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政治・文化・社会に関する論文

バルカンのナショナリズムは消えない

1999年8月号

ウィリアム・W・ハーゲン  カリフォルニア大学歴史学教授

バルカンにおける民族間の対立は古代からのものではなく、近年のスロボダン・ミロシェビッチによる権力の掌握をきっかけとしたものでもない。それはオスマン・トルコ帝国が解体した後のこの地域でのナショナリズムの高揚にそもそも端を発するものだ。バルカンの独裁制、共産主義体制が「血の報復という価値観」を伴うナショナリズムと不可分の形で結びついていたため、オスマン・トルコ崩壊以後の政治体制のなかでも民族主義は生き残り、旧ユーゴの解体に伴う国境線の変更を契機に、これが一気に表舞台へと噴出した。こう考えると、ポスト・チトーのユーゴでリベラリズムが支配的となる余地はそもそもないに等しかった。欧米の基準では考えられぬような残忍な行為が行われたのは、こうした「血の報復」という集団的な価値観が背景に存在したためである。したがって、ミロシェビッチをヒトラーにたとえるような個人に問題を帰する見方よりも、紛争後のコソボ問題を戦後の連合国によるドイツ占領と比較する社会改革的視点のほうが有益だろう。リベラルで民主的な市民社会運動がより深く根を張れるようにならない限り、この地域に平和と安定がもたらされることはあり得ないのだから。

核とカシミール
―パキスタンの立場

1999年8月号

シャムシャド・アーマッド パキスタン外務次官

インドとパキスタンによる核実験の直後、本誌は、インドの国防・外交問題担当上席補佐官ジャスワント・シンが国防と外交について書いた「インドが核を持つ理由」(Against Nuclear Apartheid 『論座』一九九八年十月号)(※1)と米国務副長官ストローブ・タルボットによる「核実験後の南アジアをどうする」(Dealing with the Bomb in South Asia 『電子メール版』一九九九年五月号)(※2)を掲載した。以下、これらの論文に対して、パキスタンの外務次官が回答した。(※巻末に各論文要旨を添付)

Review Essay
情報化時代に経済はついてゆけるのか

1999年7月号

ジェフリー・E・ガーテン クリントン政権前商務次官

これまでの産業技術革命のすべては、技術的な非連続性と、ブレイクスルーとなった新技術の創造の双方によって導かれてきた。新技術の誕生によって、それまでの富の創造のための手法は当然時代遅れの長物と化す。だとすれば、情報革命のまっただ中にある現在、富を創造するために国は新たに何をすべきなのだろうか。各国の経済・社会システム、そして、世界の制度は、情報化時代という第三の産業革命からうまく利益を引き出せるのだろうか。どうやらレスター・サローは、今回も悲観主義に陥っているようだ。

コソボ紛争は分離独立でしか決着しない 

1999年6月号

クリス・ヘッジ ニューヨーク・タイムズ  前バルカン支局長

一九九五年のデイトン合意は、自治や独立を求めるコソボのアルバニア人にとっては,死亡宣告に等しかった。まずコソボ問題を解決すべきだとそれまで主張していた欧州連合(EU)が、まるで手のひらを返したように新ユーゴを承認したからである。一度火がついた以上、もはやコソボ紛争が短期で解決することはありえない。セルビア人のナショナリズム、そしてユーゴ紛争の犠牲者が本当は自分たちであるとみなす厄介な自己認識は、欧米が攻撃を加えればますます高まっていく。一方、穏健派指導者のルゴバが支持を失った後、アルバニア民衆の支持を集めているコソボ解放軍(KLA)といえば、大規模な義勇兵の予備軍を擁しているだけでなく、アルバニアとの国境線が開放的であることを利用して、兵器の供給や新規の兵士リクルートのラインを確保している。しかも、セルビア人とコソボのアルバニア人の双方とも、武力行使こそ袋小路を打開する手だてであると確信しており、対立の溝が深いことを考えると、交渉による妥結はほぼあり得ない。とすれば、国際コミュニティーが長期的にコソボに平和維持部隊を置いたところで、撤退後に双方が再び銃をとる可能性は高い。「KLA率いるコソボが、交渉によってであれ、暴力によってであれ、セルビアから分離独立する」。これが最も可能性の大きいシナリオなのだ。

途上国の苦しみはわれわれの苦しみ

1999年6月号

ジェームス・グスタフ・スペス  国連開発プログラム総裁

この相互依存世界にあっては、国際援助・協力は、公共政策の一部でなければならない。われわれの繁栄は環境から経済に至るまで、すでにグローバル化している様々な要因によって規定されだしている。当然、途上国の債務問題への寛大な対策を講じるとともに、旧西側諸国は途上諸国への投資を増やすべきである。世界の社会階層間の境界線が次第に形成されつつあることを無視し続ければ、環境の悪化、人的災害、経済成長の悪化という形で、膨大なしっぺ返しを食うことになろう。

