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蘇るロシアの歴史的行動パターン
―― プライドと大きな野望、
そして脆弱なパワーという現実

スティーブン・コトキン プリンストン大学教授

Russia's Perpetual Geopolitics

Stephen Kotkin プリンストン大学教授(歴史、国際関係)。スタンフォード大学フーバー研究所フェロー。専門はロシア現代史、ユーラシア地域研究。

2016年5月号掲載論文

自らの弱さを理解しつつも、特別の任務を課された国家であるという特異な意識が、ロシアの指導者と民衆に誇りを持たせ、一方でその特異性と重要性を理解しない欧米にモスクワは反発している。欧米との緊密なつながりを求める一方で、「自国が軽く見られている」と反発し、協調路線から遠ざかろうとする。ロシアはこの二つの局面の間を揺れ動いている。さらにロシアの安全保障概念は、外から攻撃される不安から、対外的に拡大することを前提としている。この意味でモスクワは「ロシアが旧ソビエト地域で勢力圏を確立するのを欧米が認めること」を望んでいる。だが現実には、ロシアは、(経済、文化など)他の領域でのパワーをもっていなければ、ハードパワー(軍事力)だけでは大国の地位を手に入れられないことを具現する存在だ。現在のロシアは「新封じ込め」には値しない。新封じ込め政策をとれば、ロシアをライバルの超大国として認めることになり、欧米は相手の術中にはまることになる。・・・

  • 拡大と衰退の歴史(一部公開)
  • ミッションとプライド
  • プライドと現実の間
  • 構造的な衰退プロセス
  • 新封じ込めには値しない

<拡大と衰退の歴史>

この5世紀にわたって、ロシアの外交政策は国家能力を超える大きな野心によって規定されてきた。16世紀のイワン雷帝以降、ロシアは数百年にわたって、年平均で50平方マイルの領土を拡大し続け、最終的に地球上の陸地の6分の1を占める巨大国家になった。1900年までにヨーロッパ最大の農業国となったロシアは、工業部門でも世界で4、5番目の産業国家に台頭していたが、1人当たりGDP(国内総生産)でみれば、イギリスのわずか20%、ドイツの40%というレベルで低迷していた。帝政ロシア期のロシア人の平均寿命はわずか30歳。英領インド(23歳)よりはましだったが、イギリス(52歳)、日本(51歳)、ドイツ(49歳)の平均寿命を大きく下回っていた。19世紀初頭のロシアの識字率も33%未満と、18世紀のイギリスのそれと比べても見劣りした。

当時のロシアの政治エスタブリッシュメントたちはヨーロッパを頻繁に訪問し、世界を主導する諸国の現実を知っていただけに、このギャップをよく理解していた(同じことは、現在のロシアの指導者たちにも言えるだろう)。

歴史を顧みれば、ロシアが大きく台頭するチャンスは3度あった。最初は、ピョートル1世が(スウェーデン王国の)カール12世に勝利を収め、スウェーデンが衰退しつつあった18世紀初頭。この時期にロシアはバルト海とヨーロッパへの影響力を確立している。次は、1820年代にアレクサンドル1世が、どうみても手を広げすぎていたナポレオン相手に勝利を収め、ロシアがパリで大国間の調停役を担ったときだ。・・・

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