Riccardo Mayer/shutterstock.com

グローバルな公衆衛生の課題(上)
――潤沢な援助がつくりだす新たな問題

ローリー・ギャレット/米外交問題評議会(CFR)シニア・フェロー

The Challenge of Global Health

2007年2月号掲載論文

この数年間で、途上国の公衆衛生問題への各国の関心と貢献は劇的に向上した。これだけの資金が集まっているのだから、公衆衛生上の問題の多くを解決できる可能性も出てきていると考えてもおかしくはない。だが、そうした考えは間違っている。ほとんどの資金には条件がつけられているし、資金提供者(ドナー)が望む優先順位、政策、価値観に従って使用しなければならない。また、援助が着服されることも多く、腐敗が蔓延しているガーナでは、実に寄付の8割が、本来の目的のためには使用されていない。とくに、援助を寄付に依存するとドナーの意向が働くために、富裕国で関心を集めている疾病や症状にばかり大きな関心と資金が集中し、疾病対策が財団の気まぐれに左右され、資産家や富裕国の政府が憂慮する疾病ばかりが重視され、結果的に世界の公衆衛生問題への対応が枠にはめられてしまう。

  • 膨大な資金流入と乏しい成果
  • HIVと抗レトロウイルス(ARV)
  • 公衆衛生部門に流れ込んだ巨額資金
  • 援助がつくりだす問題
  • ボツワナのケース

