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政治・文化・社会に関する論文

バルカン経済にニューディール政策を

2000年1月号

ベン・ステイル 外交問題評議会シニア・フェロー スーザン・L・ウッドワード ロンドン大学国防研究センター上席研究員

南東ヨーロッパに長期的な安定と非民族主義的な政策が根づくかどうかは、この地域の「経済」がどうなるかによる。欧米が、バルカン危機の本質を修正可能な政策上の破綻としてではなく、この地域に特有な民族主義による紛争、民族間の敵意という構図でとらえ続ける限り、現地の改革が前進することはあり得ない。必要なのは、「南東ヨーロッパの欧州化」に向けた欧州連合(EU)の柔軟で明確なコミットメントだ。バルカンの欧州化とは、すでにEU内に根づいている、国境を超えた通貨・貿易・投資のアレンジメントをヨーロッパの南東部へと広げることで実現する。これによって育まれる南東ヨーロッパの内的統合とヨーロッパとの一体化への希望こそが、腐敗に彩られ、投資も呼び込めず、とかく民族主義に振り回されがちなバルカン地域での改革努力を喚起する唯一の処方箋である。

可哀想な国連

1999年12月号

マイケル・ハーシュ/ニューズウィーク誌記者

このままでいけば、クリントン政権は国連を無視し、国連システムを崩壊させた米政権として記憶されることになりかねない。コソボ空爆の際には北大西洋条約機構(NATO)を頼みに安全保障理事会を迂回し、その後には人道的単独介入をめぐる「クリントン・ドクトリン」の構築を試み、さらに、東ティモール問題を契機に、アジア太平洋経済協力会議(APEC)を地域的な安全保障フォーラムにする可能性も示唆されている。しかし、組織されたフォーラムであれ、富める諸国の一時的連帯関係であれ、国連という枠組みを離れてうまく問題解決にあたることはできず、この点、アメリカとて例外ではない。「唯一の超大国もひとり頂点にいるわけではない」。グローバルな問題への取り組みには国連システムが不可欠であり、今や国連とアメリカの関係修復に向けたワシントンと国連本部間の「シャトル外交」が急務だろう。

国連安保理を機能させるには

1999年11月号

リチャード・バトラー 前UNSCOM委員長

今や世界秩序を脅かしているのは、超大国間のライバル関係ではなく、大量破壊兵器の拡散である。拡散防止を目的とするさまざまな条約も存在するが、問題は条約違反が発覚したときに、実質的な条約の管理主体である国連安全保障理事会が効果的に対応できるような環境があるかどうかだ。国際的平和や安全保障のためではなく、国益絡みで拒否権が行使されたり、拒否権を盾にした恫喝策がとられることも珍しくない。こうした安保理の政策決定メカニズムは、毅然たる強制措置をとるには決してふさわしくない。常任理事国に認められた拒否権は本質的に特権であり、特権を維持するには、それを責任ある形で行使しなければならないことを常任理事国は銘記すべきであろう。世界秩序にとっての最大の脅威である大量破壊兵器の拡散を阻止するためにも、拒否権をめぐる新たなルールの導入が急務である。

Classic Selection 1999
超えられなかった過去
―― 戦後日本の社会改革の限界

1999年9 月号

ウォルター・ラフィーバー コーネル大学歴史学教授

憲法改正問題から集中豪雨的な輸出政策・官僚主導型の政治――そうした弊害の多くは実は1940年代の未完の占領革命、言い換えれば、占領政策の「逆コース」にそのルーツがある。つまり、官僚が力を持ち続け、一方では冷戦における西側陣営の一翼を担えるようにと米政府がマッカーサーに日本経済を立て直せと命じた1948年の政策転換によって、開放的で民主化されたシステムが日本に根づく可能性はなくなった。この「歴史の非継続性」は、これまでも様々な方面から議論の対象とされてきたが、今後予想される日本の国益論争・安保論争などをめぐって日本の周辺諸国と米国を巻き込んだ論争の焦点の一つとなっていく可能性は高い。

バルカンのナショナリズムは消えない

1999年8月号

ウィリアム・W・ハーゲン  カリフォルニア大学歴史学教授

バルカンにおける民族間の対立は古代からのものではなく、近年のスロボダン・ミロシェビッチによる権力の掌握をきっかけとしたものでもない。それはオスマン・トルコ帝国が解体した後のこの地域でのナショナリズムの高揚にそもそも端を発するものだ。バルカンの独裁制、共産主義体制が「血の報復という価値観」を伴うナショナリズムと不可分の形で結びついていたため、オスマン・トルコ崩壊以後の政治体制のなかでも民族主義は生き残り、旧ユーゴの解体に伴う国境線の変更を契機に、これが一気に表舞台へと噴出した。こう考えると、ポスト・チトーのユーゴでリベラリズムが支配的となる余地はそもそもないに等しかった。欧米の基準では考えられぬような残忍な行為が行われたのは、こうした「血の報復」という集団的な価値観が背景に存在したためである。したがって、ミロシェビッチをヒトラーにたとえるような個人に問題を帰する見方よりも、紛争後のコソボ問題を戦後の連合国によるドイツ占領と比較する社会改革的視点のほうが有益だろう。リベラルで民主的な市民社会運動がより深く根を張れるようにならない限り、この地域に平和と安定がもたらされることはあり得ないのだから。

