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2011年9月号(5)漂流する日本の政治

2011-08-24

漂流する日本の政治
2011.8.24公開

「日本政府には、『自分の責任において決断する』と言える人が誰もいない」・・・震災直後の5~6日間、政府内の原発危機「担当者は誰もいなかった」。これは、元米国外交官、ケビン・メアがウォール・ストリート・ジャーナル日本語版に最近語ったコメントだ。(「普天間から福島まで、代償の大きい日本の優柔不断=メア氏」)

メアのコメントは、震災が起きた当時、われわれの多くが漠然と感じていたことが真実だったことを裏付けているように思えるし、これは、これまでも多くの外国人オブザーバーが、日本政治の問題として指摘してきたポイントでもある。

例えば、K・V・ウォルファレンは1986年に、日本には「国家的意思決定の最終責任を引き受ける政府が存在しない」と痛烈に批判した。

MITの日本問題の研究者、リチャード・サミュエルズ他も、次号に掲載する論文で次のように指摘している。「改革によって(官僚主導から政治主導への)制度上の明確な権限移譲が実現するどころか、むしろ政治家の抗争、政治家と官僚の抗争が誘発され、その結果、権力の空白が生じ、政府の政策決定能力が損なわれている。・・・・問題は、政治家の政策立案能力がまだ十分ではないことだ」。

これに関連して紹介したいのが、次号に掲載する「原発事故が子供たちと経済に与えた影響―チェルノブイリの教訓」だ。これは、1986年のチェルノブイリ事件からわずか5カ月後の段階で、核不拡散問題の専門家、ベネット・ランバーグが、主に公開された資料を用いてまとめた論文だ。

驚くべきは、爆発にいたる経緯、ソビエトによる初動対応、放射能の人体への影響、汚染対策、事故の経済コストを、当時はまだ冷戦下だったにも関わらず、アメリカの研究者が事故からわずか半年程度の段階で、詳細にしかも的確にまとめていることだ。当時のゴルバチョフ書記長の下、ペレストロイカが進められ、特にチェルブイリ事故をきっかけにグラスノスチ(情報公開)が進展したことを考慮しても、これには驚くしかない。

一方、日本で原発事故が起きて、ほぼ5カ月以上が経過した。日本の原発事故が、チェルノブイリとは違って、地震とツナミという災害後に起きたこと、危機がいまも収束していないことを考慮しても、それがどのようにして起き、どのような初動対応がとられ、いかに爆発と放射能の大気への拡散阻止が試みられたか、そして、市民をどのように守ろうとしたかをめぐる包括的ドキュメントを、われわれはいまも目にしていない。報道で知り得る多くは断片情報でしかなく、それも時に矛盾していた。

日本政治の問題の本質は、「政治家の政策立案能力がまだ十分ではないこと」なのか、それとも、依然として「国家的意思決定の最終責任を引き受ける政府が存在しない」のか。(FAJ編集部)

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