<膨大な資金流入と乏しい成果>

わずか10年ほど前まで、世界の公衆衛生にとっての最大の課題は、貧しい生活のなかで病気に苦しむ人々に次々と襲いかかるさまざまな疾病に対応していくための資金が絶望的に不足していることだった。だがいまや、政府、民間ともに、かつてない規模の資金や援助をこの領域に投入しだし、切実な対応を要する公衆衛生上の課題に対処していく資金プールはかつてなく大きくなっている。
しかし、こうした資金が投入されているさまざまな活動プログラム間の連携は図られていないし、その多くは、公衆衛生全般ではなく、もっぱら多くの人が知る有名な疾病対策に集中している。このため、巨額の人道主義的な援助が途上国の公衆衛生の改善のために投入されているにもかかわらず、期待されているような成果を挙げるどころか、状況をさらに悪化させてしまいかねない情勢にある。世界の貧困層の疾病を克服しようと、いまや史上最大規模の資金が投入されようとしているにもかかわらず、このような危険が現に存在することを認識する必要がある。
この5年にわたって、先進国はさまざまな理由から、外交政策の一環として途上国の疾病対策に取り組むようになった。HIV・AIDS、結核、マラリア、鳥インフルエンザの蔓延を食い止めることを道義的義務とみなす国もあれば、病原体がボーダーレスな移動をすることを考慮し、途上国への投資を自己防衛の一環とみなしている国もある。先進国政府の援助の増額に加えて、疾病対策に巨額の資金を提供したビル&メリンダ・ゲイツ財団や投資家のウォーレン・バフェットなど、民間の寄付も大きな流れをつくりだしている。
これら一連の動きによって、公衆衛生関連の対策資金のプールは数十億ドル規模に達しており、数千の非政府組織(NGO)や人道支援団体が、こうした資金を自分たちの活動に生かしたいと考えている。だが、資金だけではどうにもならない問題もある。
途上国の公衆衛生状態を改善するには、国レベルでの適切な医療システム、現地の対応インフラが必要になる。だが、数十年にわたって十分な強化策がとられてこなかったために、途上国の病院、診療所、研究所、医学部のインフラは大きな問題を抱え込んでいるし、医療関連の人材も不足している。このような状況では、いくら資金を注ぎ込んでも、成果が上がらない恐れがある。
さらに言えば、短期的な数値目標の実現が援助の条件とされていることも問題だ。特定の医薬品の投与数を増やすこと、HIVに感染した女性の妊娠を減らすこと、病気を媒介する蚊から子供を守るためのベッド用のネット(蚊帳)の支給数を増やすことなど、援助にはさまざまな条件がつけられている。
途上国の公衆衛生の全般的状況を大幅に改善するには、2、3世代とは言わずとも、少なくとも1世代という時間がかかることを認識し、特定の疾病よりも、市民全体の健康・衛生状況を改善させるような措置に集中的に取り組む必要がある。だが、困ったことに、援助であれ、寄付であれ、これらの点を理解している資金提供者(ドナー)はほとんどいない。
世界的にみると、医療関係者が400万人不足していることも、しばしば見過ごされている。先進国社会の高齢化が進み、これまで以上の医療対策が必要になってきたため、本来途上国で働いているべき医療関係者を先進国が奪い取りつつある。すでにアメリカの場合、開業している医師の5人に1人が外国で医学教育を受けた外国生まれの医師だし、アメリカン・メディカル・アソシエーション誌で発表された研究は、2020年までに、アメリカでは看護師80万人、医師20万人が不足するようになると予測している。アメリカや他の先進諸国が、医師と看護師の給与レベルを引き上げ、国内での訓練プログラムを強化しないことには、15年以内に先進国の病院の医療スタッフの多くを貧困国、あるいは中所得諸国で医学の訓練を受けた人材に依存することになる。ここにおける問題は、途上国から先進国へと医療関係者が流れれば、途上国の医療現場がますます深刻な人材不足に陥ってしまうことだ。
だが、こうした問題の解決に必要な壮大なビジョンを持つ指導者は多くない。それどころか、2006年に世界の公衆衛生を担当する国際機関の指導者たちが入れ替わり、いまや先の読めない状況にある。2006年5月に、世界保健機関(WHO)のイ・ジョンウク事務局長が任期半ばで死亡したことを受けて、これまでにないやり方での後任者選びが始められ、その結果、世界の公衆衛生の指導者たちは「疾病対策の指揮をとるのは誰なのか、誰がそのコストを負担するのか、どのような戦略と戦術を採用するのが最善なのか」など、これまで長く放置されてきた基本的な問題に直面せざるを得なくなった。
だが、答えは簡単には見つかりそうにない。たしかに、2006年11月には中国のマーガレット・チャン博士がイ・ジョンウクの後任者に選ばれた。彼女は、香港の公衆衛生担当の責任者として新型肺炎(SARS)と鳥インフルエンザの対応の陣頭指揮をとり、その後、WHOの感染症・伝染病対策部の責任者として活動した経験を持っている。しかし、チャン自身、事務局長への就任演説で、WHOが「深刻な競争と新しい課題」に直面していると楽観を戒めるコメントをしている。この論文を書いている時点では、「世界AIDS・結核・マラリア対策基金」の指導者はまだ決まっていない。指導者ポストに300人を超える候補が名乗りを上げ、選挙が1カ月以上続き、理事会も、対策基金の任務と今後の方向性をめぐって意見を集約できずにいる。
一方で、新たに立ち上げられた公衆衛生プロジェクトのなかには、活動の効率と持続性に関する自己評価メカニズムを導入しているものもあるし、数は少ないとはいえ、当初の計画を上回る活動を初期段階で実現しているプログラムもある。そうしたプログラムのほぼすべてが、(現地の関係者と協力しつつも)基本的に先進国のスタッフによって設計・管理・遂行されている。成功しているプログラムの多くは、弱体な国、あるいは破綻国家において、外国のNGO、研究者グループが運営するプログラムで、一般に政府は関与していない。とはいえ、貧困に苦しむ人々の意見が汲み取られることはないし、現地の人々の必要性を満たすのがどのようなプロジェクトであるかが配慮されることもなく、現地の発案が活動に組み込まれることもない。また、ほぼすべての公衆衛生プログラムが、現地政府が援助に依存してきた場合の撤退戦略、保険策を持っていない。
いまやグローバルレベルでの公衆衛生活動は大きな分岐点にさしかかっている。
かつてヨーロッパを復興へと導いたマーシャルプラン同様に、今後、官民の壮大な試みによって、途上国の数十億の人々が公衆衛生・医療レベルの劇的な改善という恩恵に浴することになるのか、それとも、貧困な途上国社会はますます深刻な状況に陥り、他の領域同様に公衆衛生領域でも、誠実な意図からの介入が悪しき結末へと行き着くという事例をさらに積み上げていくことになるのか。
どちらの結末に直面するかは、途上世界の公衆衛生関連の人材を質量ともに強化できるかどうか、国家レベル、グローバルレベルの双方で劣化しつつある公衆衛生インフラを立て直し、改善できるかどうか、そして、地方と国際レベル双方での疾病の予防と管理のための効率的な体制を整備できるかどうかで左右される。

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