
グローバルな大国間協調の組織化を
―― 多極世界を安定させるために
The New Concert of Powers How to Prevent Catastrophe and Promote Stability in Multipolar World
2021年5月号掲載論文
アメリカやヨーロッパにおけるポピュリズムや非自由主義への誘惑がそう簡単に下火になることはない。かりに欧米の民主主義が政治対立を克服し、非自由主義を打倒して、経済をリバウンドに向かわせても「多様なイデオロギーをもつ多極化した世界」の到来を阻止することはできない。歴史は、このような激動の変化を伴う時代が大きな危険に満ちていることをわれわれに教えている。だが、第二次世界大戦後に形作られた欧米主導のリベラルな秩序では、もはや世界の安定を支える役目は果たせないことを冷静に認めなければならない。21世紀の安定を実現するための最良の手段は「19世紀ヨーロッパにおける大国間協調」を世界に広げた、中国、欧州連合(EU)、インド、日本、ロシア、アメリカをメンバーとし、国連の上に位置する「グローバルな大国間協調体制」を立ち上げ、大国の運営委員会を組織することだ。
- 戦後秩序では安定化は望めない
- 大国間協調と地域機構
- 21世紀と19世紀の国際秩序
- 支柱なき世界
- どのように機能するのか
- 歴史の教訓
- 想定される批判
- 万能薬ではないが・・・
<戦後秩序では安定化は望めない>
国際システムは歴史的な分水嶺にさしかかっている。アジアが経済的台頭を続けるなか、最初はパックス・ブリタニカ、次にパックス・アメリカーナの下で世界を欧米世界が支配した2世紀は終わりに近づきつつある。物質的支配が弱まるだけでなく、イデオロギー的影響力も衰退している。世界中で、民主主義は非自由主義とポピュリズムと衝突しては敗れ、台頭する中国が、好戦的なロシアのバックアップを得て、内外の統治に対する欧米の権限と代議制的アプローチに挑戦している。
ジョー・バイデン米大統領は、アメリカの民主主義を修復し、世界におけるリーダーシップを回復して、人的、経済的に壊滅的な帰結をもたらしているパンデミックを抑え込むことにコミットしている。しかし、彼は僅差の勝利で大統領になった指導者だ。アメリカでもヨーロッパでも、怒れるポピュリズムや非自由主義への誘惑がそう簡単に下火になっていくことはない。さらに、欧米の民主主義が政治対立を克服し、非自由主義を打ち負かし、経済をリバウンドに向かわせたとしても、「多様なイデオロギーをもつ多極化した世界」の到来を阻止することはできない。
歴史は、このような激動の変化を伴う時代が大きな危険に満ちていることをわれわれに教えている。ヒエラルヒー(国際的地位や序列)とイデオロギー(統治思想)をめぐる大国間抗争は定期的に大がかりな戦争を誘発してきた。そうした結末を回避するには、第二次世界大戦後に構築された「欧米主導型のリベラルな秩序」では21世紀の世界の安定を支える役目は果たせないことを冷静に認めなければならない。今後に向けた実行可能で効果的な秩序枠組みを模索していく必要がある。
21世紀の安定を促進するための最良の手段は「グローバルな大国間協調体制=global concert of major power」を実現することだ。19世紀の「ヨーロッパにおける大国間協調(Concert of Europe)」の歴史が示しているように(そのメンバーであるイギリス、フランス、ロシア、プロイセン、オーストリアという)主要国による運営委員会は、多極世界につきまとう地政学的およびイデオロギー的競争を抑制することができる。
大国間協調は、新たに出現しつつあるグローバル情勢に適合する二つの特徴を備えている。他を包み込む政治的包括性と手続き上の(柔軟性)非公式性だ。大国間協調の政治的包括性によって「政治体制の違いに関係なく、地政学的に影響力のあるパワフルな国家(と国家連合)をメンバーとして交渉テーブルに着かせることができる。これによって、国内統治上のイデオロギーの違いと、国際協調を区別することができる。非公式性とは、そこにおける交渉目的を拘束力のある、強制可能な手続きや協定とはしないことを意味する。この意味では国連安保理(の決議)とは異なる。国連安保理は、あまりにも頻繁に他国を糾弾するためのフォーラムとして利用され、拒否権を振り回す常任理事国間の対立によって機能不全に陥ってきた。対照的に、大国間協調ならば相手を丸め込んだり、だましたりの駆け引きは必要になるとしても、コンセンサス形成に向けてプライベートな交渉ルートを駆使できる(大国間の利益には共有できるものも、相反するものもあるために、駆け引きが必要になるのは避けられない)。純然たる、持続的な戦略対話への道筋を提供することで、グローバルな大国間協調は、避けようのない地政学、イデオロギー上の違いを抑え、管理していく上での助けとなる。
