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幻想に覆われたイギリス政治
―― ブレグジットと果たされなかった約束

ピーター・A・ホール ハーバード大学教授(ヨーロッパ研究)

Brexit and Broken Promises
Leaving the EU Without Consequence Was Always a Fantasy

Peter A. Hall ハーバード大学教授(ヨーロッパ研究)

2019年1月号掲載論文

幻想に包み込まれてしまったイギリス政治というファンタジーランドの住民たちには、現実が見えてないようだ。保守派、つまり、頑迷な離脱派は、テリーザ・メイがまとめた離脱合意を非難し、まるでもっと良い選択肢があるかのように、これでは「ヨーロッパへの隷属」と同じだと批判している。一方、左派の労働党は、伝統的な支持基盤である労働者階級が望むとおり、ブレグジットは受け入れるとしつつも、但し、それはEUメンバーだったときと同様に好ましい条件をEUから引き出した場合だけだと条件をつけている。現状は政治的ホラームービーのようなものだ、主要な政治プレイヤーが目を通している台本に書かれていることと現実の関連がほとんどないだけに、どのような結末になるかはまったくわからない。

  • 離脱派の嘘と幻想
  • 幻想が現実に出遭えば
  • 北アイルランド問題

<離脱派の嘘と幻想>

ブレグジットを問う国民投票で離脱派がぎりぎりの過半数を制した2016年6月、イギリスは政治的幻想に覆われていた。これは、一部の人々にとっては当時から自明のことだった。投票後しばらくすると、離脱派は、欧州連合(EU)から離脱すれば、(拠出金を払わずに済むので)国民保健サービス(NHS)に毎週3億5000万ポンドを充当できるようになるという主張から後退せざるを得なくなった。しかも、(医療スペシャリストの45%を外国人に依存し、しかもブレグジットの可決以降、いずれ実施される移民制限に備えて、看護のスペシャリストなどがイギリスを離れつつあるために)NHSは深刻なスタッフ不足に直面している。

ブレグジットの離脱合意が明らかにされたことで、政治的幻想のスケールがいかに大きかったかは、いまや誰もが知るところだ。

 

<幻想が現実に出遭えば> 

ブレグジット支持派は、「EUから離脱しても、単一市場に残留した場合に得られるメリットの多くを確保できる」という考えをこれまで売り込んできた。「ヨーロッパとのモノやサービスの自由貿易もこれまで通りだし、離脱すればEUへの拠出金を納める必要もなく、規制に縛られることもない。一方で、イギリスの輸出を増やし、輸入品の価格を下げるために、他の諸国との自由貿易協定を交渉できるようになる」

しかし、EUの官僚たちは、「イギリスがそのような合意をまとめることに成功すれば、離脱が相次ぐことになり、EUは存亡の危機に立たされる」と懸念した。ロンドンもEUも、イギリスが合意なしで離脱する「ハードブレグジット」は望んでいない。しかし、EU解体の懸念ゆえに「離脱するのなら、イギリスに応分の苦しみを与えること」を、ブリュッセルは実質的な交渉指針に据えた。当然、離脱すれば、イギリスは困難な状況に直面する。

ロンドンは「われわれは、ドイツの自動車部品だけでなく、ヨーロッパから多くを輸入しているのだから、ブレグジットをめぐって有利な立場から交渉できる」と考えていた。だが、優位を握っていたのはEUの方だった。イギリスがヨーロッパへのアクセスなしで暮らすよりも、EUのメンバー諸国がイギリス市場への自由なアクセスなしで暮らす方がはるかに簡単だった。結局のところ、ヨーロッパ諸国は約4億5000万の人口を擁する単一市場を維持していくのに対して、イギリスは世界の遠くの国との自由貿易を形作ることが残された唯一の希望になる。実際、英連邦は、国家利益を覆い隠すだけのイチジクの葉のようなものだし、ドナルド・トランプ率いるアメリカは保護主義へ向かっている。

幻想に包み込まれてしまったイギリス政治というファンタジーランドの住民たちには、この現実がみえてないようだ。保守派、つまり、頑迷な離脱派は、テリーザ・メイ首相がまとめた離脱合意を非難し、まるでもっと良い選択肢があるかのように、これでは「ヨーロッパへの隷属とほとんど同じだ」と主張している。

一方、左派の労働党は、伝統的な支持基盤である労働者階級が望むとおり、ブレグジットは受け入れるとしつつも、それは、EUメンバーだったときと同様に好ましい条件をEUから引き出した場合だけだと条件をつけている。労働党党首のジェレミー・コービン党首は、これまで欧州統合を熱心に支持したことはなく、労働党の目的は、離脱を求める労働者階級と、2017年の選挙で労働党の支持に回ったEU残留を支持する多くの支持者との間でバランスをとることにある。だが、現実に照らせば、こうした労働党の政策も馬鹿げた、もう一つの幻想にすぎない。

もちろん、労働党の指導者たちの主要な目的とブレグジットそのものにはほとんど関係がない。保守党に総選挙を決断させ、労働党が勝利を収めることが狙いだ。世論調査では、労働党がリードしているとはいえ、メイ政権が極端な混乱のなかにあることを考慮すれば、そのリードは困惑を禁じ得ないほどに小さい。