核とカシミール
―パキスタンの立場

1999年8月号

シャムシャド・アーマッド パキスタン外務次官

インドとパキスタンによる核実験の直後、本誌は、インドの国防・外交問題担当上席補佐官ジャスワント・シンが国防と外交について書いた「インドが核を持つ理由」(Against Nuclear Apartheid 『論座』一九九八年十月号)(※1)と米国務副長官ストローブ・タルボットによる「核実験後の南アジアをどうする」(Dealing with the Bomb in South Asia 『電子メール版』一九九九年五月号)(※2)を掲載した。以下、これらの論文に対して、パキスタンの外務次官が回答した。(※巻末に各論文要旨を添付)

Review Essay
情報化時代に経済はついてゆけるのか

1999年7月号

ジェフリー・E・ガーテン クリントン政権前商務次官

これまでの産業技術革命のすべては、技術的な非連続性と、ブレイクスルーとなった新技術の創造の双方によって導かれてきた。新技術の誕生によって、それまでの富の創造のための手法は当然時代遅れの長物と化す。だとすれば、情報革命のまっただ中にある現在、富を創造するために国は新たに何をすべきなのだろうか。各国の経済・社会システム、そして、世界の制度は、情報化時代という第三の産業革命からうまく利益を引き出せるのだろうか。どうやらレスター・サローは、今回も悲観主義に陥っているようだ。

コソボ紛争は分離独立でしか決着しない 

1999年6月号

クリス・ヘッジ ニューヨーク・タイムズ  前バルカン支局長

一九九五年のデイトン合意は、自治や独立を求めるコソボのアルバニア人にとっては,死亡宣告に等しかった。まずコソボ問題を解決すべきだとそれまで主張していた欧州連合(EU)が、まるで手のひらを返したように新ユーゴを承認したからである。一度火がついた以上、もはやコソボ紛争が短期で解決することはありえない。セルビア人のナショナリズム、そしてユーゴ紛争の犠牲者が本当は自分たちであるとみなす厄介な自己認識は、欧米が攻撃を加えればますます高まっていく。一方、穏健派指導者のルゴバが支持を失った後、アルバニア民衆の支持を集めているコソボ解放軍(KLA)といえば、大規模な義勇兵の予備軍を擁しているだけでなく、アルバニアとの国境線が開放的であることを利用して、兵器の供給や新規の兵士リクルートのラインを確保している。しかも、セルビア人とコソボのアルバニア人の双方とも、武力行使こそ袋小路を打開する手だてであると確信しており、対立の溝が深いことを考えると、交渉による妥結はほぼあり得ない。とすれば、国際コミュニティーが長期的にコソボに平和維持部隊を置いたところで、撤退後に双方が再び銃をとる可能性は高い。「KLA率いるコソボが、交渉によってであれ、暴力によってであれ、セルビアから分離独立する」。これが最も可能性の大きいシナリオなのだ。

途上国の苦しみはわれわれの苦しみ

1999年6月号

ジェームス・グスタフ・スペス  国連開発プログラム総裁

この相互依存世界にあっては、国際援助・協力は、公共政策の一部でなければならない。われわれの繁栄は環境から経済に至るまで、すでにグローバル化している様々な要因によって規定されだしている。当然、途上国の債務問題への寛大な対策を講じるとともに、旧西側諸国は途上諸国への投資を増やすべきである。世界の社会階層間の境界線が次第に形成されつつあることを無視し続ければ、環境の悪化、人的災害、経済成長の悪化という形で、膨大なしっぺ返しを食うことになろう。

韓国は平和共存をめざす

1999年5月号

洪淳瑛(ホン・スニョン) 大韓民国外交通商相

ゆっくりとしたペースではあっても、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)は南の同胞たちや国際社会に対して自らを開放せざるを得ない状況に追い込まれつつある。そして、韓国は緊張緩和、平和、そして再統合を望んでいる。金大中大統領の経済領域を中心とするエンゲージメント(穏やかな関与=「太陽」)政策は、北朝鮮での好ましい変化と抜本的な変革を促すことを目的としている。とはいえ、「国家の能力がますます金融・経済への依存度を強め、そして経済的な強さのためには開放性が必要であることに、北朝鮮が気づき、韓国と同じ価値観を共有するようになるには,まだまだ時間がかかるだろう」。当然、完全な和解には時間がかかる。二つの分断された国家が再統合に向けて動き出せるのは、いかに統一を実現し、統一後どのようにしてともに暮らすかのコンセンサスが生まれてからである。

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