グローバルな大国間協調は、意思決定ではなく、協議をするための空間だ。これによって、新興の危機に対処しつつも、緊急の問題によって重要な問題が先送りされないように保証し、既存の規範や制度の改革を計画的に進めていけるようになるだろう。
この諸大国の運営委員会が新しいルール、集団的構想の支援体制を考案する一方、平和維持活動の実施、パンデミックからの救済、新しい気候変動対策の締結などは、国連を含む既存の専門機関に委ねることができる。大国間協調は、その後、他のフォーラムで採択され、遂行される決定を準備すると表現することもできる。現在は存在しない対話の枠組みを通じて、国際構造を補完するのではなく、その上に位置し、(状況が悪化するのを阻止するための)緊急対策のコンセンサスをまとめる。
国連は大き過ぎて官僚的過ぎるし、形式的過ぎる。指導者が集って参加するG7やG20は有意義かもしれないが、うまく機能したとしてもひどく不適切だ。詳細をめぐって交渉が重ねられても、結局は、当たり障りのないコミュニケが出されるだけだ。国家元首、外相、国家安全保障アドバイザーたちが電話で話すとしても、本筋とは関係がなく、狭い話題に終始することが多い。
「外交を形作る国際規範に関する主要なコンセンサスを形成し、リベラルな政府、非自由主義的政府をともに正当で権威ある政府として受け入れ、危機への共通のアプローチをとる」。ヨーロッパの大国間協調は、多極世界における平和を維持するために重要なルールを考案し、受け入れた。19世紀の先例からの教訓を引き出すことで、21世紀のグローバルな大国間協調も同じことができるはずだ。大国間協調には、同盟やその他の公的な連盟のような確実性、予見可能性、実行可能性はない。しかし、地政学的流動性のなかで平和を維持するためのメカニズムを設計することで、政策立案者は、「好ましくとも不可能なこと」ではなく、「実行でき、達成できること」のために努力すべきだ。
<大国間協調と地域機構>
グローバルな大国間協調に必要になるのは、中国、欧州連合(EU)、インド、日本、ロシア、アメリカの6メンバーだ。民主国家と非民主国家に同じ地位を与える。重視されるのはパワーと影響力で、価値や政府(統治制度)のタイプは問われない。この大国間協調のメンバーで、世界の国内総生産(GDP)と軍事費の約70%を担っている。こうしたメンバーなら、この集団に地政学的影響力を与えられるし、この枠組みが、制御不能な議論が飛び交うフォーラムと化すのを避けられるはずだ。
メンバーは、大国間協調のための常設本部に影響力のある外交代表を派遣する。四つの地域機構(アフリカ連合、アラブ連盟、東南アジア諸国連合=ASEAN)、米州機構=OAS)も、正式メンバーではないが、大国間協調の本部に代表団を送り込む。これらの地域機構は各地域の立場を代弁する一方で、大国間協調のアジェンダを形作るのを助けることができる。特定地域に影響を与える問題を議論する際には、メンバーはこれらの地域機構の代表者に会議に参加するように要請できる。例えば、協議が中東での紛争に対処することが目的なら、メンバーに加えて、アラブ連盟、関連メンバー、イラン、イスラエル、トルコなどの他の関係国の参加を求めることもできる。
グローバルな大国間協調は、定型化されたルールを避け、コンセンサスの形成に向けた対話に依存すべきだ。ヨーロッパの大国間協調と同様に、領土の現状維持や主権を重視し、国際的なコンセンサスがある場合を除いて、既存の国境線や特定国の政権を打倒するために軍事力その他の強制的措置をとるのは禁じ手としなければならない。相対的に保守的なこのベースラインなら、すべてのメンバーからの賛同を得やすくなる。一方で、大国間協調は、グローバル化が主権に与える影響、悪辣な国内行動をとる国の主権の一部を制約することを議論するための理想的な空間だろう。そうした悪辣な行動には、ジェノサイドの遂行、テロリストに聖域を提供するテロ支援活動、熱帯雨林を破壊して気候変動問題をさらに深刻にすることなどが含まれる。
したがって、グローバルな大国間協調は、対話とコンセンサスを特に重視することになる。だが、多極世界における大国は国家の地位、安全、体制の継続をめぐってリアリスト的懸念をもつために対立が避けられないことを、運営委員会は認めるべきだろう。死活的に重要な利益が危機にさらされていると判断される場合には、単独あるいは他国との連合を通じて、一方的に行動を起こす権利が認められる。一方で、直接的な戦略的対話を試みることで、相手国が意表を突く行動をとることも、一方的行動がとられる頻度も抑えられるだろう。ポスト冷戦期にモスクワとワシントンが定期的にオープンな協議を行っていれば、例えば、北大西洋条約機構(NATO)拡大をめぐる摩擦も少なくて済んだかもしれない。(現在の)米中も台湾問題をめぐる直接協議の場をもつほうが、この問題に触れるのを避け、台湾海峡での軍事的偶発事故や挑発行動などのリスクによって緊張がエスカレートするよりも、はるかにましなはずだ。
