に、現在の競争的権威主義国家も世界を揺るがす衝撃を作り出すことになるのか、それとも、民主化への道をたどっていくのか。これを理解するには、ビスマルクが育んだ政治文化が、なぜ彼の没後数十年でドイツを壊滅的なコースへと向かわせたのかを考える必要がある。結局、「支配エリートたちが完全に自由な政治制度がもたらす政治的不透明さに対処していく気概を持つかどうか」が、競争主義的権威主義体制を民主化へと向かわせるか、それとも独裁者の聖域を作り出すことになるのかを分けるようだ。

フォーリン・アフェアーズ・アップデート
覆されるリー・クアンユーの遺産

2011年11月号

アミタフ・アチャルヤ アメリカン大学・国際関係大学院教授

権威主義体制下で経済的繁栄と社会の安定を実現したリー・クアンユーの政策と思想は、これまでシンガポール国内でだけでなく、途上国においても高く評価され、先進諸国においてさえ大きな注目を集めてきた。だが、シンガポールの有権者は繁栄と安定だけでなく、民主化を求め始めた。この流れは、貧富の格差の増大、不動産価格の高騰、物価や生活コストの増大、そして移民流入の増大に伴う失業問題の深刻化などによって生じている。政府が抜本的な対策をとらないことに有権者は怒りを露わにし、しだいにリーの政党である人民行動党を見放しつつある。2011年の議会選挙と大統領選挙の双方において、シンガポールの有権者たちは、より大きな政治的自由を望んでいることを明確に示した。これは、「開発と安定に必ずしも民主主義が必要とは限らない」というリーの信条の一つを人々が拒絶し始めていることを意味する。すでに、選挙における人民行動党の後退を受けて、リーは政府ポストを辞し、「若い閣僚チームが若い世代とつながり、交流することで、シンガポールの未来を形作って欲しい」と表明している。

かつてギリシャやイタリアは「競争力が低下している」と感じたときは、自国通貨を切り下げたものだ。その手段を奪われたユーロ導入後も、周辺国はユーロ建て国債の発行を通じて資金を借り入れることで、増税策をとることなく高い歳出レベルを維持した。だが、その結果、周辺国の多くが莫大な債務の山を築き、いまや破綻の危機に直面するリスクは限りなく高まっている。ここからどうユーロゾーンを守り、立て直していくか。財政統合やユーロ共通債では、目の前にある火事は消せない。それよりも、インソルベンシーによる危機と資金不足による危機を区別することだ。インソルベンシー危機に直面しているギリシャ、アイルランド、ポルトガルに管理型ディフォルトを認める一方、資金不足に派生する危機に陥っているイタリアとスペインには改革の意思を確認した上で、資金を供給する。こうすれば、経済のバランスが回復され、ヨーロッパは世界経済において再び大きな役割を果たせるようになる。

ブロークン・コントラクト
―― 不平等と格差、そしてアメリカンドリームの終焉

2011年11月号

ジョージ・パッカー
ニューヨーカー誌スタッフライター

第二次世界大戦後のアメリカの経済的繁栄の恩恵は、人類の歴史のいかなる時期と比べても、より広範な社会層へと分配されていた。税制によって、個人が手にできる富には限界があり、多くの資金を次の世代に残せないように制度設計されていたために、極端な富裕階級が誕生することはあり得なかった。だが、1978年を境に流れは変化した。その後の30年にわたって、政治の主流派は、中産階級のための社会保障ツールを解体し、政府の権限を小さくしようと試みた。組織マネーと保守派はこの瞬間をとらえ、アメリカの富裕層への富の移転という流れを作り出した。実際、この30年にわたって、政府は一貫して富裕層を優遇する政策をとってきた。その結果、いまや、あらゆる問題が格差と不平等という病によって引き起こされ、民主主義のメカニズムまでもが抑え込まれつつある。

変わりゆく宗教と文化、政治の関係
―― 宗教が文化を変えるのか、文化が宗教を変えるのか

2011年10月号

カレン・バーキー コロンビア大学教授(社会学・歴史学)

宗教と文化に相関性がないのなら、宗教原理主義はよりグローバルな広がりをみせるが、原理主義を支える文化は世俗化されていく。一方、宗教と文化が切り離せないのなら、宗教原理主義が他の文化圏の社会に浸透し、世俗的・民主的慣行を侵食していくはずだ。だが現実には、宗教と文化と政治は常に相互作用している。「アラブの春」後のエジプトが具体例だ。ムスリム同胞団は、エジプト政治に食い込む「正しい」方法を探っている。彼らは選挙で議席を増やすことだけでなく、タハリール広場で若者たちが展開した民主化運動に共鳴するようなアプローチを模索している。宗教が政治に近づくことで、宗教運動も合理化、世俗化される。トルコのAKPも宗教を表舞台に再登場させることに成功し、宗教的慣行を公然と復活させたが、社会と政治的権利については現代的な民主路線を支持している。ほとんどの場合、宗教、文化、そして政治は依然として重なり合っている。

経済覇権はアメリカから中国へ
――21世紀に再現されるスエズ危機

2011年10月号

アルビンド・サブラマニアン
ピーターソン国際経済研究所
シニアフェロー

1956年、アメリカはイギリスに対して「スエズ運河から撤退しない限り、金融支援を停止する」と迫り、イギリスはこれに屈して兵を引いた。ここにイギリスの覇権は完全に潰えた。当時のイギリス首相で「最後の、屈辱的な局面」の指揮をとったハロルド・マクミランは後に、「200年もすれば、あの時、われわれがどう感じたかをアメリカも思い知ることになるだろう」と語った。その日が、近い将来やってくるかもしれない。スエズ危機当時のイギリスは交渉上非常に弱い立場にあった。債務を抱え込み、経済が弱体化していただけでなく、そこに新たな経済パワーが台頭していた。現在のアメリカも同じだ。米経済は構造的な弱点を抱え込み、目に余る借金体質ゆえに外国からのファイナンスに依存せざるを得ない状況にあり、成長の見込みは乏しい。そして、侮れない経済ライバルも台頭している。マクミランが予測したよりも早く、そして現在人々が考えるよりも早く、アメリカは覇権の衰退という現実に直面することになるだろう。

漂流する日本の政治と日米同盟

2011年9月号

エリック・ヘジンボサム ランド研究所シニア・ポリティカルサイエンティスト
エレイ・ラトナー ランド研究所アソシエート・ポリティカルサイエンティスト
リチャード・サミュエルズ マサチューセッツ工科大学教授

もはや日米関係が未来を明確に共有しているとは言い難い。改革によって(官僚主導から政治主導への)制度上の明確な権限移譲が実現するどころか、むしろ政治家の抗争、政治家と官僚の抗争が誘発され、その結果、権力の空白が生じ、政府の政策決定能力が損なわれている。これが日米関係、日米同盟にとって何を意味するかを考えなければならない。アメリカは日本に国益を有しているし、日本が困難な状況に陥った場合には、手を差し伸べる道義的な責任も負っている。だが、日本の先行きは依然として不透明で、しかも、いまや国防予算削減の時代にある。ワシントンはアジアにおける重要な目標を定義し、それに応じて資源を振り分けていくことを考えるべきだ。日米同盟を守っていくのが最優先課題でなければならないが、ワシントンは他の地域的なパートナーとより緊密に協力していく態勢を整えておくべきだろう。

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