Issue in this month

2008年4月号 不透明な環境が促す経済モデル論争とナショナリズム  

2008-04-10

「それは日本から始まった」。日本が経済的に成功し、その成功が、韓国、台湾、香港、シンガポールという四小龍の成功を刺激した。その後、成功の波は東南アジアへと広がりをみせ、そして、東南アジアの成功に刺激されたのが中国だった。
かつてシンガポールの国連大使を務めた「アジアの論客」、キショール・マブバニの「アジアモデル」のストーリーは、さらに続く。「今度はインドが自分たちの番だ」と言い始め、「西洋を模範とする道を歩むか、それともオサマ・ビンラディンに従うしか道はない」とこれまで考えていたイスラム教徒たちでさえも、いまや「中国やインドに続こう」と考えだしている、と(「アメリカはアジアの台頭にうまく対応できるのか」)。

彼が言うほど、事実は単純ではないかもしれないが、このとらえ方は少なくとも日本人にとっては、アジアの一部として日本が位置づけられていることのわかりやすさ、忘れかけていたものを呼び起こされたときに感じる新鮮さはあるかもしれない。

1970年代までは、西側のメンバー国、アジアの経済発展を主導した国、そして、経済急成長を続ける国としての日本のアイデンティティー(自画像)は、多分に自信過剰気味だったとしても、比較的安定していた。だが、その後、冷戦は終わり、バブル崩壊とともに日本経済は失速し、経済が成熟していくにつれてかつてのような高度成長は望みようもなくなった。日本にかつての勢いはなくなり、自画像は曖昧化し、日本発アジアモデルも忘れ去られていく。

そして、世界も冷戦後の、複雑で曖昧な時代へと足を踏み入れていった。市場経済改革を進める途上国には資金が舞い降り、経済成長が刺激されるとした冷戦後の「ワシントン・コンセンサス」モデルは短命に終わり、新たな南米経済モデルを標榜したウゴ・チャベスの左派革命の勢いも失速しつつある(「チャベス革命の虚構」〈日本語版2008年5月号掲載予定〉)。一方で、マブバニの言う「中印が主導するアジアモデル」だけでなく、グローバル化が伴う経済格差という問題を前に、福祉国家デンマークの富の再分配モデルが「コペンハーゲン・コンセンサス」として注目され、中国やロシアなどの権威主義経済モデルもさまざまな分析の対象とされている(「中国の台頭と欧米秩序の将来」〈日本語版2008年1月号掲載〉)。

9・11に象徴されるイスラムと西洋の対立、サブプライムローンに端を発する金融危機、政府系ファンドと保護主義の台頭に象徴されるグローバル経済の流動化という現象が交錯する昨今の不透明な環境のなかで、新たなモデルが模索されていることに不思議はない。

複雑で曖昧な環境では、新たな政治・経済モデルが指針として模索されるだけでなく、国や民族もアイデンティティーを模索するようになる。近代化の進展や環境の変化によって「異なる何か」に接するようになるとアイデンティティーの見直しが刺激されるからだ。

そうした環境で台頭しがちな民族ナショナリズムは、とかく紛争を引き起こす国際政治の危険因子と考えられてきた。ただし、環境の変化が触発する民族主義は、多分に(ミロシェビッチのような)デマゴーグや政治指導者が煽り立てるもので、そこには人為的な側面もあると考えられてきた。

だが、歴史学者のジェリー・Z・ミューラーは、そうした民族主義、とりわけ、民族単位での国家樹立を目指すエスノナショナリズムは「近代国家の形成プロセスが表へと引きずり出す人間の感情と精神にかかわる本質であり、連帯と敵意の源である」とし、永続的力を今も持っていると「なぜ民族は国家を欲しがるか」で強調している。結局、各民族が国を持たない限り、紛争がなくなることはあり得ず、民族単位に国を分割するしか秩序を安定化させる方法はないと、ミューラーは論争を誘発しそうな挑発的な議論を示している。

一方でミューラーは、民族的に均質な国家では、市民が言語や文化を共有しているだけに、社会のバイタリティーが損なわれて「文化的孤立を深め、とかく他者との関係をゼロサムゲームでとらえるようになる」とその弊害も指摘している。たぐいまれな民族的均質性を持つ日本の閉塞感と脱力感は、これである程度説明できるのかもしれない。均質国家における安定の代価が、文化的孤立に伴う閉塞感と脱力感、そして利己的な他者への視線だとすれば、日本は、「日本から始まった」アジアモデルからすでに取り残されていると考えるべきだろう。●

(C) Foreign Affairs, Japan

一覧に戻る

論文データベース

カスタマーサービス

平日10:00〜17:00

  • FAX03-5815-7153
  • general@foreignaffairsj.co.jp

Page Top