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統合の危機とヨーロッパの衰退

ティモシー・ガートン・アッシュ
オックスフォード大学歴史学教授

The Crisis of Europe

Timothy Garton Ash イギリスの歴史家で、ヨーロッパを代表する知識人の一人として知られている。オックスフォード大学教授、スタンフォード大学フーバー研究所シニアフェロー。

2012年10月号掲載論文

戦後のドイツにとって、ヨーロッパ諸国の信頼を取り戻すことが、ドイツ統一という長期的目的を実現する唯一の道筋だった。財政同盟という支えを持たない通貨同盟が構造的な問題と崩壊の火種をはらんでいることを理解した上で、西ドイツはドイツ統一のためにあえてユーロを受け入れた。そしていまやヨーロッパはユーロ危機に覆い尽くされ、漂流している。かつてこの大陸を統合へと向かわせた戦争の記憶もソビエトの脅威も希薄化するか、消失している。瓦礫のなかから統合を目指し繁栄を手にした戦後世代とは違って、現代の若者たちは繁栄から失業へ、希望から恐れへと、まったく逆の変化を経験している。統合の維持に向けた新しい源流、エリートと市民たちを統合の維持へと駆り立てる新たな流れが生じない限り、ヨーロッパは、かつての神聖ローマ帝国同様に、ゆっくりとその効率と価値を失い、衰退していくことになるだろう。

  • 二つの5月10日
  • 戦争の記憶とドイツの統合への決意
  • バランスを欠いた通貨同盟の誕生
  • 予測された危機の想定外の展開
  • なじまない「国家」と「ヨーロッパ」
  • 危機後のヨーロッパは連帯を維持できるか
  • ヨーロッパのドイツか、ドイツのヨーロッパか
  • 記憶、恐れ、そして希望
  • ヨーロッパの衰退か

<二つの5月10日>

1943年5月10日、ドイツ軍はワルシャワのユダヤ人隔離地区(ゲットー)を破壊していた。ユダヤ人抵抗組織の蜂起を前に、ドイツ軍はこの地域の家という家に火を放って住民を焼き殺し、地下室に隠れていた人々を表へと引きずり出した。

「今日だけで、1183人のユダヤ人を拘束し、187人のユダヤ人と抵抗勢力を射殺した」とナチス親衛隊司令官ユルゲン・シュトループ将軍は文書に記している。「数は不明だが、掩蔽壕を爆破したことで(これ以外にも)ユダヤ人と抵抗勢力を相当数殺害した。これまでに処理できたユダヤ人の総数は(確認されているだけで)5万2683人になる」。この文書には、後に有名になる、大きな服をきて帽子をかぶり、恐怖におびえ、降伏の意図を示そうと両手を高く上げた少年の写真が添えられていた。

ワルシャワのゲットー蜂起の指導者の一人で、殺戮を逃れた数少ないユダヤ人の一人であるマレク・エデルマンは戦争直後に出版した回顧録の最後を次のように締めくくっている。「蜂起して(ドイツ軍に)殺された人々は、歩道にその血がしみこんでいく、最後の瞬間までその責任を果たした。生き延びたわれわれは、彼らの記憶を永遠に心に刻むことを、(読者である)あなた方に委ねたい」

60年後の2003年5月10日、ポーランドは欧州連合(EU)への参加の是非を問う国民投票を1カ月後に控えていた。EU参加への合意を求めるキャンペーンの横断幕には、ポーランド国旗の色である赤と白で「われわれはポーランド国旗とともにヨーロッパの一員になる」と書かれていた。再建されたワルシャワ王宮の外では、ブルーの背景に黄色の星をちりばめたEUの旗に合わせて、黄色と青のTシャツを着た少女たちの声が流れ始めた。それは、ベートーベンの第9最終楽章をベースとする「ヨーロッパの歌」だった。彼女たちは、ドイツの詩人フリードリヒ・シラーの「歓喜の歌」をポーランド語で歌い始めた。

EUへの参加を果たすと、ポーランドの若者たちはヨーロッパを自由に移動し、外国で学び、働き、腰を落ち着けて暮らし、結婚できるようになった。ダブリン、マドリッド、ロンドン、ローマで暮らすことで、ポーランドの若者たちはヨーロッパの福祉国家の恩恵を肌で感じた。

ユーロが導入された当初から予見されていた危機が、どのようにして1945年以降の欧州統合プロジェクトを脅かす実存的危機と化していったかを理解するには、この二つの5月10日、つまり、1943年の5月10日から2003年の5月10日の間に、ヨーロッパがいかにユニークな道を歩んできたかに目を向ける必要がある。

第二次世界大戦を直前の過去として鮮明に記憶し、冷戦下の緊迫した情勢に直面していたヨーロッパは、その後、3世代にわたって、この大陸でも先例がなく、世界的にも類例のない平和的統合の道を歩き続けた。だがこのプロジェクトも、ベルリンの壁の崩壊後、ヨーロッパの指導者たちが構造上問題のある通貨同盟の導入へと拙速に乗り出した結果、迷走し始める。

ヨーロッパの多くの政府、企業、家庭が持続不可能な債務を積み上げていく一方で、ポルトガルからエストニア、フィンランドからギリシャにいたるヨーロッパの若者たちは、平和と自由、繁栄と社会保障を当然視するようになった。そしてバブルははじけた。多くの人は状況への大きな失望感を抱き、各国の経験になぜかくも大きな違いが生じているのかと反発を募らせている。

いまもヨーロッパの危機は収束していないし、すでにヨーロッパはかつてこの大陸を統合へと向かわせてきたインセンティブを失っている。ユーロゾーン崩壊への恐怖を各国が共有すれば、最悪の事態は逃れられるかもしれない。だが、ヨーロッパを統合へと駆り立てた勢いを取り戻すには、恐怖以上の何かが必要だ。問題は、それが何であるかだ。

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