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2005年11月号 イラクの混乱と歴史の教訓  

2005-11-10

「最初は米議会の議員として、後に国防長官として私がみたベトナム戦争を『悪い考え』と一言で括ることはできない」。現在のイラクに、間違ったベトナムの教訓が適用されれば、それこそベトナムの轍を踏むことになる。
ニクソン政権の国防長官を務めた後、ほぼ30年間の沈黙を破って今回あえてベトナムの教訓に関する自分の考えを示した理由についてメルビン・R・レアードはこう説明する。太平洋戦争を海軍兵士として戦い、ウィスコンシン州議会議員に23歳で当選したレアードは、その後米下院議員を9期務めた後、ニクソン政権の国防長官(1969~73)に就任する。キッシンジャー国務長官が南北ベトナム間のパリ協定をまとめる一方、ベトナム戦争の「ベトナム化」(米軍の段階的撤退論)を考案し、指揮したのがレアードだ。
日本における「戦争を繰り返してはならない」というスローガンが空虚であいまいなお題目と化しているように、アメリカにおける「ベトナムを繰り返すな」というフレーズの意味するところもあいまいだし、使う人によってその思惑はさまざまだ。政策決定者が歴史の教訓を誤用することもあれば、スローガンと化した教訓が大衆動員の手段として政治的に利用されることもある。
「ブッシュのベトナム」というフレーズに象徴されるような、対外介入を絶対悪とみなし、ベトナム戦争の傷口をつつくばかりで、傷を癒やすのを阻み、軍事的介入が危機にさらされる度に、ベトナムの悪夢を今に呼び戻そうとする勢力が徘徊しだしているとレアードはみる。このままでは、ベトナムのときと同様に、ワシントンはイラクを見捨てざるを得なくなり、イラクの民主化や安定化というコミットメントを果たせなくなる恐れがある、と。彼は、「二度と同盟勢力を見捨ててはならない」という点にこそイラク戦争に生かすべきベトナム戦争の最大の教訓があるとみる(「M・レアードが回顧するイラク戦争とベトナムの教訓〈上〉」)。
とはいえ、イラクのスンニ派、シーア派、クルド人の間の政治的妥協はなかなか成立しそうにない。サウド・サウジアラビア外相は「シーア派とスンニ派間に内戦が起きるのを放置すれば、それでイラクは終わりだ。分裂するだけでなく、各地域で紛争が起き、湾岸地域全体が出口のない混乱へと陥っていく」と指摘する(「サウド・サウジ外相が語るテロとイラク」)。同様に、スンニ派を政治プロセスにうまく取り込まない限り、イラクは分裂するとみるレスリー・ゲルブ米外交問題評議会名誉会長は、イラクの統合を維持するには、連合国家という形態を導入するしかないと主張する。シーア派、スンニ派、クルド人が望むとおり、イラクを三つの自治地域に分けることを認めるべきだと提言する(「イラク連合国家構想を推進せよ」)。
イラクからの米軍撤退はまだ始まっていない。ベトナム戦争との比較でいえば69年以前の段階にある。「戦争はいまも昔も介入するよりも、引くほうが難しく、しかも危険である」(M・レアード)とすれば、イラクにおけるアメリカの試みは最大の山場を迎えていることになる。ゲルブは、戦闘や政治状況をめぐってイラクとベトナムの間に共通項はないとしながらも、アメリカの選択肢という面では二つの戦争は似てきていると言う。かつて同様にいまも「白黒をつけずに撤退する、勝利を収めるまで戦い抜く、何か成果を上げて撤退する」が問われている、と。
回避すべきシナリオが何であるかは明らかだ。サウド外相が指摘するとおり、それは米軍撤退後、イラクが内戦に陥り、イランやトルコが介入し、アラブ世界全体が紛争の渦に巻き込まれていくことだ。そうだとすれば、ゲルブが示唆するように米軍の完全撤退は当面あり得ないし、レアードが言うように、イラクへのアメリカの関与は長期的なものになる。
過去の出来事は今後を考えていく上での最大の指針となる。政策決定の前提となる現状分析を支えるのも歴史的分析だ。だが、アメリカにとっての「ベトナムの教訓」であれ、日本にとっての「先の戦争の教訓」であれ、歴史的分析とそこから導き出される教訓が間違っていないか、具体的に何を意味するか、それをいかに政策決定に生かすかを実証的に検証し続けていかない限り、貴重な教訓も政争の具とされるか、何の意味もない陳腐なフレーズと化すことになる。●

(C) Foreign Affairs, Japan

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