グローバルな大国間協調の枠組みがあれば、一方的な行動による混乱を小さく抑えることにもなる。利益の衝突がなくなることはないが、大国間外交のための新しい交渉チャンネルは、紛争をより管理可能にするのに役立つだろう。「メンバーは、ルールに基づく国際秩序を原則的に支持するが、協調を維持し、立場の違いが表面化しないようにすることには現実的に限界があることを受け入れる」。19世紀の大国間協調では、例えば、ギリシャ、ナポリ、スペインの自由主義的反乱にどのように対応するかをめぐって、メンバー国はしばしば大きな立場の違いを抱え込んだ。それでも、対話と妥協を通じて立場の違いが対立へエスカレートするのを瀬戸際で食い止めた(1853年にクリミア戦争で戦場に戻ったのは、1848年革命がナショナリズムによる不安定な流れを生み出した後だった)。
グローバルな大国間協調は、国内統治についてはメンバー国の踏み込んだ主権を認めることになるだろう。民主主義や政治的権利については意見が一致しないことに同意することで、この領域での立場の違いが国際協調を妨げないようにする(但し、アメリカとその民主的同盟諸国は、中国、ロシア、その他の国における非自由主義的行動への批判を続け、民主的価値や慣行を広める試みを止めるべきではない)。むしろ、普遍的な政治的権利、人権を守るために声を上げ、影響力を行使する必要がある。同時に、中国とロシアも、大国間協調の民主的なメンバーの国内政策を批判し、独自の統治ビジョンを促進するはずだ。しかし、大国間協調は、他国の内政に対する受け入れられぬ干渉レベルについての了解を形成し、過度な干渉は避けるべきだ。
<21世紀と19世紀の国際秩序>
グローバルな大国間協調の枠組みは、第二次世界大戦後に世界の民主国家が構築した「リベラルなプロジェクト」の基準からみれば、前進ではなく、後退になるのは事実だろう。欧米が長期的に目指してきた代議制による統治を拡大し、リベラルな国際秩序をグローバル化していくという目的に比べれば、ここで提案した大国の運営グループが何らかの基準を設定しても、それが控えめなものになるのは避けられない。それでも、21世紀の地政学的現実を考えると、こうした後退も仕方がない。
今後の国際システムは二極体制と多極構造双方の特性を有すると考えられる。現状では米中という超大国のライバルが存在する。しかし、冷戦期とは違って、両国間のイデオロギー・地政学競争に世界全体が包み込まれることはない。むしろ、EU、ロシア、インドだけでなく、ブラジル、インドネシア、ナイジェリア、トルコ、南アフリカなどの大国は、二つの超大国を競わせ、自国の自治と独立を確保しようとするだろう。一方で米中も戦略利益の低い、不安定な地域への関与は制限し、そうした地域での潜在的紛争の管理を他国に委ねるだろうし、いかなる国もそれに関わらないケースも出てくるだろう。中国は遠く離れた紛争地域からは政治的距離を保つ賢明さを維持している。一方、現在中東やアフリカから撤退しつつあるアメリカは、距離を保つことの賢明さを高い代償を払って学んだ。
21世紀の国際システムは、「イギリスとロシアという2大国が君臨し、フランス、プロイセン、オーストリアの3カ国がこれに続いた19世紀ヨーロッパのシステム」に似ている。ヨーロッパ大国間協調の第1の目的は、1815年のウィーン会議で合意された領土上の取り決めを守ることにメンバーが相互にコミットして、平和を維持することにあった。この協定は、条約上の合意ではなく、むしろ、相互の誠意と共通の義務感に基づく議定書とされた。
イギリスのメモランダムは、「相互のコミットメントとして執行すべき行動は、タイミングと状況に左右される」としていた。メンバーは、特にヨーロッパの周辺地域において利益の競合を抱えていることを理解していたが、立場の違いを管理して、集団としての連帯を損なわぬように配慮した。例えば、イギリスは、1820年にナポリで起きた自由主義の反乱を抑えるためにオーストリアが提案した介入に反対したが、キャッスルリー英外相は最終的に「オーストリアの立場が、ヨーロッパの領土システムを揺るがすという目的に向けられていないことを裏付けるあらゆる合理的な保証を示すこと」を条件に、オーストリアの計画に同意した。
ヨーロッパの大国間協調同様に、21世紀のグローバルな大国間協調も、多極構造の安定を促進するのに適している。そのメンバーシップは管理できる規模に制限しなければならない。変化する環境に適応し、拘束力のあるコミットメントをするのを嫌がる諸国を警戒させないようにするために、その枠組みやルールをインフォーマルなものにする必要もある。19世紀同様にポピュリズムとナショナリズムが高まりをみせるなか、力ある国は固定されたフォーマットや義務を伴う枠組みではなく、緩やかなグルーピングや外交的柔軟性を好ましいとみなした。
