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アフリカに関する論文

リビアの安定を 左右する原油生産の再開

2011年10月号

エドワード・モース シティグループ グローバルコモディティ研究担当マネージングディレクター、 エリック・G・リー シティグループ リサーチ・アナリスト

カダフィ時代のリビアでは、原油輸出からの歳入が輸出利益のほぼすべてだったし、金額でみればGDPの4分の1にも達していた。つまり、国際社会がリビアの外国資産の凍結を解除しても、石油の歳入がなければ、新政府は社会サービスを提供することも、傷ついたインフラを再建することも思うに任せないはずだ。そして、いつ原油生産を再開できるかは、カダフィ後の政治が安定するかどうかに左右される。全般的にみれば、考えられているよりも早く、生産は再開されるだろう。だが、紛争前と同じレベルの原油を生産できるようになるには12-18カ月はかかる。すべては、NTC(国民評議会)が石油からの収益を適切に管理し、正統性を確立できるかどうかに左右される。

食糧危機、ドル安、金融危機に翻弄される人道援助
―― なぜ支援がそれを必要としている人々に届かない

2011年9月号

ローリー・ギャレット 米外交問題評議会グローバルヘルス担当シニア・フェロー

飢饉がアフリカ東部を襲い、緊急食糧支援、人道支援が必要とされているにも関わらず、必要としている人々のもとに支援がうまく届いていない。理由は多岐にわたる。2002年と現在の価格を比較すると、米の国際価格は204%、小麦は164%、トウモロコシは260%上昇していることからも明らかなように、穀物価格が軒並み上昇している。しかも、援助が通常ドル建てで行われるために、昨今におけるドル価値の低下は、同じドルで調達できる穀物の量が小さくなっていることを意味する。さらに、人道的危機に対しては大規模な援助をしてきたイタリア、スペイン、ポルトガル、ギリシャ、アイルランドなどは、国が破綻するのを避けるために対外援助を打ち切らざるを得ない状況に追い込まれている。しかも、武装勢力が人道支援活動にとって障害を作り出している。これらは、アフリカの角地域でかつてなく大規模な飢饉が起きているにも関わらず、食糧援助の対象にできる人々の数が大きく減少していることを意味する。問題は、こうした複合危機解決の糸口が見えないことだ。・・・

新興国という無責任な利害共有者 ―― 時代は「協調なき、多極化」へ

2010年12月号

スチュワート・パトリック / 米外交問題評議会シニア・フェロー

アメリカのパワーが衰退していくにつれて、台頭する新興国は既存の制度を試し、弱め、改革して自分たちの目的に合致するように作り替えようと試み始めている。既存の大国と新興大国の間だけでなく、新興大国どうしの戦略的ライバル関係も高まりをみせている。各国が演じているゲームは一つではない。金融改革や対テロでは協調するかもしれないが、市場シェア、戦略資源、政治的影響力、軍事的優位をめぐっては競いあっている。問題は、アメリカを含む先進国が、パートナー、そしてライバルとしての二つの顔を持ち、国際社会での発言権を強化したいと望みながら、一方では自国を途上国と定義する新興諸国との関係をどのように管理していくかだ。新しい国家を制度に取り込む一方で、可能な限り、これまでの秩序を維持していくには、2世紀前のヨーロッパの大国間協調がそうだったように、常に綱渡りをしているような細かな配慮が必要になる。

民族と腐敗で引き裂かれた国家
―― ケニアの国家統合への長い道のり

2010年9月号

ジョン・ジソンゴ 元ケニア政府統治・道徳(反政治腐敗) 担当事務次官

2003年に発足したケニアのキバキ政権は、学校、道路など経済開発のハードウエアを提供することに成功したが、利権を独占し、国としての一体感や連帯というソフトウェアを育めなかった。指導者が政治腐敗にまみれているケニアは、世界的にみても、もっとも大きな経済格差に苦しみ、民族ラインで社会が分裂し、人口構成がいびつなまでに若年層に偏っている。こうした不幸な現実に対する怒りで煮えたぎっていた大釜が、2007年の大統領選挙の混迷に刺激されて、吹きこぼれ、大規模な社会暴力に国が覆われてしまった。その結果、ケニアはかつて経験したことのない国家的な危機に直面した。この事態を前に国連が介入し、いまは連立政権が曲がりなりにも存在する。だが、この連立政権は、民主主義が機能した結果ではなく、それが失敗した結果を象徴している。必要なのは、人々に国家の構成員としての一体感を植え付けることだ。「犯罪がまん延し、日常化しても、国が現在の問題に飲み込まれて内側から崩壊するようなことはない」と人々が確信できるような力強いビジョンをケニアは必要としている。

