1994年以降に発表された邦訳論文を検索できます。

年度別傑作選に関する論文

Classic Selection 2001
日本システムから退出する企業と個人

2001年9月号

レオナード・J・ショッパ バージニア大学准教授(論文発表当時)

いまや日本人は、日本のシステムからの「退出」路線を選ぶほうが、政府の政策を変えようと試みるよりも好ましいと確信しているようだ。運命共同体的な日本企業も二分され、競争力のある企業は自分だけのボートを保有するようになり、その結果、競争力のない企業が救済措置を求めて日本政府へ影響力を行使することにも異を唱えなくなった。日本の銀行や政府が、形ばかりの再建案と引き換えに、いまも債務まみれのゾンビ企業への新規融資や公共事業を提供するなか、競争力のある日本企業、老後を 心配する市民、若い女性たちはこれまでの日本のシステムから退出しつつある。

Classic Selection 2000
官僚と政治家が日本を滅ぼす?

2000年7月号

オーレリア・ジョージ・マルガン ニューサウスウェールズ大学政治学教授

日本の最大の強みは、国力を構成する軍事、経済、文化その他の要因を時代に即してうまく再定義してきたことにあり、小泉政権以降の日本政府は、アジアにおける主要なプレーヤーとしての地位を維持していこうと、新たな国力構成領域での強さを培いつつある。若手政治家たちは、日米同盟が両国にとってもっとうまく機能するようになることを願っており、より多くの役割を引き受け、その代わりにより多くを求めることについても躊躇しない。こうした状況にある以上、ワシントンが東京を犠牲にする形で北京との和解路線をとれば、東京は自主路線の度合いを高め、その結果、アジアの安全保障環境はますます不透明になる。ワシントンが中国との緊密な経済的絆に加えて、安定した戦略関係を築くことについて日本を過度に刺激しないようにするには、あくまでも東京との同盟関係を基盤に中国への関与策を進める必要がある。

Classic Selection 1999
超えられなかった過去
―― 戦後日本の社会改革の限界

1999年9 月号

ウォルター・ラフィーバー コーネル大学歴史学教授

憲法改正問題から集中豪雨的な輸出政策・官僚主導型の政治――そうした弊害の多くは実は1940年代の未完の占領革命、言い換えれば、占領政策の「逆コース」にそのルーツがある。つまり、官僚が力を持ち続け、一方では冷戦における西側陣営の一翼を担えるようにと米政府がマッカーサーに日本経済を立て直せと命じた1948年の政策転換によって、開放的で民主化されたシステムが日本に根づく可能性はなくなった。この「歴史の非継続性」は、これまでも様々な方面から議論の対象とされてきたが、今後予想される日本の国益論争・安保論争などをめぐって日本の周辺諸国と米国を巻き込んだ論争の焦点の一つとなっていく可能性は高い。

恐慌型経済への回帰

1999年2月号

ポール・クルーグマン マサチューセッツ工科大学教授(論文発表当時)

いまや、途上国はホットマネーの脅威にさらされ、成熟した経済は「流動性の罠」という危機に直面している。実際、金利ゼロでも消費者が貯蓄に走り、企業も投資しないとすれば、一体どうなるのか。これこそが懸念される「流動性の罠」だ。日本は古典的な流動性の罠にはまり、もはや金利ゼロでも十分ではない。うまく財政政策を実施できなかった背景には、高齢社会その他さまざまな観点から財政赤字を膨らますことに対する懸念があった。だが、日本に限らず、世界全体が「古風な資本主義の利点を今に呼び起こす際に、その欠陥の一部、とくに不安定化や長引く経済不況への脆さも復活させてしまった」。改革によってわれわれが手にした「資本の自由化、国内金融市場の自由化、物価安定メカニズムの確立、財政均衡を重視する規律」という美徳は、一方で政策上の制約や落とし穴を秘めていた。「早晩われわれは時計の針を少しばかり巻き戻さなければならなくなる」。今や1930年代の気配が漂い始めている。われわれは恐慌型経済の教訓を今いちど再検証する必要がある。

高齢社会が変える日本経済と外交

1997年6月号

ミルトン・エズラッティ ロードアベットパートナー(論文発表当時)