韓国は平和共存をめざす

1999年5月号

洪淳瑛(ホン・スニョン) 大韓民国外交通商相

ゆっくりとしたペースではあっても、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)は南の同胞たちや国際社会に対して自らを開放せざるを得ない状況に追い込まれつつある。そして、韓国は緊張緩和、平和、そして再統合を望んでいる。金大中大統領の経済領域を中心とするエンゲージメント(穏やかな関与=「太陽」)政策は、北朝鮮での好ましい変化と抜本的な変革を促すことを目的としている。とはいえ、「国家の能力がますます金融・経済への依存度を強め、そして経済的な強さのためには開放性が必要であることに、北朝鮮が気づき、韓国と同じ価値観を共有するようになるには,まだまだ時間がかかるだろう」。当然、完全な和解には時間がかかる。二つの分断された国家が再統合に向けて動き出せるのは、いかに統一を実現し、統一後どのようにしてともに暮らすかのコンセンサスが生まれてからである。

核実験後の南アジアにどう向き合うか

1999年5月号

ストローブ・タルボット  米国務副長官

インド・パキスタン両国の核実験は、現在の核不拡散レジームを大きく動揺させている。「NPT(核不拡散条約)レジームの現状からの後退を食い止められなければ、昨年の核実験をきっかけにNPTから次々と脱退する国がでてくるかもしれない」。印パ両国は、核による均衡が冷戦期の米ソ間の平和を維持していたように、今回の核実験によって今度は南アジアに核の均衡による平和が到来すると信じている。だが、「冷戦が平和的に終焉したという観点からではなく、この対立関係の管理にいかにコストがかかったかという現実的見地から、あらためて歴史を見るべきである」。印パがつくりだした既成事実を前にNPTレジームを譲歩させれば、潜在的に核開発能力を持ちながらも、開発を放棄した国々を裏切ることになるし、核兵器保有国の地位を得ようとするインセンティブ(動機)を他の国に与えることになりかねない。「印パ両国が核兵器を放棄し、あらゆる核関連活動に関する査察を受け入れる」のが先決であろう。

国家間戦争から内戦の時代へ

1999年3月号

スティーブン・R・デービッド ジョンズホプキンス大学政治学教授

冷戦が終わり、今や内戦がほぼ唯一の戦闘形態となった。国家間戦争ほど関心を引かないとはいえ、各国の内戦は紛争勢力の「本来の意図とは関係のないところ」で、国境を超えた破壊的衝撃を伴う。しかも、対外的にダメージを与えるという意図に導かれていないだけに、内戦の発生を抑止するのは難しい。例えばサウジアラビアだ。世界一の石油資源を持つこの国で内戦が起きれば、油田地帯が戦場と化し、紛争勢力にその意図がなくても、世界経済は瞬く間に窒息する。しかもサウジアラビアで国内紛争が起きる可能性は現実に高い。われわれは、一刻も早く「安全保障上の脅威のすべてが、一貫した信条を持つ敵対勢力によって周到に準備されているわけではなく、具体的目的に導かれているわけでもなければ」、適切な政策をとれば抑止できる性格のものでもないことを肝に銘じるべきだ。内戦への対応を考えない限り、われわれにとって軍事的選択肢は、自国防衛の強化か予防的先制攻撃の二つしかない。

フクヤマの愚かな議論

1999年3月号

バーバラ・エーレンリック  作家 /ブライアン・ファーガソン  ラトガーズ大学人類学准教授

「遺伝的に攻撃的な性質を持つ男性に代わって、より穏やかで争いを好まない性質を持つ女性が政治に参加し、その比重が増していけば、国際関係はより平和になる」。フランシス・フクヤマは、論文「もし女性が世界政治を支配すれば」でこう主張した。フクヤマは、男性(オス)の攻撃性は遺伝子に組み込まれているとし、その例として、オランダやタンザニアで見られたオスチンパンジー同士の残虐な闘いや、数万年前からあったとみられる男性による大量虐殺を挙げる。しかも、環境や文化をつうじて、遺伝子に刻まれた男性の攻撃的な性格を克服する試みには限界があると主張した。人類学、そして広く社会科学全般が、性、民族、人種の普遍性を基盤に、思想や理論を組み立ててきただけに、フクヤマの指摘は大きな波紋をよんだ。以下は、文化や環境から人間が受ける影響、フェミニズム、そして人類学の立場からのフクヤマ論文に対する重厚な反論。

新エネルギー資源の誕生

1999年3月号

リチャード・G・ルガー 米上院議員  ジェームス・ウールジー 元CIA長官

いずれは枯渇する石油資源、とくに中東石油への依存は、安全保障、環境、経済のどの側面でみても好ましくない。幸いにも、遺伝子工学の進歩、そして生成技術の発展によって、これまでの穀物エタノールから、遺伝子工学を駆使したバイオマス・エタノールへのシフトが起きつつあり、いずれ石油への依存から離脱するのも夢ではない。「エネルギー熱量は若干低いとはいえ、オクタン価でみれば、バイオマス・エタノールはガソリンをはるかに上回り、より高い燃焼効率をも持つ。さらに、温室効果ガスの排出を大きく削減でき、空気の質も改善できる」
この「科学的ブレークスルー」を放置して、しだいに先細りとなりつつある中東の石油資源への依存を続けるのは、経済,環境,国際安全保障のいずれの面でも賢明ではない。環境に優しく、価格的にも問題のない、バイオマス・エタノール実用化の時代がすぐそこまで来ており,その実用化へ向けて全力を注ぎ込むべきである。

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