厄介な課題に取り組むために、現在の主要国がすでに大国間協調のような国家集団やいわゆる接触グループタイプの様式を模索しているのは偶然ではないだろう。例えば、北朝鮮の核開発問題に取り組んだ6者協議、2015年のイラン核合意を交渉したP5+1、ウクライナ東部の紛争に対する外交的解決を求めてきたノルマンディー・フォーマットなどだ。大国間協調は、グローバルビューを備えた常設の接触グループとみなすことができる。別の側面からみても、21世紀は政治的、イデオロギー的に多様な時代になる。
欧米世界を苦しめるポピュリズムの反乱がどのような軌道をたどるかにも左右されるが、リベラルな民主主義国家は持ち堪えるかもしれない。しかし、非自由主義的体制も存続するだろう。モスクワと北京は、社会を開放へ向かわせるのではなく、国内の抑圧体制を強化している。中東やアフリカでは安定した民主主義を見出すのは難しい。確かに、民主主義は前に進むのではなく、後退しており、このトレンドが当面続く可能性がある。つまり、次の国際秩序は、イデオロギーの多様性のためのスペースを確保していなければならない。必然的に今後の大国間協調はインフォーマルで柔軟性に満ちたものでなければならない。国内統治の問題と国際的チームワークの問題を切り離して考えなければならない。19世紀にイギリスとフランスの二つの自由主義勢力がロシア、プロイセン、オーストリアと協調できたのは、体制の違いを問わぬアプローチをとったからだ。
最後に、現在の国際構造と現実との適合レベルが低いだけに、グローバルな大国間協調が必要とされている。米中間のライバル関係は急速に加熱し、世界は壊滅的なパンデミックに苦しんでいる。気候変動が深刻化し、サイバースペースの進化は新たな脅威をもたらしている。これらの課題を含む懸念からみて、現状に固執し、既存の規範や制度に依存するのは危険なまでにナイーブだろう。
ヨーロッパの大国間協調は、ナポレオン戦争によって引き起こされた荒廃を経て1815年に組織された。近年、大国間戦争が起きていないからといって、状況を楽観する理由にはならない。世界は多極化の時代をすでに経験しているが、グローバル化の進展ゆえに、グローバル統治への新しいアプローチの需要と重要性はともに高まっている。
グローバル化はパックス・ブリタニカの時代にも進展し、ロンドンは第一次世界大戦が起きるまで、そのペースを制御してきた。戦間期の(保護主義の台頭によって)その流れは休止した。第二次世界大戦から21世紀まではアメリカがグローバルリーダーシップを主導したが、パックス・アメリカーナはすでに機能を失いつつある。アメリカと古くからの民主的パートナーには、相互依存的国際システムを支えていく能力も意思もなく、第二次世界大戦後に構築したリベラルな秩序を普遍化していくことについても匙を投げている。
実際、COVID19危機を前にしてもアメリカがリーダーシップを発揮できなかったことは衝撃的だった。各国は独自の対応をみせた。バイデン大統領はアメリカを再びチームプレイヤーにしようと試みているが、国内に優先課題を抱え、世界が多極化している現状で、ワシントンがかつてのような巨大な対外的影響力をもつことはないだろう。
世界が地域ブロックに分裂し、冷戦期と同様の2ブロック構造に向かうとしても、それでは展望はみえてこない。経済、金融市場、サプライチェーンが分かち難く結びついているだけに、アメリカ、中国だけでなく、世界の他の国も自国と他国を切り離すことはできないからだ。大国の運営委員会は「もはや覇権国が主導しているわけではない、統合された世界」を管理していく最善のメカニズムだし、グローバルな大国間協調は必要条件を満たしている。
<支柱なき世界>
グローバルな大国間協調に代わる代替策は、実際には選択肢にならないほどの弱点を抱えている。国連は引き続き世界にとって不可欠なグローバルフォーラムだが、これまでの記録をみれば、その役割に限界があることは歴然としている。(常任理事国の)立場の違いゆえに拒否権が行使されるために、安保理が無力化することも多い。しかも、常任理事国の顔ぶれは、今日の世界ではなく、1945年の世界を反映している。安保理メンバーを拡大すれば、新しいパワーバランスを反映できるかもしれないが、そうすることで、安保理はさらに扱い難く、結果を出せなくなる。人道的救済や平和維持活動など、多くの有意義な機能を今後も果たすべきだが、21世紀の世界の安定を支える力は国連にはない。