HIV・エイズ対策優先か、
他の援助との バランスをとるか、それが問題だ

2010年9月号

プリンストン・N・ライマン 元駐ナイジェリア米国大使
スティーブン・B・ウィテルズ 米外交問題評議会(CFR)リサーチフェロー

2005年、G8はアフリカのHIV感染者全員にARV(抗レトロウイルス薬)を投与することにコミットする宣言を発表した。だが、感染者数が犠牲者数を上回る限り、ARV投与が必要になる人々の数は劇的に増えていくし、しかも、ARV投与は一生続けなければならない。これは、主にアフリカにいる数百万人のHIV感染者の生死が、財政赤字に苦しむ先進諸国、とくに米議会が援助予算を認めるかどうかに直接的に左右されるようになることを意味する。HIV対策が他の疾病や開発援助用の予算を奪い取っている部分があるだけに、優先的に扱われるHIV感染者へのアフリカでの反発が高まる危険もある。状況を整理しない限り、優れた人道主義的構想が、予期せぬ問題を招き入れる恐れがある。

善意に根ざしているにも関わらず、援助が適切に用いられる条件が整っていなければ、援助は世界の貧困国を助けるのではなく、ますます追い込んでしまう。歴史が何らかの指針になるのなら、貧困に対する戦争を闘う主要な武器は先進国からの援助ではなく、途上国における政策路線のリベラルな改革だ。その理由を知りたければ、最近における中国やインドの成長と、一方で停滞に苦しむアフリカの途上国のコントラストに目を向ければよい。援助を被援助国の健全な開発政策とうまくリンクさせ、援助を適切に使う意思をもつ国に対してだけ供与するのなら、開発援助も貧困国の助けになる。重要なのは、援助を注ぎ込むにために世界的なキャンペーンを行うことではない。途上国の市民や指導者が、自分たちの運命を形づくるような経済政策の改革とその実施という選択を、襟を正して下すかどうかだ。

核不拡散と原子力の平和利用を両立させる道はあるか

2010年3月号

チャールズ・ファーガソン 米科学者連盟会長

非核保有国が原子力発電用の原子炉を調達すれば、その分、核不拡散のリスクは高まっていく。原子力発電に切り替えるだけでは、有効な地球温暖化対策とはなり得ないが、原子力発電を新たに試みるに適した国が、厳格な安全基準、管理体制、核不拡散のガイドラインを受け入れるのであれば、核拡散のリスクを伴うとしても、原子力の平和利用を認めざるを得ない。また、核拡散を防ぐには、核能力を獲得することが自国の安全保障問題への解決策だと考えている国の安全保障上の不安を取り除き、核兵器を保有すれば国際関係において大国と同等の立場を手に入れられるとする間違った認識を正していく必要もある。この観点から、国連安保理の常任理事国に日本のような核を保有していない地域大国を迎え入れることも考えるべきだ。国際コミュニティは地域大国が抱く不安を取り除き、核を保有することで得られる過大な名声を剥ぎ取り、原子力エネルギーに非核保有国が抱く不合理な期待を引き下げていくように努力すべきだろう。そうすることで、核廃絶のビジョンを支えていくことができる。

女性を助ければ、途上世界が救われる

2010年3月号

イソベル・コールマン 元米外交問題評議会(CFR)シニア・フェロー

途上国の女子教育への投資は、経済成長を促し、貧困の悪循環を断ち切るうえで極めて有効な策だ。教育を受けた女性たちの場合、一人あたり出生数は少なく、産婦死亡率も低く、彼女たちは、家族の食事、健康、教育にも力を入れる。その結果コミュニティー全体に好循環が生まれる。こうした事実に世界銀行、ビル&メリンダ・ゲイツ財団、CAREといった主要な援助機関だけでなく、企業も気づき始め、途上国の支援対象としての女性の役割に注目するようになった。女性のエンパワーメント(権利擁護と社会的解放)を大きな社会経済的成果へと結びつけた中国とルワンダという実例もある。途上国の女性への教育に援助の焦点を合わせるべき根拠は数多くある。

CFRインタビュー
IMFのグローバル経済への
影響力は高まるのか?

2009年11月号

エドウィン・トルーマン ピーターソン国際経済研究所シニアフェロー

IMFが各国のグローバル経済再生に向けた対策の監視と評価をするとしても、すべてはトリッキーだ。なにせ相手は主権国家だ。しかも、内需と外需のバランスに焦点をあて、為替レートにさえ口出しするとなると、スムーズにいくはずはない。大きな問題は、例えば、IMFが中国に対して「貴国の経常黒字が急速に増大している以上、より迅速に為替を適正なレベルへと向かせるべきだ」と言えるかどうか、そうして、アドバイスを受けた国がそれを聞き入れるかどうかだ。・・・これから半年後に監視と評価をめぐってIMFに何か言われたからといって、アメリカの大統領や財務長官が「わかった。IMFの言うとおりだ。早速予算を見直そう」と言うはずはない。

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