私が懸念しているのは、偵察機接触事故が、権力移行期に突入した中国において強硬派の立場を有利にしはしないか、一方でわれわれが中国を新たな敵対勢力と決めつける動きにつながりはしないかということだ。(オルブライト)
われわれがなすべきこと、われわれにできること、われわれが望むこと、そしてわれわれにはできないこと、これらを区別して理解しなければならないし、国益概念にはこれらのすべてがかかわってくる。(キッシンジャー)
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私が懸念しているのは、偵察機接触事故が、権力移行期に突入した中国において強硬派の立場を有利にしはしないか、一方でわれわれが中国を新たな敵対勢力と決めつける動きにつながりはしないかということだ。(オルブライト)
われわれがなすべきこと、われわれにできること、われわれが望むこと、そしてわれわれにはできないこと、これらを区別して理解しなければならないし、国益概念にはこれらのすべてがかかわってくる。(キッシンジャー)
2001年4月号
グローバル化のなかで、世界には三つの貿易ブロックが形成されつつある。アメリカ経済が大幅にスローダウンすれば、ヨーロッパとアジアはより大胆に独自の道を歩み始めるだろうし、実際に東アジアは歴史上始めて自分達の経済圏を構築しつつある。「資金もたいして出さず、自国の法律ややり方を変えることもなく、他国に命令だけを下す」。アメリカに対するこのような不満が、世界中でより一般的な反米主義と混じり合い、それを強化している。だからこそ、ヨーロッパと東アジアは自分たち独自の経済圏づくりに乗り出しているのだ。問題は、アメリカが無気力なままであれば、伝統的に多国間プロセスにもプラスの方向で作用してきた地域的自由化の試みが、しだいに地域ブロック間の反目と敵意によって彩られかねないことだ。
2001年3月号
人々のグローバリズムに対する不満が高まっているのは、世界の指導者たちが民主的統治へのコミットメントを示しつつも、民衆生活に影響を与えるようなグローバルレベルでの決定に対して市民が発言権を持っていないからである。グローバルな民主的フォーラム(グローバル議会)が誕生して初めて、環境・労働基準について討議したり、南北両方の観点から経済的公正さについて考えたりできるようになる。社会正義や人道的な世界秩序の形成に関心のある人々にとって、グローバル議会を中核とする民主的なグローバル統治が持つ魅力はこれまでになく高まっている。
2000年11月号
――以下は、二〇〇〇年九月二十日にワシントンで行われたミーティング・プログラムにおけるレオン・ファース国家安全保障問題担当副大統領補佐官のスピーチ「外交政策への関与:ゴア副大統領とアメリカの外交政策」の議事録である。司会はリー・カラム(外交問題評議会役員・コラムニスト)。
2000年11月号
アメリカの圧倒的なパワー自体には何も問題はないが、相手に何かを強制する「パワー」と、他を導く能力である「権威」とのバランスをうまくとらなければ、世界の反発を買う危険がある。われわれが友人の怒りを買うような方法でパワーを行使し、自らのコミットメントを尊重せず、他を支えることに積極的でなければ、「権威」は失墜し、そのような環境ではパワーもそれほど大きな力とはなり得ない。パワーを強化しつつその権威を高めるような形で、よりよい世界に向けてリーダーシップを発揮することこそ新大統領の課題である。
2000年10月号
今日の移民政策は、合法か不法かに関係なく、より多くの労働者を求める企業の必要性をもっぱら重視しており、もはや何の歯止めもない状態にある。経済が下り坂に向かえば、アメリカ全土が「カリフォルニアで起きた以上に大規模な」反移民感情にのみ込まれるかもしれない。もしアメリカが移民の受け入れをそのアイデンティティーの一部としているなら、今こそ不合理で管理不可能な移民がもたらす危険を強く認識しなければならない。
2000年4月号
今そこにある危険(現存する明白な危険)がない状態では、外交政策にも国内の党派政治が大きな影響を持つようになる。共和党は繰り返し大統領の対中政策を非難しているが、現実にはジョージ・W・ブッシュが唱えている対中認識はクリントンの政策と非常によく似ている。現存する国際機関を自分の都合のよい手段として用いるような態度は、将来アメリカを困らせることになるかもしれない。
2000年4月号
