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2004年6月号 オクシデンタリズムとは何か

2004-06-10

西洋世界にとって「異質な何か」を象徴する存在といえば、いまも昔も(アジアから中東へと至る)「東の世界」であろう。評論家の故エドワード・サイードの「オリエンタリズム」は、そうした西洋における東へのイメージの問題点を鋭く指摘したことで有名だが、一方で、オクシデンタリズム(東の世界における西洋へのイメージ)もここにきて注目されている。
一九九〇年代の「アジア経済の奇跡」は、東と西の価値やエトスについて双方が考える機会を提供し、日本でも人類学者の青木保氏が『逆光のオリエンタリズム』(岩波書店)でアジアにおけるオクシデンタリズムを鋭く分析した。そして9・11を契機に、それまでは主に人類学者の研究テーマにとどまっていた「中東におけるオクシデンタリズム」が広く社会的に議論されるようになった。イアン・ブルマとアビシャイ・マルガリットによる『オクシデンタリズム――敵の目に映る西洋の姿』もそうした著作の一つだ。
ジャーナリストのブルマは「オクシデンタリズム」をテーマに行われた米外交問題評議会での討論会で、中東のオクシデンタリズムが特に危険なのは、イスラム主義者たちが西洋のことを、冷酷で、合理主義的で、人の心をもたない「自分たちの(文化に根ざした)固有の社会に毒をまき散らす存在」とみなし、「西洋を根絶すべきだと考え」ていることだと指摘している。
ブルマは「オクシデンタリズムとは、状況に対する普遍的な解決法があると主張する大きな力をもつ思想に対して特定のコミュニティーが屈辱感をもつことによって生じる感情」であると定義しているが、この認識は政治学者ジョン・アイケンベリーによるアメリカ帝国論「アメリカ帝国という幻想」を読む際のよい指針にもなるだろう。
ラス・ウェッジウッドとケネス・ロスという二人の法律の専門家による論争「テロリストは『敵の戦闘員』か、犯罪者か」も、テロという「異質な何か」に直面した世界がこれに法律的にどう対処していくべきかを争点としている。二人の議論からわかるとおり、テロリストに戦時ルール、平時ルールのどちらで対処するかをめぐっては混乱がある。さらに言えば、イラク人の捕虜虐待問題も、本を正せば、イラク戦争が独裁者に対する戦争だったのか、対テロ戦争の一環だったのかがいまも曖昧であることと無関係ではない。
米大企業がとる行動が普通のアメリカ人にとってさえ「異質な何か」に思えることもあるようだ。アメリカであれ、日本であれ、国内におけるアウトソーシング(業務の外部委託)はもう珍しくはない。だが、米企業は生産拠点だけでなく、企業のカスタマーセンター、ソフトウエア開発部門なども次々と国外へと移しつつある。
「米企業は経済のグローバル化を利用し、アメリカの労働者を犠牲にしてでも企業利益を拡大しようとしているのではないか」。この疑問にエコノミストならノーと答えるが、選挙を控えた政治家は大衆の懸念に迎合しがちであると政治学者のダニエル・ドレズナーは「外国へのアウトソーシングと雇用」で指摘し、アウトソーシングを雇用流出としかみない批判派の言い分に屈し、保護主義政策が導入されれば、「低成長、低所得、そして雇用不足という……悲惨な事態に直面することになる」と警鐘を鳴らしている。
「異質な何か」に直面したときに、自分との違いではなく、共有基盤、あるいはそれがもたらす恩恵に目を向けることもできる。中国が市場経済体制を導入し、財産権をはじめとする市民の意識が高まっていけば、法改革、政治改革が求められるようになり、経済制度と共産党主導の政治制度は必ずやきしみだすと長く言われてきた。しかし、中国専門家のエリザベス・エコノミーは「中国の政治改革は進んでいるのか」で、人権問題その他を抱えているとはいえ、中国の指導者は「鄧小平が一世代前に経済部門で行ったような改革路線を政治領域で採用することで状況に対応しようと試みだしている」と指摘している。
当然、現在の中国にはブルマの言うような有害なオクシデンタリズムは生じていない。●

(C) Foreign Affairs, Japan

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