これまでも選挙はブレグジットの行方にかなりの衝撃を与えてきた。実際、テリーザ・メイが時期尚早に総選挙に打って出た2017年4月の選挙は、新しい合意にとって運命的なものになり、メイ政権にとっては致命傷となるかもしれない。

2017年初頭の段階では、世論調査での保守党への支持は高く、議会多数派の地位を固めるには良い機会のように思えた。だが、EU残留を望む人々が、保守党に復讐するために労働党と連帯したつまらない選挙キャンペーンを経て、保守党は(得票率を伸ばしたものの)議会の少数派に転落し、何とか政権を維持するために、民主統一党(DUP)との連立を組まざるを得なくなった。

 

<北アイルランド問題> 

DUPは主に北アイルランドのプロテスタント教徒を支持基盤とする小政党だ。保守党との連立パートナーになったDUPは、「アイルランドとの(国境線で)人とモノの自由な流れを妨げてはならないし、北アイルランドとイギリス間のアイリッシュ海にも境界線があってはならない」という北アイルランドの主流派の立場の実現に向けて影響力を行使するようになった。

国境線での規制をなくしたことが、北アイルランドに平和をもたらした1998年のベルファスト合意の本質だったために、アイルランドも、北アイルランド同様に国境線の開放維持をもっとも重視している。アイルランドの活力に満ちたレオ・バラッカー新首相も、「国境線の開放を維持することをEUのブレグジット交渉のレッドラインとさせる」と公約して、勝利を手に入れている。ブレグジットは北アイルランドとアイルランドに様々な問題を突きつけているが、主要なハードルは「北アイルランドとアイルランド間に堅牢な国境線が出現しないようするにはどうすればよいか」にある。これが、イギリスとEUの交渉を決裂させかねない大きな課題だった。

一連の激しいやりとりを経て、最終合意では、南北アイルランド間の自由な人とモノの流れが確保されることを期待するという表現が使われた。「そうした期待がテクノロジカルあるいはその他の手段を通じて満たされることについて双方が合意するまで、イギリス全体はEUとの関税同盟にとどまる」という表現でバックストップ(担保)された。この関税同盟が続く限り、北アイルランドとアイルランドの国境線を越えた人とモノの移動は保証されるが、この場合、イギリスは、国家による企業支援、税制、労働基準その他一連のEU規制に縛られ、他の諸国との貿易合意を交渉することも控えなければならない。

特に、この「バックストップ」は、まさに離脱派が国家に対する裏切りとみなしたポイントだ。もはやEUへの発言権もなく、それに付随する規制によって今後長年にわたってがんじがらめにされるだけだと、彼らは、明確な根拠なく、関税同盟への残留を批判している。こうして、これまで同様に、アイルランド問題がイギリス政治を膠着状態に追い込んでいる(訳注―2018年12月10日、メイ首相は、ブレグジット協定案が大差で否決され、議会の分裂が大きくなることを懸念し、下院採決の延期を発表した。また、北アイルランド問題のバックストップについて、EUと再協議する意向を表明した。但し、トゥスクEU大統領は、離脱合意案の再交渉は行わないと明言している)。

しかし、離脱派の苛立ちにも関わらず、こうした現状は、「他に選択肢はない」というマーガレット・サッチャーのかつての有名なフレーズを思い起こさせる。たしかに、メイはサッチャーではないし、離脱交渉にあたって閣僚たちが彼女の立場を支える仕事をしたかどうかは、はっきりしない。しかし、地政学状況からみて、彼女がより優れた合意を引き出せたとは考えにくい。実際、合意なしで離脱すれば、南イングランドの港だけでなく、イギリス経済全体がカオスに陥っていくとみなす点では広くコンセンサスがある。

しかし、現状では、メイのリーダーシップが、EUとの離脱合意を表明したことで作り出された政治的混乱を克服し、持ち堪えられるか、そして、分裂した議会から合意が引き出せるかどうかは、わからない。

保守党内部でも、離脱派のリーダーであるジェイコブ・リースモグはメイに対する不信任決議を求めている。ブレグジット論争の各派が直ちに指摘したように、イギリスにとって、これは特に上出来の合意ではない。さらに、2016年にEUからの離脱を支持した人々が、手に入れられると考えた条件はほとんど満たされていない。

ヨーロッパ大陸側にも苛立ちがみられる。EU加盟国の多くは、合意の条件について態度を留保している。彼らは関税同盟に残留する条件としてイギリスに示したEU規制が十分ではなかったのではないかと心配している。イギリスは、ヨーロッパの製品が競合できないような低税率、低賃金、低コストの経済ゾーンを作るのではないかと懸念している。イギリスがEU加盟国の多くよりも先端型の経済をもっている以上、これも幻想の類だが、それでも合意にはEU加盟国による満場一致の承認が必要になる。

端的に言って、政治的ホラームービーのストーリーライターも、イギリスとEUが現在直面している状況ほど、見事なプロットは思いつかないだろう。この映画の結末をわれわれはいまのところ知らないし、主要な政治プレイヤーが目を通している台本に書かれていることと現実の関連がほとんどないだけに、どのような結末になるかはまったくわからない。●

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