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2006年2月号 人はなぜ争うのか  

2006-02-10

サルやチンパンジーの集団が餌を手に入れようと争い合うように、国も資源をめぐって戦争を繰り広げてきた。1990年代には、もはや資源争奪戦争など起こらないと言われた時期もあったが、インド、中国などの経済成長と資源需要の高まり、そして原油価格の高騰という環境のなか、いまや資源争奪戦の再来というシナリオがメディアや政治の場で取りざたされることも多い。
中国が、スーダンやジンバブエなどのアフリカのならず者国家に対して、資源確保の見返りに、国際社会の圧力からの保護の手を差し伸べ、ほぼ無条件の融資を与えてきたことは広く知られている。「中国は、相手国にキャッシュ、技術だけでなく、安保理常任理事国の立場を利用して国際的圧力からの盾さえ提供している」とCFRリポート「アフリカでの影響力を模索する中国」は状況を描写する。また、企業利益だけでなく、「国益の確保を目指す」中国企業が、採算度外視の低い入札価格を示し、事実上、他国の企業をアフリカのインフラ整備その他のプロジェクトから締め出していることも同リポートは問題として取り上げている。資源獲得競争は米中を衝突へと向かわせかねず、それをいかに回避するかが米議会ではすでに議論され始めている。
適切な需給の調節メカニズムを備えた市場が存在すれば、交易は基本的にうまくいくが、石油、天然ガスなどの原材料市場は、石油輸出国機構(OPEC)などのカルテルが存在することもあって、製品市場のような安定度はなく、本質的に不安定だ。
そこに高騰する資源を強引に独占しようとする国が現れれば、それだけでも、他国との摩擦が起きる危険は高くなるし、これに各国の政治的思惑が絡めばますます話は複雑になる。実際、核開発の再開を公言したイランに国際的経済制裁措置が適用されれば、日本も、経済利益と政治的配慮の間のジレンマに悩むことになる。
資源調達競争に限らず、自己利益と他者の利益とをいかになじませるか、共有利益に注目できるかどうかが協調と対立とを分ける。霊長類の研究から人類の平和への洞察を得ようと試みたスタンフォード大学の神経学者ロバート・M・サポルスキーによれば、協調と対立の図式はサルも人類も同じようだが、どのような意図で協調するかも問題となるようだ。
サポルスキーは「人類は殺し合うサルか」で、人類同様に、他の霊長類も協調すると指摘する。国の国境警備隊同様に、オスのチンパンジーは自集団と他集団の境界線のパトロールのために内的に協調し、遭遇した他集団のチンパンジーを攻撃する。つまり、集団内の協調といっても、必ずしも平和や静けさをもたらすとは限らないと述べている。
サルであれ、ヒヒであれ、人類であれ、小集団内で協調や連帯が生じやすいことは理論的にも行動学的にも立証されているが、社会全体としてみれば、そうした小集団が問題を起こすことも多い。内的な連帯が自然発生型ではなく、上から作為的にとりまとめられている場合には、そうした集団や国家は、他の集団や国家にとってますます危険になる。オウム真理教、アルカイダ、あるいはタリバーン時代のアフガニスタンはその具体例だろう。
国際社会の場合、「相互利益に根ざした」文化交流、専門家間の交流、貿易などは他国への理解と柔軟性を高め、国家間関係を中・長期的にスムーズにしてくれる(特定の政治的連帯や戦時の軍事同盟も、関係国や集団の関係をなめらかにするが、連帯は多くの場合、短命に終わる)。一方で、歴史的反目、資源争奪戦、そして相手に対する無知は、集団や国家の他国への認識の硬直化を招き、対立のリスクを大いに高めてしまう。
どのような目的から連帯感が生まれるかにも左右されるが、集団内や国家内の協調自体は基本的に悪いことではない。ポイントは、集団間、国家間の関係をいかにうまくはかり、いかにして部分適正(集団内、国内の協調)を全体適正(安定した秩序)へともっていくかだ。ここでものをいうのが、政治指導者のリーダーシップと外交手腕だ。
このモデルに当てはめれば、日本と中国や韓国との関係の今後は、経済交流(日中貿易)や文化交流(韓流ブーム)で相手との相互理解をさらに深めて、政治的シンボリズムとしての過去の反目を克服できるかにかかっているということになる。日本、中国、韓国のいずれも、経済・文化の相互交流を高め、いかに相互理解と柔軟性を高めるかが問われている。●

(C) Foreign Affairs, Japan

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