欧米秩序のグローバル化、リベラルなルールに基づく国際システムを支えていくことにコミットする民主主義国家で構成される世界の出現を目指すのはもはや現実的ではないだろう。アメリカによる「一極支配の瞬間」は終わり、今から考えれば「歴史の終焉論」は、たとえ洗練された理屈だったとしても、勝利主義に酔ったナンセンスな思想だった。それどころか、欧米の政治的凝集力さえ当然視できない。欧米民主国家が代議制の理念、そしてお互いへのコミットメントを取り戻しても、もはやリベラルな国際秩序を普遍化するために必要な物質的力や政治的手段をもっていない。
米中コンドミニアム、つまり、ワシントンと北京が相互に受け入れられる国際秩序をともに管理していくG2も、代替秩序としては欠陥がある。たとえ両国が激化するライバル関係を抑え込む方法をみつけても、世界の多くはこのG2枠組みには参加しないだろう。さらに、米中協調をグローバルな安定の基盤に据えるのは、どうみても安全ではない。アジア太平洋地域での関係を管理していく上で大きな問題に直面するのは避けられない。遠く離れた地域でも、現地国の踏み込んだ同意や支持を必要とする。
米中コンドミニアムの場合、世界は実質的に勢力圏に分けられる。ワシントンと北京は地理的ラインに沿って勢力圏を形成することを相互に了承し、それぞれの地域での支持国に一定の権限と責任を委ねる。だが、中国、ロシアその他の国に、それぞれの近隣地域でのフリーハンドを与えれば、膨張主義を促すことになる。こうして近隣諸国の独立が損なわれるか、反発を招き入れ、兵器拡散や地域紛争が誘発される危険が生じる。21世紀の秩序をいかに形作るかを考えるべきなのは、強制策の行使、ライバル競争、経済分裂を起こしやすい世界を避ける必要があるからだ。
パックス・シニカにも成功の見込みはない。予見できる将来において、中国が世界秩序を支えていく能力や野心をもつことはないだろう。少なくとも今のところ、その主要な地政学的野心はアジア太平洋地域に限定されている。中国は、一帯一路構想を通じて商業的影響力を拡大し、このプロセスのなかで経済的、政治的影響力を高めている。しかし、これまでのところ、グローバルな公共財を提供することへの決意をみせているわけではなく、世界の多くの地域に関与するために主に重商主義的アプローチをとっているだけだ。国内統治への見方を輸出しているわけでも、グローバルな安定に向けた規範形成に乗り出しているわけでもない。
一方アメリカは、たとえ戦略的後退の道を歩み続けても、今後数十年は一線級のパワーであり続けるだろう。リベラルな原則を支持しているアメリカ人や世界の多くの人々にも、非自由主義的で重商主義の中国によるパックス・シニカは受け入れ難いだろう。
現在の国際構造をいかに改善するかについては、グローバルな大国間協調へシフトしていくのが好ましい。それが完璧だからではない。他の選択に比べれば、はるかにましだし、もっとも見込みのある代替秩序だからだ。他のオプションは効率に欠けるか、機能しないか、達成不可能だ。大国の運営委員会が実現しなければ、誰も制御できない世界に翻弄されることになるだろう。
<どのように機能するのか>
グローバルな大国間協調の枠組みでは、持続的な協議と交渉を通じて国際的な安定が促進される。メンバーの常任代表は、スタッフそして小規模ながらも優秀な事務局の支援を受けつつ、定期的に会合を重ねる。メンバー国は実績のある外交官を常任代表として派遣し、このポジションを国連大使と同格にみなす。一方、アフリカ連合、アラブ連盟、東南アジア諸国連合(ASEAN)、米州機構(OAS)も同様に権威ある人物を代表として送り込む。サミットは定期的に実施されるが、危機に直面して必要に応じて開催されることもある。
ヨーロッパの大国間協調が効果的だったのは、メンバー国の指導者が結集して、先鋭化しつつある問題をいかに管理するかを話し合えたからだ。地域に関連する問題を議論する場合には、関係国だけでなく、アフリカ連合、アラブ連盟、ASEAN、OASなどの関係する地域機構の高官をサミットに出席させる。グローバルな大国間協調の議長国は6カ国メンバー間の年次輪番制とする。本部はこれら6カ国のいずれかではなく、ジュネーブかシンガポールに置く。
スタンドプレーによって本質的な議論ができなくなることも多い国連安保理とは違って、グローバルな大国間協調の常任メンバーは拒否権を行使しない。正式な投票をすることも、拘束力のある合意や義務にコミットすることもない。外交は密室で行い、コンセンサスの形成を目指す。連帯を乱し、単独行動をとるのは、そうしなくても済む別の行動を模索した上で、それがうまくいかない場合に限定する。メンバーがコンセンサスから離脱する場合には、他のメンバーが対応を調整する。
