1994年以降に発表された邦訳論文を検索できます。

政治・文化・社会に関する論文

核実験後の南アジアにどう向き合うか

1999年5月号

ストローブ・タルボット  米国務副長官

インド・パキスタン両国の核実験は、現在の核不拡散レジームを大きく動揺させている。「NPT(核不拡散条約)レジームの現状からの後退を食い止められなければ、昨年の核実験をきっかけにNPTから次々と脱退する国がでてくるかもしれない」。印パ両国は、核による均衡が冷戦期の米ソ間の平和を維持していたように、今回の核実験によって今度は南アジアに核の均衡による平和が到来すると信じている。だが、「冷戦が平和的に終焉したという観点からではなく、この対立関係の管理にいかにコストがかかったかという現実的見地から、あらためて歴史を見るべきである」。印パがつくりだした既成事実を前にNPTレジームを譲歩させれば、潜在的に核開発能力を持ちながらも、開発を放棄した国々を裏切ることになるし、核兵器保有国の地位を得ようとするインセンティブ(動機)を他の国に与えることになりかねない。「印パ両国が核兵器を放棄し、あらゆる核関連活動に関する査察を受け入れる」のが先決であろう。

国家間戦争から内戦の時代へ

1999年3月号

スティーブン・R・デービッド ジョンズホプキンス大学政治学教授

冷戦が終わり、今や内戦がほぼ唯一の戦闘形態となった。国家間戦争ほど関心を引かないとはいえ、各国の内戦は紛争勢力の「本来の意図とは関係のないところ」で、国境を超えた破壊的衝撃を伴う。しかも、対外的にダメージを与えるという意図に導かれていないだけに、内戦の発生を抑止するのは難しい。例えばサウジアラビアだ。世界一の石油資源を持つこの国で内戦が起きれば、油田地帯が戦場と化し、紛争勢力にその意図がなくても、世界経済は瞬く間に窒息する。しかもサウジアラビアで国内紛争が起きる可能性は現実に高い。われわれは、一刻も早く「安全保障上の脅威のすべてが、一貫した信条を持つ敵対勢力によって周到に準備されているわけではなく、具体的目的に導かれているわけでもなければ」、適切な政策をとれば抑止できる性格のものでもないことを肝に銘じるべきだ。内戦への対応を考えない限り、われわれにとって軍事的選択肢は、自国防衛の強化か予防的先制攻撃の二つしかない。

フクヤマの愚かな議論

1999年3月号

バーバラ・エーレンリック  作家 /ブライアン・ファーガソン  ラトガーズ大学人類学准教授

「遺伝的に攻撃的な性質を持つ男性に代わって、より穏やかで争いを好まない性質を持つ女性が政治に参加し、その比重が増していけば、国際関係はより平和になる」。フランシス・フクヤマは、論文「もし女性が世界政治を支配すれば」でこう主張した。フクヤマは、男性(オス)の攻撃性は遺伝子に組み込まれているとし、その例として、オランダやタンザニアで見られたオスチンパンジー同士の残虐な闘いや、数万年前からあったとみられる男性による大量虐殺を挙げる。しかも、環境や文化をつうじて、遺伝子に刻まれた男性の攻撃的な性格を克服する試みには限界があると主張した。人類学、そして広く社会科学全般が、性、民族、人種の普遍性を基盤に、思想や理論を組み立ててきただけに、フクヤマの指摘は大きな波紋をよんだ。以下は、文化や環境から人間が受ける影響、フェミニズム、そして人類学の立場からのフクヤマ論文に対する重厚な反論。

新エネルギー資源の誕生

1999年3月号

リチャード・G・ルガー 米上院議員  ジェームス・ウールジー 元CIA長官

いずれは枯渇する石油資源、とくに中東石油への依存は、安全保障、環境、経済のどの側面でみても好ましくない。幸いにも、遺伝子工学の進歩、そして生成技術の発展によって、これまでの穀物エタノールから、遺伝子工学を駆使したバイオマス・エタノールへのシフトが起きつつあり、いずれ石油への依存から離脱するのも夢ではない。「エネルギー熱量は若干低いとはいえ、オクタン価でみれば、バイオマス・エタノールはガソリンをはるかに上回り、より高い燃焼効率をも持つ。さらに、温室効果ガスの排出を大きく削減でき、空気の質も改善できる」
この「科学的ブレークスルー」を放置して、しだいに先細りとなりつつある中東の石油資源への依存を続けるのは、経済,環境,国際安全保障のいずれの面でも賢明ではない。環境に優しく、価格的にも問題のない、バイオマス・エタノール実用化の時代がすぐそこまで来ており,その実用化へ向けて全力を注ぎ込むべきである。

高齢化社会という灰色の夜明け

1999年3月号

ピーター・G・ピーターソン  外交問題評議会理事長

人口のほぼ一九%が高齢者で占められるフロリダ。これと同じ状況に先進諸国が直面するのは,そう遠い未来の話ではない。二〇〇三年にイタリア、二〇〇五年に日本、二〇〇六年にドイツがもう一つの「フロリダ」となる。イギリス、アメリカ、カナダもほどなくこれに続く。先進国社会の急速な高齢化がもたらす諸問題とコストは、投げだすのが合理的と判断しかねないほどにあらゆる意味で膨大である。各国の貯蓄は瞬く間に底をつき、財政が火の車になるだけではない。国内の政治力学、国際的資本の流れ、南北の力関係が逆転し、先進諸国から利他的な外交要素がなくなり、グローバルな安全保障が極度に不安定化する危険さえある。「自らの運命を管理し、より持続可能なコースへと道を変える時間的余裕があるうちに、現状を変革するしかない」。決断を下すべきは今で、「世界高齢化サミット」を開催し、この問題のための国際機関を設けることが急務だ。さもなくば、世界は「持続不可能な経済的負担と政治的・社会的苦難の後、悲痛な動乱の時代」へと突入することになりかねない。

