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なぜ民族は国家を欲しがるか
――歴史を規定しつづけるエスノナショナリズムの力

ジェリー・Z・ミューラー 米カトリック大学歴史学教授

Us and Them

Jerry Z. Muller 米カトリック大学・歴史学教授。最近の著作に、資本主義とヨーロッパの思想を分析した"The Mind and the Market: Capitalism in Modern European Thought"がある。

2008年4月号掲載論文

「(いまや世界各国で)都市化が進み、識字率が上昇し、政治的に民族集団を動員することも容易になっている。こうした環境下で、民族集団間に出生率や経済成長の格差が存在し、これに新たな移民の流れが加われば、今後も、国の構造や国境線がエスノナショナリズムによって揺るがされることになる。……エスノナショナリズムは、近代国家の形成プロセスが表へと引きずり出す人間の感情と精神にかかわる本質であり、連帯と敵意の源である。形は変わるとしても、今後長い世代にわたってエスノナショナリズムがなくなることはあり得ないし、これに直接的に向き合わない限り、秩序の安定を導き出すことはできない」

  • 衰えを知らぬエスノナショナリズム <部分公開>
  • アイデンティティーの政治学
  • エスノナショナリズムの台頭
  • 帝国の解体と民族浄化の始まり
  • 戦後も続いたエスノナショナリズムの潮流
  • 非植民地化とその後
  • エスノナショナリズムは必要悪か
  • 新たな民族混在現象
  • エスノナショナリズムの今日的意味合い

<衰えを知らぬエスノナショナリズム>

自らの経験を基盤に世界をとらえがちなアメリカ人は、エスノナショナリズム(国と民族を同一視する民族主義運動)が政治に果たす役割を見くびっている部分がある。これは、アメリカでは多様な民族的背景を持つ人々がひしめき合いながらも、比較的平和な環境のなかで暮らしているためかもしれない。確かに、移民2世、3世の時代になると、移民の民族アイデンティティーはアメリカ文化への同化や民族間の結婚が進むことで弱まっていく。他の地域でも状況はそう変わらないとしてもおかしくはないが、実際にはそうではない。

アメリカ人は、民族を基盤とするナショナリズムは思想的にも道義的にも不快なものだとみなしている。実際、社会科学者たちは、エスノナショナリズムは人間の本性に根ざすものではなく、(デマゴーグや政治指導者が)「人為的につくりだした文化」によって誘発されることを実証しようと、かなり詳細な研究を行っているし、道義・道徳を重視する人々も狭義な集団志向に基づく価値システムを軽蔑し、逆に、コスモポリタニズム(世界主義)を標榜している。

だがそれでも、エスノナショナリズムは一向に衰える気配がない。たしかに、最初から新天地になじもうとする心づもりを持ってアメリカへと移住してくる人々は、新天地の生活になじめるように自らのアイデンティティーを変化させていく。しかし、自分の先祖が数世代にわたって暮らしてきた土地に今も暮らす人々は、民族意識を政治的アイデンティティーの基盤に据えている。このために、政治権力を求めて各民族集団が競い合うことになる。仮に民族国家を成立させることに成功するとしても、民族国家間の平和的な地域秩序を形成するには、暴力的な民族分離策がとられることが多い。一方、そうした民族分離策が取られていない国では、政治状況は非常に不安定なままとなる。

20世紀ヨーロッパ史の一般的かつ有力な解釈では次のように考えられている。

「1914年、1939年の2度にわたって世界大戦へと拡大していく紛争がヨーロッパで起きたのは、エスノナショナリズムのせいだった。このため、ヨーロッパ人はこうしたナショナリズムを危険思想とみなすようになり、しだいにこれを放棄していく。事実、戦後になると西ヨーロッパ諸国は、自らをさまざまな多国間機構のネットワークに織り込んでいき、これが最終的に欧州連合(EU)として結実した。ソビエト帝国の崩壊後は、こうしたトランスナショナルな枠組みが東方へ拡大し、ほとんどのヨーロッパ大陸を内包するようになった。かくしてヨーロッパは『ポスト・ナショナリズム』の時代を迎えた。これはヨーロッパ人にとって大きな成果だっただけでなく、他の地域にとっても重要なモデルとなった」

この解釈では、平和的でリベラルな民主的秩序を実現するうえで、エスノナショナリズムは悲劇的な回り道を人類に強いたが(もはやそうした思想は過去のものだという考えが前提とされている)。

このストーリーを信じているのは教育レベルの高いヨーロッパ人だけではない。教養あるアメリカ人もこの考えを受け入れている。例えば、最近でも、歴史家のトニー・ジュドは「ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス」紙で、「イスラエルはユダヤ国家であるという主張を取り下げて、パレスチナ人とともに、複数民族が共存できる空間をつくるべきだ」と指摘し、次のように述べている。

「イスラエルは、個人の権利、開放的な国境、国際法によって規定されている進化した世界に、19世紀の分離主義プロジェクトの特質を適用することで問題をつくりだしている。ユダヤ国家という概念そのものが時代錯誤なのだ」

だが、アフリカ人やアジア人がヨーロッパ大陸に上陸しようとスペインやイタリアの海岸に押し寄せ、その途上で毎年数百人が命を落としているという事実は、ヨーロッパの国境線が実際には開放的ではないことを意味する。

1900年当時、ヨーロッパには、特定民族が多数派としての立場を確立していない国が数多くあったが、2007年までには、そうした国はわずか二つ残されるだけとなった。しかも、その一つであるベルギーも今や分裂の危機に直面している。つまり、厳格な市民法によって民族間のバランスが保たれているスイスを例外とすれば、ヨーロッパでは、一般に考えられているほど分離主義プロジェクトが消滅したわけではない、ということだ。

1945年直後には、ヨーロッパにおけるエスノナショナリズムは抑え込まれるどころか、多くの意味でその最高潮に達した。冷戦期におけるヨーロッパの安定は、実際には、エスノナショナリストのプロジェクトが広くその目的を達成したからにほかならない。だが冷戦終結以降は、エスノナショナリズムが再度ヨーロッパの国境線を揺るがすようになり、この流れは今も続いている。

端的に言って、エスノナショナリズムは、一般に理解されている以上に、近代史において奥深くて永続的な役割を果たしている。民族的に均質な国家が多く誕生しているのはこのためだし、民族的に均質でない国では民族集団による分離主義運動は今後も続くと考えられる。都市化が進み、識字率が上昇し、政治的に民族集団を動員することも容易になっている。こうした環境下で、民族集団間に出生率や経済成長の格差が生じ、これに新たな移民の流れが加われば、今後も、国の構造や国境線がエスノナショナリズムによって揺るがされることになる。このようなことを言うのは政治的に適切かどうかはわからないが、エスノナショナリズムは、21世紀においても世界秩序を規定し続けることになるだろう。

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