この提案は、大国間協調のいかなるメンバーもリビジョニストパワーでないこと、つまり、他国への侵略や征服を考えていないことを前提にしている。ヨーロッパの大国間協調がうまく機能した理由は、そのメンバーが、全般的に領土の現状に満足し、それを覆すのではなく、維持しようとしたからだ。現状では、ロシアがジョージアとウクライナの領土を占有していることが厄介な問題だ(モスクワは近隣国の領土保全など気にしていない)。中国が南シナ海の領有権論争のある島への主権を主張して軍事施設を建設していること、香港の自治を尊重するという約束を踏みにじったことも問題だ。それでも、ロシアや中国が、領土拡大に血道を上げる、制御不能の攻撃的国家になっていくとは考え難い。大国間協調の枠組みも、その可能性を低下させる(メンバー国は、この協調枠組みのなかで、自国の中核利益と受け入れ不能な戦略的「レッドライン」をはっきりと示すことができる)。それでも、日常的に他のメンバーの利益を脅かす好戦的国家が出現すれば、この国を枠組みから追放し、他のメンバーはこの国に連帯して対抗すべきだろう。
大国間の連帯を強化するために、二つの優先課題を重視する必要がある。一つは、既存の国境線の尊重を促し、強制や武力による国境線の見直しを認めないことだ。一方で、状況に適合すれば新しい国を承認するというオプションを維持することもできる。すべての国に国内統治をめぐる自由裁定権を与えるが、メンバー国は、破綻途上国家、あるいは人権や広く受け入れられている国際法をシステマティックに踏みにじる国には是々非々で対処していくべきだろう。
大国間協調の第二の優先課題はグローバルな課題への集団的対応をとることだ。危機に直面した場合には、外交を展開し、共同構想をまとめる一方で、国連の平和維持活動の実施、国際通貨基金の緊急融資の提供、公衆衛生のためのWHOの介入など、国際機関の政策遂行にはタッチすべきではない。さらに、既存の規範や制度をグローバルな変化に適応させる長期的な試みに投資しなければならない。国家間紛争を低下させるために伝統的な主権を擁護する一方で、相互につながる世界にとっての国際ルールとプラクティスを調整していく最善の方法についても議論しなければならない。
国の政策が国際的に悪影響を及ぼす場合には、大国間協調の枠組みでこの問題に対処しなければならない。実際、この観点から、大量破壊兵器の拡散に対抗し、北朝鮮やイランの核開発プログラムに対処していくべきだ。平壌とテヘランに対する経済制裁を遂行し、潜在的な挑発行動に対処していくことについては、メンバー内で適切な国家集団を確保できる。実際、グローバルな大国間協調が常設フォーラムであるだけに、歴史的に北朝鮮とイランとの交渉を処理してきた6者協議やP5+1を大きく進化させることができるだろう。
大国間協調は、気候変動に対処していく空間としても機能できる。中国、アメリカ、EU、インド、ロシア、日本は、合計すると世界の温室効果ガスの65%を排出している。世界有数の排出大国がテーブルを囲む大国間協調なら、温室効果ガスを削減するための新しいターゲットとグリーン開発のための新しい基準を設定し、その履行の監視を他の機関に委ねることができる。同様に、COVID19パンデミックは何が不適切だったかを明らかにしているだけに、大国間協調は改革についてのコンセンサスをまとめるための適切なスペースを提供できる。
デジタルな規制と課税、サイバーセキュリティ、5Gネットワーク、ソーシャルメディア、仮想通貨、人工知能など、技術イノベーションを管理するための今後のルール作りもアジェンダにできる。これらの重要な問題が制度上の狭間で動けなくなることはよくあるが、大国間協調なら、国際的監視のために有意義なフォーラムを提供できるだろう。
<歴史の教訓>
19世紀のヨーロッパ大国間協調の歴史から、大国間の連帯はしばしば「不作為や中立」そして「介入よりも抑制」を伴うことを認識しておく必要がある。当時の大国間協調は、バッファゾーン、非武装地帯、中立地帯を設けることでライバル関係を抑え込み、紛争を回避した。他のメンバーが支持する構想に反対するメンバーは、連帯を崩壊させて構想を阻止するのではなく、構想に参加しない道を選んだ。イギリスは、1820年代のナポリとスペインでリベラルな反乱を鎮圧するための介入に反対したが、他のメンバーによる軍事行動を阻止するのではなく、たんに行動に参加しないことを選択した。フランスも、オスマン帝国支配への反乱を抑圧するために他のメンバーがエジプトに介入した1839年と1840年、行動に参加しないことを選択している。