経済制裁は外交に不可欠だ
――外交と経済ロビイスト

1999年3月号

ジェシー・ヘルムズ 米上院外交員会委員長

ワシントンの企業ロビイストは、アメリカ議会は「制裁依存症」にかかっており、「制裁という選択肢を前にすると欲望を押さえきれない」とまで言う。「世界の人口の四〇%強が何らかの形でアメリカの経済制裁の対象にされている」とする彼らの言い分が、いまや一人歩きをはじめている。だが、これは完全な間違いである。こうしたロビイストの意図は、アメリカの道徳性や国益を無視してでも、企業利益の最大化をはかることにある。だが、彼らは現実を知らない。アメリカ市民、そして、企業の大半も、経済利益よりも、大量破壊兵器、人権弾圧、テロリズムという脅威への対応の方が大切だと考えているのだ。「抑圧体制の独裁者に拷問の道具を買う金を与えてまで、新たな雇用など生み出す必要はない」。無責任にも外交政策に介入しようとするロビイストは「恥を知るべき」だろう。

「アメリカの核の傘は必要だが、駐留米軍の規模は削減していくべきだ」。これが細川元首相が『フォーリン・アフェアーズ』に寄せた「米軍の日本駐留は本当に必要か」の提言の骨子だった。同氏は、冷戦後、東アジアの国際関係が好ましい方向へと変化するなかで、米軍のプレゼンスに対する日米の認識の隔たりが生じ、大切な二国間関係を損ねる恐れがあると警鐘をならし、特に、九五年の特別協定(SMA)に基づく日本側の経費負担は、協定が期限切れになる二〇〇〇年以降は継続すべきではないと主張した。これに対して、マイク・モチヅキ氏、マイケル・オハンロン氏は、日米同盟への貢献の度合いはアメリカの方がはるかに高いとして、日本は必要なら憲法を改正してでも、同盟国としての安全保障上の責務を負うべきだと反論した(「細川氏の日米安保論は視野が狭い」)。以下は、細川氏の提言に対する山中あき子衆議院議員による反論。(注1)

本当に国家間に戦争は起きないのか

1999年2月号

ステフェン・M・ウォルツ  シカゴ大学政治学教授

超大国間の制度・イデオロギー、利害の対立を軸とする冷戦の終結、そしてフランシス・フクヤマに代表される「歴史の終わり」的見方に促されるように、人々は民主国家だけで構成される世界がどのようなものか、つまり、民主主義と平和の相関関係に思いを巡らすようになった。このテーマは学者の研究対象であるだけでなく、現実の政策にも大きな影響を与え得る。ここに取り上げた著作が指摘するように、制度や価値を共有する国家、つまり似たもの同士は戦争しないと考えるのは果たして賢明だろうか。「根本的に異なる国家が存在しなくなれば、民主国家間の摩擦や軋轢が目立つようになるのではないか」。利害の対立がより先鋭化すれば、特に、専制君主や独裁者に対抗して力を合わせる必要がなくなれば、むしろ、民主国間で不愉快な区別や差別がなされるようになると考えてもおかしくはないのではないか?

クリントン・スキャンダルと大統領制

1999年2月号

セオドア・C・ソレンセン  ケネディ政権・大統領特別補佐官

クリントン大統領は宣誓の下で、国民に対して嘘をついただけでなく、長官たちとホワイトハウスのスタッフにも嘘をついていた。国務長官、財務長官その他の高官たちは、真実を調査中の大陪審で、事実上、大統領への嫌疑が事実無根であることを繰り返し述べる羽目になった。数カ月後に真実が明るみに出たときの、彼らの苦悩は想像に難くない。「大統領の秘密を守る義務とは、彼に仕える公僕たちが、嘘をついたり、宣誓の下で偽証することではない。大統領の掲げる大義に高官が自らを捧げているとしても、犯罪に加担することを強制されることはありえないからだ」
ホワイトハウスという船が傾きかかっているときに、傷ついているのは大統領だけではない。国家も痛手を受けている。補佐官や側近がなすべきは、「大統領への忠誠」を正しく理解し、いかなる方法でどの程度路線を(正しい方向へと)修正できるかを考えることだろう。

カスピ海資源とOPECの教訓

1999年2月号

ジャハンガー・アムゼガー  元イラン大蔵大臣

アゼルバイジャン、カザフスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンという四つのカスピ海周辺諸国は、今後、間違いなく石油資源を中心とする経済ブームに沸き返ることになるだろう。だが、あり余る豊かさから、使い古しの雑巾のようなボロボロの状態へと至った石油輸出国機構(OPEC)の経験から教訓を学ばない限り、カスピ海周辺諸国もエネルギーブームの魅力が持つ危険な落とし穴にはまりこむことになろう。労なくして手にできる「石油地代」に惑わされたOPEC諸国は、社会保障や官僚制の肥大化、無節操な投資計画、効率性を欠いたインフラ整備プロジェクト、大規模な軍事支出など、財政上の「ブラックホール」を次々とつくりだした。その結果、莫大な資金を浪費して、今日の悲惨な現実に至っているのだ。OPECを反面教師として、カスピ海周辺諸国が堅実な経済運営を行い、市場経済に必要な透明性を備えた制度を確立していかない限り、限りある資源を持続可能な豊かさへ変えていくのは不可能である。

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