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2006年10月号 政治・外交ファクターとしての宗教の台頭と文明の衝突  

2006-10-10

敗戦から間もない1948年、日本のアメリカ研究の父と言われる高木八尺は、フォーリン・アフェアーズ誌に寄せた論文で次のように指摘していた。「日本人は、自分たちの道徳律にキリスト教の精神を組み込むような精神革命を必要としている。……アメリカの民主主義はピューリタニズムを背景とするキリスト教の信条によって支えられている。……日本人がこの事実を認識するまでは、民主主義の本質は理解されないだろう」(注1)。ほぼ60年後の現在、日本が民主主義の本質を理解できているかどうか、形骸化する社会的道徳律をうまく再確立できているかどうかはともかく、「政治・外交ファクターとしての宗教」は、イスラム世界だけでなく、アメリカやヨーロッパでも間違いなく大きくなりつつある。
その理由は、9・11によってキリスト教世界とイスラム世界の接触が増え、アメリカがイスラムの地に足を踏み入れたからだけではない。ヨーロッパへのイスラム系移民の増大もその理由の一つだろうし、アメリカで「教義よりも道徳律を重視するリベラルなプロテスタンティズムの思想」が衰退して、より教義を重視するキリスト教福音派が台頭していることもその理由に挙げられるだろう。
ここで問われるのは、民主国家における宗教多数派としての福音派の政治力が、内外のアメリカの路線にどのような影響を与えるかだ。キリスト教福音派の台頭を検証したウォルター・ラッセル・ミードは、いまや「リベラル派よりもアメリカの例外主義を、リアリストよりもアメリカ外交における道徳性を重視する」福音派が台頭し、良くも悪くも、すでにアメリカの人道主義・人権外交、環境政策、そしてイスラエル路線に影響が出ていると分析している。
イスラエルへの共感がアメリカの宗教指導者や知識人の間で薄れてきているのに、なぜワシントンはイスラエル支持を強めているのか。これを説明する要因として、リアリストとして知られるジョン・ミアシャイマー(シカゴ大学)とスティーブン・ウォルト(ハーバード大学)が「ユダヤロビー」の存在を挙げたことで、すでにアメリカでは今年の春頃から大きな社会論争が起きていた(注2)。だが、ミードは、その理由を、「福音派が政治的、社会的な影響力を強める一方で、キリスト教リベラル派と世俗派知識人が影響力を失いつつある」ことに求めている。ミードによれば、「福音派の多くは、創世記にある預言はいまも実現へと向かっており、アブラハムの神は、アメリカがイスラエルを祝福すれば、アメリカは祝福されると教えていると考えている」(「アメリカは神の国か?」)。
ヨーロッパも宗教に揺れている。ローマ法王が9月中旬にドイツで行った講義で、「預言者ムハンマドがもたらしたのは邪悪と残酷だけだ」というフレーズを引用し、イスラム教と暴力を結びつけるかのような発言をしたからだ。フランス政治でも基本的に同じ現象が起きている。ステファニー・ジリは、「ヨーロッパ生まれのジハードの戦士」の誕生ゆえに、フランスではイスラムテロとイスラム教徒が安易に結びつけられ、ヨーロッパで暮らす多くのイスラム教徒がヨーロッパ社会に賢明に溶け込もうとしていることに目がいかなくなっていると批判し、フランス政治の病巣を描きだしている(「フランスのイスラム教徒問題」)。
サミュエル・ハンチントンが指摘したように、異なる文化や文明が接触すると、交流が促される一方で、反発と内的結束、そして対立が生み出されがちなのは避けられないのかもしれない。だが、いかなる宗教であれ、「社会的道徳律を支える宗教観」と「宗教的教条主義」は現実的に区別する必要がある。その理由は、「宗教的教条主義を前提とする政治・外交ファクターとしての宗教」が大きくなっていけば、それこそ文明が衝突することになるからだ。●
(注1)Takagi Yasaka, “Defeat and Democracy in Japan” ,Foreign Affairs, 26 (July 1948)
(注2)www.lrb.co.uk/v28/n06/mear01_.html

(C) Foreign Affairs, Japan

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