グローバルな大国間協調はそのようなやり方をうまく再現できるだろうか。例えば、そこに協調枠組みが存在していれば、2011年に始まるシリア内戦を止めさせるために共同介入できただろうか、それとも、主要国の介入を逆に阻止しただろうか。シリア北部に緩衝地帯や非武装地帯を設置するための外交空間を提供し、唐突な米軍撤退とシリア政府による(イドリブ県での)猛攻撃の余波のなかにある現地での戦闘と人道的苦しみを回避できただろうか。グローバルな大国間協調が主要国の立場を統一できていれば、イエメン、リビア、ダルフールなどで展開されている代理紛争の頻度と暴力性を抑えられただろうか。冷戦終結後に大国による運営委員会が存在していれば、ユーゴスラビアとルワンダの内戦を回避するか、少なくとも流血の惨事を抑えることができただろうか。
グローバルな大国間協調があれば、そうできたと保証することはできないが、少なくともその見込みは高まっていただろう。
<想定される批判>
グローバルな大国間協調を確立するためのこの提案は、多くの反対に遭遇するだろう。一つは、メンバーシップについてだ。なぜ(ドイツやフランスのような)ヨーロッパのパワフルな国家ではなく、「委員会と評議会によって、ときに制御し難い形で集団的に統治されている」EUなのかという疑問が先ず表明されるだろう。これに対しては、ヨーロッパの地政学的重みは、個々の加盟国の合計ではなく、そのまとまりとしての強さに派生しているからだと答えることができる。ドイツのGDPは約4兆ドルで国防予算は約400億ドル。EUの総GDPは約19兆ドルで、総防衛費はほぼ3000億ドルだ。
いずれにせよ、ヨーロッパ主要国の指導者を、大国間協調の会合から外す必要はない。EU首脳(欧州委員会委員長と欧州理事会議長)は、ドイツ、フランス、その他の加盟国の指導者を大国間協調サミットに参加させることができる。EUから離脱したイギリスも、欧州連合と今後どのような関係をもつかを模索している。EUがグローバルな大国間協調のメンバーになることで、イギリスもEUも、外交・安全保障政策に関してはつながりを維持する強いインセンティブをもつようになるかもしれない。
GDPが世界のトップ10に入らず、ブラジルとカナダにも経済的に見劣りするロシアをメンバーに加えることに疑問を感じる人もいるだろう。しかし、ロシアは主要な核大国で、世界舞台での重量はその経済力を上回る。ロシアと「中国、近隣のEU諸国、アメリカとの関係」が21世紀の地政学に大きな影響を与えるのは明らかだろう。モスクワは、中東やアフリカでの影響力も再確立しつつある。これらの側面からもロシアは大国間協調のテーブルに着く有資格国だ。
アフリカ、中東、東南アジア、中南米など世界の各地域の立場は、主要な地域機構によって代弁される(大国間協調の本部に常任代表を送り込むことで、このフォーラムでの情報を定期的に得られる)。もっとも、これらの地域機構を代表する外交官や地域的指導者が大国間協調の会議に参加できるのは、直接的に担当する地域についての問題が議論される場合だけだ。
このフォーマットが、国際システムにおけるヒエラルヒーと不平等を強化するのは事実だろう。だが、もっとも重要かつ影響力のあるアクターにメンバーシップを制限することで国際協調を促進することを目的としている。網羅的な参加を求めるよりも、少数のフォーラムとしての効率を重視している。
大国間協調よりも多様な数多くのアクターを参加させている組織は他にある。大国間協調のメンバーから外れても、各国は国連や既存の他の国際フォーラムで影響力を行使できる。さらに、メンバーを変化させることへのフォーラム内でのコンセンサスがあれば、大国間協調がメンバーシップを見直すこともできる。
グローバルな大国間協調は「諸大国の勢力圏で規定される世界を出現させる」という反対論が出ることも予想される。結局のところ、ヨーロッパの大国間協調では、それぞれの地域でメンバー国が近隣諸国を監視する権限を認めていた。しかし、21世紀の大国間協調が勢力圏の形成を促すことはなく、むしろ、地域統合を促進し、既存の地域機構が(各国に勢力圏の形成を)自制するように促すことを期待している。地域を越えて、この枠組みは、論争の多い地域問題に関する諸大国による協議と共同管理を促すだろう。目標は、地域機構の権限と責任を認識しつつも、グローバルな調整を促していくことだ。
現実の世界からみて、大国間協調はあまりにも国家中心型のモデルではないかと批判する専門家もいるかもしれない。ヨーロッパの大国間協調は、19世紀の国家主権と国民国家の概念にはフィットしたかもしれない。しかしいまや、国だけでなく、社会運動、非政府組織(NGO)、企業、都市その他の非国家アクターもかなりの政治パワーをもっている。彼らに交渉テーブルで席を与える必要があるし、これらの社会エージェントに力を与えることは理にかなっている。それでも、国際システムにおける主要かつもっとも有能なアクターが国家であることに変わりはない。