日本の人口高齢化は、現役労働力の生産能力の低下と増大する年金生活者の消費需要の不均衡を軸に広範な国内緊張を引き起こし、これが日本の対外政策にも余波を及ぼすだろう。現実には「輸出から輸入へ」と貿易パターンが変化し、高い貯蓄率は低下し、貿易黒字は赤字へと向かい、日本企業の外国への進出と一方での国内市場の自由化をいっそう促すことになる。そして、日本企業の外国への生産拠点の移転によって、国の需要を満たす「大切な富」の多くが、外国へと流出すれば、「より積極的で明確な外交政策の実施」が不可欠となる。日本とアジア諸国とのつながりがより複雑になり特別化していけば、アメリカの安全保障利益とは必ずしも重なり合わない日本独自の利益認識が高まり、いずれ、日本は「外交と、そして必要なら、軍事領域でも、独自路線をとるようになるかもしれない」

日本再生の鍵を握る「コーポレート・ジャパン」

1997年4月号

マイケル・ハーシュ 『ニューズウィーク』誌国際版 ビジネスエディター(論文発表当時)
E・キース・ヘンリー MITシニア・リサーチ・アソシエート (論文発表当時)

外国への投資が増大する一方で、国内投資が低迷するという日本における現象の一部は、グローバルマーケットの強い求心力、そして、円高と成熟した日本経済への企業の対応として純粋に経済理論で説明できる。だが、この現象は一方で、企業側の日本政府に対する鋭い批判でもある。日本企業が外国への投資を増やし、進出しているのは、もはや神通力を失った硬直的な日本の経済システムから脱出するためにほかならない。グローバル市場の力学を見極め、自ら「日本株式会社」の遺産を放棄したこれら日本の「マルチナショナル企業」は、世界市場で見事な成功を収めている。この事実は、「日本がついに国際的な没価値状況を脱し、世界の一部となりつつあること」、そして、日本のマルチナショナル企業がその先鞭をつけていることを意味する。「日本株式会社」ではなく、グローバル市場の力学に応じて企業形態やトランスナショナルな提携関係を再編し、構築する能力をもつ、こうした企業が、日本経済の今後の牽引役を果たしていくことになるだろう。

The Clash of Ideas
「冷戦の終焉」と旧秩序の再発見

1996年7月号

ジョン・アイケンベリー
ペンシルバニア大学・准教授

冷戦の終結は、封じ込め秩序の終わりではあっても、戦後秩序全般の終焉ではなかった。封じ込めの秩序の影に隠れあまり重視されるいこともなかった、大西洋憲章にその起源をもつ開放的な戦後経済体制はいまも健在で、これを中核とする戦後の「民主的でリベラルな秩序」は、共産主義の崩壊によって、むしろ強化されつつある。事実、民主的でリベラルな秩序と、冷戦期の西側秩序が異なっているとすれば、現在の秩序がよりグローバルなものになっていることだ。必要なのは、冷戦後の新秩序を夢見てその構築を試みることではなく、一九四〇年代以来の民主的でリベラルな秩序を維持・強化すべく、その歴史的ルーツとこれまでの成果をたどり、これを、現状に符合するように再調整することではないか。

行政指導と終身雇用の終わり ―― 「日本株式会社」の復活はない

1993年6月号

ピーター・F・ドラッカー クレアモント・グラジュエート・スクール教授 (論文発表当時)

いまや日本人は、日本のシステムからの「退出」路線を選ぶほうが、政府の政策を変えようと試みるよりも好ましいと確信しているようだ。運命共同体的な日本企業も二分され、競争力のある企業は自分だけのボートを保有するようになり、その結果、競争力のない企業が救済措置を求めて日本政府へ影響力を行使することにも異を唱えなくなった。日本の銀行や政府が、形ばかりの再建案と引き換えに、いまも債務まみれのゾンビ企業への新規融資や公共事業を提供するなか、競争力のある日本企業、老後を 心配する市民、若い女性たちはこれまでの日本のシステムから退出しつつある。

日本問題
―― 異質な制度と特異性に目を向けよ

1986年1月号

カレル・ファン・ウォルファレン

日本における政治と政治手法は、ほかのアジア諸国や欧米のそれとはまったく違っている。日本は過去数世紀にわたって、互いに権力を分かち合う、半自立的な諸集団間のバランスを注意深く保つ政治スタイルをずっと維持してきた・・・

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