過去二百年にわたって世界の枠組みを定めてきたのは、欧米の軍事的優位だった。かつて国力の象徴といえば砲艦だった。次いで戦艦となり、そして巡航ミサイルやステルス爆撃機へとそれは代わっていった。その間、これらの軍備を独占してきたのは、欧米諸国であった。しかし、そうした欧米による先進軍事技術の独占時代も、いまや終わりを迎えようとしている。今日では、イスラエルから北朝鮮にいたる十にものぼるアジア(東洋)の国々が、通常兵器や大量破壊兵器(WMD)を搭載した弾道ミサイルや、その他の先端技術を手にしようとしている。世界のバランス・オブ・パワー(勢力均衡)が大きく変わろうとしているのだ。第二次世界大戦後の冷戦期が第一の核時代だとすれば、アジアの軍事力の台頭は、第二の核時代がやって来ることを告げている。欧米がつくりだした世界の枠組みが変わろうとしているのは、軍事面だけではない。こうした変化は、文化的・哲学的な意味においても起こりつつある。一九六○年代と七○年代に経済分野で存在感を強めたアジア諸国は、いまや軍事分野でも存在感を強めつつある。これらの諸国が保有する兵器のことを考えると、欧米によるアジアへの干渉は平時においてすら、これまでになく危険でコストの高いものになるだろう。欧米諸国の軍事力は、非欧米諸国の弱い軍隊を打ち負かす以上の意味をもっていた。それは、欧米の方針に沿って世界を構築するための手段であり、さらに、商業・技術の全般におよぶ欧米優位の象徴として先進国と後進国の格差も表してきた。欧米の掲げる世界構想に積極的に反対すれば、敗北することが目に見えていただけに、一九九○年代初期までは、そのような反対者の出現はありえないと考えられていた。しかし、ペルシャ湾や旧ユーゴで示された、圧倒的なアメリカの軍事力にもかかわらず、欧米諸国の既成概念を打ち破る国が登場しつつある。これらの国々は、先進国との軍備格差を埋めようとしたわけではない。むしろ、アメリカの軍事力の裏をかき、アジアにおける米軍の弱点をつくような、妨害・非対称テクノロジー(disruptive technology)の開発に力を入れたのだ。欧米の戦略の基本的前提は、現在の技術的・軍事的均衡を維持し、その他の分野でも欧米支配を継続させることにある。しかし、それは(インド、パキスタンの核実験に象徴される)第二の核時代の幕開けによって覆されてしまった。一例をあげると、欧米が掲げる国際的課題はもっぱら経済的な視点から語られ、「大切なのは経済だ」という主張が、一九九○年代を通じて内政と同様に外交にも大きな影響を与えた。外交の主要任務はアジアの大国を欧米主導の経済システムに組み入れることと考えられていた。「どの時点で中国のWTO(世界貿易機関)加盟を承認すべきか」「どうすればインドに海外からの投資に対する規制を緩和させることができるか」「どうすれば新たな金融危機を予防できるか」といった問題設定は今でも適切ではある。しかし、欧米が依然としてアジェンダ・セッティングをし、アジアが世界システムに参加する条件を設定できるとみなすのは、果たして妥当だろうか。
1999年7月号
国家間紛争を前提とする「時代遅れの国連憲章」による厳格な介入規定に縛られ、国内紛争がつくり出す悲劇に見て見ぬふりをするのは、もはや合理的でも賢明でもない。世界の平和と安定に対する切実な脅威は、いまや国家間紛争ではなく、国内紛争から派生しているからである。NATOによるコソボへの空爆は、正義を重視する新介入主義理念の発露ともとらえられる。事実、この新レジームの下では、大量虐殺のように、「介入しないことによる人道的損失があまりに大きい場合」は介入することが適切であると見なされている。だが、国連憲章が完全に死文化したわけではなく、コソボをめぐっては、(介入という)正義の理念と(内政不干渉を唱える)国連憲章が衝突している。だが、新介入主義の支持者たちは、法に挑戦することと「法の支配」に挑戦することとはまったく意味が異なり、(NATOが国連憲章に対して行ったような)不適切な法に対する挑戦は、法レジームをむしろ強化できることを肝に銘じるべきだろう。新システムの課題は、この新レジームならびに、それを基盤とする軍事行動が人々に正当なものと受け止められるかどうかにある。この点からも、正義を貫くことこそ法的な裏付けを得る最善の方法であることを忘れてはならない。正義を実現しさえすれば、正義を反映できるような法システムの確立にも自ずと道が開けてくるからだ。
1999年2月号
クリントン大統領は宣誓の下で、国民に対して嘘をついただけでなく、長官たちとホワイトハウスのスタッフにも嘘をついていた。国務長官、財務長官その他の高官たちは、真実を調査中の大陪審で、事実上、大統領への嫌疑が事実無根であることを繰り返し述べる羽目になった。数カ月後に真実が明るみに出たときの、彼らの苦悩は想像に難くない。「大統領の秘密を守る義務とは、彼に仕える公僕たちが、嘘をついたり、宣誓の下で偽証することではない。大統領の掲げる大義に高官が自らを捧げているとしても、犯罪に加担することを強制されることはありえないからだ」
ホワイトハウスという船が傾きかかっているときに、傷ついているのは大統領だけではない。国家も痛手を受けている。補佐官や側近がなすべきは、「大統領への忠誠」を正しく理解し、いかなる方法でどの程度路線を(正しい方向へと)修正できるかを考えることだろう。