実際には、グローバル化とそれが招き入れたポピュリズムの反動は、COVID19パンデミックと共に、主権を強化し、国家政府が権力を取り戻すことを求めている。一方で、そうすることが適切な場合には、大国間協調は、NGOや企業などの非政府組織を議論に参加させることもできる。実際、グローバルヘルスについて議論する際にはビル&メリンダ・ゲイツ財団や大手製薬会社を議論に参加させるべきだし、デジタル統治に対処する場合にはグーグルを参加させなければならない。大国による運営委員会は、グローバルガバナンスへの非国家アクターの貢献に取って代わるのではなく、それを補完することになるだろう。
最後に、グローバルな大国間協調の魅力と有効性が柔軟性、つまり、形式にとらわれないところにあるとすれば、それをなぜ制度化すべきなのかと問う専門家も出てくるはずだ。6者協議やP5+1などの関係国のアドホックなグループを必要に応じて組織すればよいのではないか、G7とG20が存在する以上、グローバルな大国間協調は必要ないのではないか。こう考える人もいるだろう。
だが「本部と事務局をもつグローバルな大国間協調」は、散発的に集まる他のグループよりも明確な地位と効率を備えもつことになる。大国間協調枠組み内での定期的な6者協議、事務局の活動、主要地域における地域機構代表団の常駐。定期的サミットに加え、緊急に招集されるサミット。これらの機能が、グローバルな大国間協調の永続性、権限、正統性を支えることになる。継続的かつ持続的な対話、代表者たちの個人的関係、対面外交に派生する圧力は協調を促す。連日の交流は、本質的ではないエンゲージメントよりもはるかに好ましい。
常設事務局は、サイバーセキュリティやグローバルヘルスなどの非伝統的な問題に取り組む上で必要な専門知識、持続的な対話、長期的な視点を提供する上で特に重要だ。常設機関なら、予期せぬ危機にも対応できる。COVID19パンデミックも、大国間協調の枠組みを通じて、危機の初日からグローバルな対応を調整できていれば、より適切に封じ込められたかもしれない。実際には、中国からの重要情報の提供は遅く、G7首脳が急速に拡大する感染症についてビデオ会議で話し合ったのも、危機に入って数カ月が過ぎた2020年3月になってからだった。
つまり、グローバルな大国間協調は、G7とG20の双方に取って代わるポテンシャルを秘めている。アメリカ、EU、日本はこの新しい協調体制にエネルギーを注入し、G7を衰退させることになるかもしれない。一方、G20については、そのメンバーシップがより広範であることを考えると、逆にこのグループを維持していくより大きな理由がもたらされるかもしれない。ブラジル、インドネシア、サウジアラビア、南アフリカ、トルコなどの国々は、G20が衰退し、自国の立場を表明する機会と国際的地位を喪失することには強く反発するはずだ。それでも、グローバルな大国間協調がそのポテンシャルを開花させ、政策調整の主要な空間になれば、G7とG20の双方が存在理由を失っていく可能性は十分にある。
<万能薬ではないが・・・>
グローバルな大国間協調を確立できても、それが魔法の杖になることはない。それどころか、世界の重量級国家をテーブルに着かせて、コンセンサスが形作られる保証はどこにもない。確かに、ヨーロッパの大国間協調はその後何十年も平和を維持することに成功したが、フランスとイギリスは最終的にクリミア戦争でロシアと対決した。現在もロシアがクリミアをめぐって再びヨーロッパと対立していることは、大国間連帯の基盤が脆弱であることを物語っている。フランス、ドイツ、ロシア、ウクライナをメンバーとするノルマンディー・フォーマットのような大国間協調タイプのフォーマットも、クリミアとドンバスをめぐるスタンドオフを解決できずにいる。
それでも、グローバルな大国間協調は大国間の調整を進め、国際的な安定を維持し、ルールを基盤とする秩序を促進していくためのもっとも現実的で最善の方法だ。
アメリカとその民主的パートナーは、欧米世界の連帯を復活させるあらゆる理由をもっている。だが、第二次世界大戦後に擁護してきた戦後秩序の世界的な勝利が手の届くところにあるかのようなふりをするのはやめるべきだ。リーダーシップから後退すれば、混乱と無節操な競争によって損なわれるグローバルシステムの再現につながる。グローバルな大国間協調は、「理想主義的だが非現実的な願望」と「危険な選択肢」の間にあるプラグマティックな選択に他ならない。●
このエッセイは、イギリスの王立国際問題研究所。米外交問題評議会、米ジョージタウン大学外交大学院が主導した「世界秩序に関する『ロイド・ジョージ』スタディ・グループ」のプロジェクトとしてまとめられた。
(C) Copyright 2021 by the Council on Foreign Relations, Inc., and Foreign Affairs, Japan
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