1994年以降に発表された邦訳論文を検索できます。

政治・文化・社会に関する論文

それは、2001年3月29日、米上院の外交委員会でのジョン・ボルトンの国務次官指名承認公聴会での出来事だった。バーバラ・ボクサー上院議員(民主党・カリフォルニア州)は、ボルトンが「国際連合などというものは存在しない」と過去に述べたことを引き合いに出し、この見解は「アメリカで主流の見解から大きくはずれている」とただした。

外交委員たちの厳しい質問への弁明を試みるボルトンに対して、後に民主党大統領候補となるジョン・ケリー上院議員(民主党・マサチューセッツ州)は、過去の発言からみて、あなたのここでの証言は「指名承認を得るための転向、変節ではないか」と迫る。ここで、ボルトンの強力な支持者で、国連批判を展開し、主権至上主義の急先鋒として知られる長老のジェシー・ヘルムズ上院外交委員長(共和党・ノースカロライナ州)が声を上げる。「ジョン、立場を変えてはいけない。彼らは君を陥れようとしている」(注1)。・・・

米外交問題評議会インタビュー
ブッシュ就任演説と対テロ戦争

2005年1月号

ジェームズ・リンゼー  米外交問題評議会研究部長

自由を拡大し、圧政を終わらせることを強調したブッシュ大統領の就任演説が内政ではなく外交問題に終始したことは、9・11がもたらした大きな環境の変化を反映しているとジェームズ・リンゼーは指摘する。リンゼーは、今回の就任演説はある種の期待や抱負のようなもので、具体的な戦略を意図したものではないと分析しつつも、就任演説は民主化を求める勢力を勇気づけることには成功したが、アメリカの自由や民主主義に関するダブルスタンダードをこれまでも批判してきたイスラム過激派との戦いでは、大きな問題をつくり出すことになるかもしれないと語った。民主主義や自由を促進すると表明しておきながら、それを抑圧している政権と緊密に協力していると批判されることになるかもしれない、と。
聞き手はバーナード・ガーズマンのコンサルティング・エディター。

キッシンジャーとサマーズが描く米欧関係の未来像

2004年5月号

タスクフォース共同議長 ヘンリー・キッシンジャー キッシンジャー・アソシエーツ会長
ローレンス・サマーズ ハーバード大学総長 プロジェクト・ディレクター
チャールズ・カプチャン 米外交問題評議会シニア・フェロー

米欧関係は、これまでになく緊張した局面にある。ヨーロッパ人の多くは、アメリカ人はヨーロッパに悪意をもっていると考え、一方アメリカ人の多くはヨーロッパ人の行動に反発し、ヨーロッパ側の脅威認識を的はずれだと切り捨てる。ヨーロッパでは、アメリカというハイパー・パワーを封じ込めるべきだという議論さえある。イラク戦争開始直後の二〇〇三年三月、米外交問題評議会は、キッシンジャー元米国務長官、サマーズ元米財務長官を共同議長に迎え、新しい局面を迎えている米欧関係に関するタスクフォースを組織した。邦訳文は、二〇〇四年三月に公表されたリポートに関するプレス・ブリーフィングからの抜粋・要約。リポート本文、プレス・ブリーフィングの全文(ともに英文)はwww.cfr.orgからアクセスできる。

米外交問題評議会インタビュー
アメリカは国際社会の信頼を失っている

2003年11月号

ズビグニュー・ブレジンスキー カーター政権大統領補佐官

「ブッシュ政権の最近の政策路線、政策の実行の仕方、政策を説明する際に使用されるボキャブラリー、テロという特定問題にばかりこだわる姿勢ゆえに、アメリカが本来世界で果たすべき役割が大きく損なわれている」。カーター政権の国家安全保障問題担当大統領補佐官、ズビグニュー・ブレジンスキーはアメリカは国際社会での信頼を失い、孤立していると現状を批判し、現政権はこれまでの路線を改める必要があると語った。「われわれに同意しないのは、われわれに反対しているのと同じだ」という前提で行動するのをワシントンは止め、穏健な外交を心がけ、知的な政策決定を可能とする信頼できる情報収集の枠組みを確立すべきだと指摘した。
同氏はワシントンの戦略国際問題研究所の顧問を務め、新著「ザ・チョイス」を近く出版予定。聞き手はバーナード・ガーズマン(www.cfr.orgのコンサルティング・エディター。二〇〇三年十一月十七日)

米外交問題評議会(CFR)は、イラク、北朝鮮、中東問題等を理解するための基礎知識、最新情報をQ&Aスタイルでウェブ(www.cfr.org)上でアップデートしている。Q&Aの一部の邦訳はフォーリン・アフェアーズ、ジャパンウェブサイト(www.foreignaffairsj.co.jp)からアクセスできる。以下は、CFRのウエブ・リソースからの抜粋。

ハーグのミロシェビッチ
――国際的正義の裁きで何が実現できるか

2003年9月号

ゲリー・J・バス プリンストン大学政治学助教授

第二次世界大戦後のニュルンベルク裁判の成功でさえ、多くの時間を必要とし、その判断が定着するには一世代という時間を要した。恐怖から口を閉ざし、裁判を受け入れずに過去を悔いていない者もいたが、子供たちの世代は、ニュルンベルクを正面から受け止めた。
今日のセルビアでも同様のことが起きるかもしれない。すでにミロシェビッチ後のユーゴには、民族主義的な国家像だけでなく、若者たち、女性を担い手とした競合する未来ビジョンが数多く存在している。

レビューエッセイ
民族紛争という神話

2003年9月号

チャールズ・キング ジョージタウン大学助教授

紛争をめぐる神話は比較的短期間で形成されることが多く、実際には、紛争が起きた後に文化的神話が人為的に持ち出されることがほとんどだ。
紛争を起こすことに対する自制は、一般にかなり大きく作用している。隣人に対して気が狂ったように立腹しても、武器を取るという事態にまではいたらないことのほうが多い。現実の紛争にいたるのは、通常、絶対に失えないもの(例えば、自分たちの故郷)を防衛しようとする場合で、何か欠けているもの(例えば、先祖が昔もっていた領土)を取り戻そうとして、そのような行為に及ぶことは少ない。

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