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中東に関する論文

イスラエル : 成功の代償

1999年2月号

エリオット・A・コーエン
ジョンズ・ホプキンス大学政治学教授

建国から五十年を経たイスラエルは、その成功ゆえのジレンマに直面している。五十年前と比べれば、パレスチナや近隣のアラブ諸国との関係も改善し、経済も格段に進歩した。だが、敵に囲まれた状態でつくられた軍のシステムはしだいに社会とのバランスが悪くなり、一方で、宗教的に敬虔な人々と世俗的な人々の対立も先鋭化しつつある。さらに、移民の波によって社会は多様化し、しかも今やアメリカ化が支配的な社会潮流だ。「困難な状況にあるユダヤ人が避難できる国家」は、すでに完成している。であればこそ、互いに錯綜する社会・経済・軍事上の変化を受けて、この国の「存在理由」が問われている。つまり、「ユダヤ人とは何者か」というポスト・シオニズム的なアイデンティティー上の命題である。この五十年間のイスラエルの成功が導いたこの実存主義的命題に、イスラエルはどのような答えを出すのだろうか。

イラン・イラク「二重封じ込め」を見直せ

1997年8月号

スビグニュー・ブレジンスキー カーター政権・国家安全保障担当大統領補佐官  ブレント・スコウクロフト ブッシュ政権・国家安全保障担当大統領補佐官 リチャード・マーフィー 外交問題評議会・中東担当上席研究員

アメリカの湾岸政策の目的は、「同盟諸国の安全を守り、石油の流れを間違いなく保障すること」であり、この点をイラン、イラクを含むすべての関係諸国は理解しなくてはならないし、アメリカ政府もこれを再確認する必要がある。経済政策と軍事監視からなるクリントン政権のあまりに厳格な「二重封じ込め」政策は、同盟諸国間の亀裂を広げる危険を伴うため、すでに政策目的からのずれが生じ始めている。サダム・フセイン政権には厳格な姿勢を崩すべきではないが、経済制裁によって派生するイラク市民の人道上の問題に十分に配慮し、ポスト・サダム・フセイン政権との交渉の可能性も視野に入れておくべきだし、イランに対しては、封じ込めから、条件を課した上での関係改善策へと路線の修正を図るべきだろう。アメリカの利益だけでなく、同盟諸国との協調路線を回復するためにも、また対イラン・イラク政策の費用対効果を高めるためにも、新政策は同盟諸国との協議や合意を踏まえたものでなければならない。

西洋と中東
―― 近代化と文明の受容

1997年6月号

バーナード・ルイス プリンストン大学名誉教授

近代性とはそれぞれの時代における力強くて支配的な文明の規範や基準にほかならない。そして支配的な文明の受容をつうじた近代化は、戦場における西洋の軍事技術の優位に注目したイスラム世界の指導者たちがそれを導入したように、多くの場合切実な必要性によって導かれ、やがてさまざまな領域へと広がりをみせていく。ここで常に問題とされるのは支配的な文明の規範や基準にほかならない近代性が、それを導入する側の文化や文明にどのような影響を与えるかである。「近代化と西洋化」をめぐる長期にわたる議論は、「自らの固有の文明を汚さずにいかに近代化をはかるか」という、文明の「受容と拒絶」をめぐる判断についての議論にほかならない。だが、同時代における議論は、近代性が「それに先立つ文明の遺産を継承した」現代文明の規範・基準であることをとかく忘れがちだ。かつてはイスラムがそれを定義づけ、現在は西洋が、そしていずれ過去の諸文明の上に成り立つ西洋文明の遺産を継承するまだ見ぬ文明がそれを規定することになるだろう。

「中国脅威論」に惑わされるな

1997年5月号

ロバート・ロス  ボストン・カレッジ政治学教授

現在の対中アプローチをめぐるさまざまな議論は、「過大評価された中国の戦略的能力」を前提として受け入れたうえで、中国側のさまざまな「意図」や目的を憶測し、それへの対応策を主張している点で、危険きわまりない。というのも、中国の軍事能力は実際にはいわれるほど強大ではなく、であればこそ、現在中国は穏健路線をとっているからだ。米国とアジアの同盟諸国にとっての東アジアにおける死活的な利益とは、「安定した地域的勢力均衡」を維持することにあり、また中国にとっても、国内資源を経済的基盤に重点的に振り向けるのを可能とする「現状」の維持は利益なのだ。われわれの政策の目標は、中国との共通利益に注目し、彼らが「地域的な安定のなかに見いだす利益をより堅固なものにすることで、グローバル秩序の安定に向けた中国側のコミットメントをいっそう強化すること」でなければならない。闇雲な中国脅威論は、懸念される事態を現実へと導く悪しき処方箋にすぎない。

エジプトの夢と悲しみ

1996年1月号

ファード・アジャミー ジョンズ・ホプキンス大学教授

「自由主義的な改革の夢、上からの革命への期待、ナセルの社会主義的賭けなど、すべてが夢と潰え、エジプトはいまだに漂流している」。事実、自由主義、汎アラブ主義、ナショナリズムなど、彼らの近代における夢は、実現にいま一歩のところでことごとく挫折を繰り返してきた。「近代エジプトの心を規定するのは、国家的進歩への願いであり、それが近くにありながらいまだ実現にほど遠いという悲しみなのである」。

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