1994年以降に発表された邦訳論文を検索できます。

資本主義と民主主義の後退に関する論文

Classic Selection
21世紀は権威主義的資本主義大国の時代になるのか

2007年8月号

アザル・ガット テルアビブ大学教授

現在の中国とロシアは、日独が第二次世界大戦に敗れた1945年以降、姿を消していた権威主義的資本主義パワーの再来にほかならない。日独の場合、アメリカを相手にするには、人口、資源、潜在力があまりに小さすぎたが、中国とロシアは、日独よりもはるかに国家規模が大きいし、そもそも、権威主義体制下の資本主義のほうが民主体制下の資本主義よりも効率が高い。実際、日独という権威主義的資本主義国家が戦後も存続していれば、アメリカにとって、共産主義中央統制経済のソビエト以上に大きな脅威と課題をつくりだしていたかもしれない。中国とロシアに代表される権威主義的な資本主義国家が、近代性の進化をめぐってリベラルな民主主義の代替策を提示することになるかもしれないし、グローバル経済に自分のルールで関与するようになるかもしれない。リベラルな民主主義が、最終的に勝利を収めるという保証はどこにもなく、権威主義的資本主義がリベラルな民主主義に代わる魅力的な選択肢とみなされるようになる可能性もある。

新帝国主義というアメリカの野望

2002年10月号

G・ジョン・アイケンベリー ジョージタウン大学教授

保有する圧倒的なパワーと、テロという脅威の到来が、帝国主義の誘惑を大きくしている。だが、正統性もなく、戦後国際秩序の規範や制度を無視して、アメリカがパワーを思うままに行使すれば、いずれ敵意に満ちた国際環境が出現し、アメリカの国益を確保するのも難しくなる。アメリカの新帝国主義的大戦略はリーダーシップの実践というよりも、むしろたんなる軍事パワーの行使にすぎない。勢力均衡を重視するリアリズム、そしてリベラルな多国間主義を再評価し、成熟した大国として、他国の立場を大きく脅かさないように配慮しつつ、秩序の安定と国益を模索する戦略へと立ち返るべきだ。

グローバル経済の格差をなくすには

2002年2月号

ブルース・R・スコット ハーバード大学ビジネス・スクール教授

現在のグローバル経済では、勝ち組と負け組が必然的に出てくるし、1日1ドル足らずしか稼げない人々が世界にはほぼ10億人もおり、世界的な所得格差はますます拡大している。しかも、これを市場メカニズムで是正していくのは不可能である。問題の核心は、富裕国が移民と農産品輸入に対する障壁を設け、 一方で、発展途上世界の多くの政府が無能で効率性を欠いているために、外国資本を呼び込めずにいることだ。経済発展のためには制度の改革が必要であり、そのためには政治的・社会的近代化も必要になってくる。制度的不備こそが発展途上諸国の経済発展を妨げている大きな障害であり、外部からの助言や援助も制度面での整備に配慮したものとする必要がある。

テロの経済への影響はどうなる

2001年11月号

ゲイル・フォスラー コンファレンス・ボード上席副社長  ヘンリー・コーフマン ヘンリー・コーフマン&カンパニー社長  ポール・ボルカー 前連邦準備制度理事会議長

二〇〇一年十月二日、ニューヨークの米外交問題評議会で開かれたミーティングプログラム議事録からの抜粋。

国を盗んだロシアのエリート

1999年11月号

アンダース・アスルンド  カーネギー国際平和財団上席研究員

ソビエト崩壊期にすでに巨万の富を手にしていた旧ソビエトの特権階級は、国の崩壊こそ気にかけなかったが、その後、ロシアという新生国家そのものを買収してしまった。規制の悪用、特権的輸出、補助金と、新興成り金たちが国から大金をせしめ、個人の懐に収める機会はいくらでもあった。彼らは数多くの政治家や役人に賄賂をばらまいては富を増やしていくとともに、「自分たちの利益独占状態に終止符が打たれるのを恐れて」、経済成長を促し国民の生活向上につながるはずだったリベラルな経済改革路線を妨害する試みにでた。こうした窃盗行為と無分別な外貨の流入の結果が、一九九八年の金融危機だった。ロシアの問題を市場が自由化されすぎたことに求めるのは、お門違いである。問題は、自由化が進展せず、大きな政府がつくりだす過剰な規制がいまだに存在し、それが汚職の温床となっていることなのだ。経済・金融危機はこうした現実をどのように変えたのだろうか。そうした変化は、ロシア経済と社会を健全化へと導くのだろうか。

本当に国家間に戦争は起きないのか

1999年2月号

ステフェン・M・ウォルツ  シカゴ大学政治学教授

超大国間の制度・イデオロギー、利害の対立を軸とする冷戦の終結、そしてフランシス・フクヤマに代表される「歴史の終わり」的見方に促されるように、人々は民主国家だけで構成される世界がどのようなものか、つまり、民主主義と平和の相関関係に思いを巡らすようになった。このテーマは学者の研究対象であるだけでなく、現実の政策にも大きな影響を与え得る。ここに取り上げた著作が指摘するように、制度や価値を共有する国家、つまり似たもの同士は戦争しないと考えるのは果たして賢明だろうか。「根本的に異なる国家が存在しなくなれば、民主国家間の摩擦や軋轢が目立つようになるのではないか」。利害の対立がより先鋭化すれば、特に、専制君主や独裁者に対抗して力を合わせる必要がなくなれば、むしろ、民主国間で不愉快な区別や差別がなされるようになると考えてもおかしくはないのではないか?

市民的自由なき民主主義の台頭

1998年1月号

ファリード・ザカリア/フォーリン・アフェアーズ誌副編集長

いまや尊重に値するような民主主義に代わる選択肢は存在しない。民主主義は近代性の流行りの装いであり、二十一世紀における統治上の問題は民主主義内部の問題になる公算が高い。目下、台頭しつつある市民的な自由、つまり人権や法治主義を尊重しない非自由主義的な民主主義が勢いをもつようになれば、自由主義的民主主義の信頼性を淘汰し、民主的な統治の将来に暗雲をなげかけることになるだろう。選挙を実施すること自体が重要なのではない。選挙を経て選出された政府が法を守り、市民的自由を尊重するかどうか、市民が幸福に暮らせるかどうかが重要なのだ。行く手には、立憲自由主義を復活させるという知的作業が待ちかまえていることを忘れてはならない。もし民主主義が自由と法律を保護できないのであれば、民主主義自体はほんの慰めにすぎないのだから。

民主主義の道徳的危機

1994年10月号

チャールズ・メイヤー ハーバード大学教授

冷戦における勝利も、いまや排外主義の台頭、伝統的政党への不信、政治に対する冷めた態度などによって急速に色あせたものとなりつつある。実際、われわれは「政治からの逃避、論争に対する嫌気、主張をめぐる信念のなさ、論争の結果に対する不信、論争に加わる人々への蔑視」といった態度が幅をきかすような民主主義の「道徳的危機」のただなかにある。
 変化や進歩を許容できるような改革主義が否定されてしまっているため、市民たちは、民族、イデオロギー上の多元主義状況を否定的にとらえだしている。現状が続けば、サミュエル・ハンチントンが指摘するような「文明の衝突」というゆゆしき事態に直面することになりかねない。
 この憂鬱な予測を覆すには、われわれは、「民族問題だけでなく、市民社会の不完全な状態の(改善に向けた)コミットメントを示し、保護主義への傾斜を回避し、民族性や文化的なつながりを超えた共通の大義を推進していく必要がある」。

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