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核廃絶か、止めどない核拡散か

ジョナサン・シェル
元ニューヨーカー誌エディター

The Folly of Arms Control

Jonathan Schell ニューズデー誌のコラムニスト、ニューヨーカー誌のエディター・記者として長く執筆活動に携わり、この間、プリンストン大学、ニューヨーク大学の客員教授も務めたアメリカの著名なジャーナリスト。数多くのノンフィクションを発表しており、主な著書に、Observing the Nixon Years(『核のボタンに手をかけた男たち』)などがある。

2000年9月号掲載論文

核不拡散が達成不可能とみなされれば、アメリカ政府は核拡散を認め、「核武装した世界」に向けた安定的移行プロセスの管理という目標を掲げるようになるかもしれないし、現実に、より多くの核保有国が存在する国際秩序へと世界は向かっている。核不拡散政策と核の保有による抑止戦略を両立させようとするアメリカの核政策は、道徳的にも、軍事・外交的にも、そして法的にも一貫性を欠く自己破綻の処方箋にほかならない。実際には抑止論で正当化される核の兵器庫の存在こそが核拡散を刺激しているのだから、抑止政策や核の保有と核不拡散政策とは両立し得ず、本気で核の拡散を阻止するには核廃絶を目標とするしかない。

  • はじめに
  • 解体寸前の核軍備管理レジーム
  • 核抑止にしがみつく愚かさ
  • 何が拡散を刺激しているのか
  • 核ドクトリンの変遷
  • このままでは世界的核武装化へと向かう
  • 危険と生存

<はじめに>

歴史はしばしばわれわれの目の前に、そのときの政治環境ではとうてい解決できないような問題を突きつけるものだ。例えば一九三〇年代にヒトラーがヨーロッパの民主諸国にあいくちを突きつけた時、当時の指導者たちはヒトラーに正面から向き合うだけの固い決意を持っていなかった。チャーチルが主張したように、ヨーロッパの民主社会はナチスの侵略を牽制するためにより早い段階で毅然とした反対姿勢を示すこともできたはずだ。今や歴史家の大半が(決意さえあれば)実際にそうできたと考えている。

しかしチャーチルが示した対応策は、当時の主流だった政治思考の枠に収まるものではなく、彼自身の有名な言葉を借りれば、結局は「荒野へと追いやられてしまった」。チャーチルの提案が政治的に支持されるようになったのは三〇年代末になってからで、すでにこの時はヒトラーの行く手を阻むには第二次世界大戦というコストを必要とするまでに情勢は悪化していた。

もう一つの例として、ベトナム戦争を挙げることができる。今から考えると、当時議論されていたさまざまなシナリオの中で現実性があったのは次の二つだけだった。一つは「目的のない戦争」の継続で、この場合、アメリカ軍がベトナムを際限なく占領し続ける必要があった。そしてもう一つは「撤退と敗北」だった。それぞれのコストは、先の読めないまま長期的にアメリカによる統治を押しつけること、あるいはベトナムを「失う」ことだったが、これらはともに当時の政治環境の中では許容されるものではなかった。結局、偽りや自己欺瞞が状況を支配した。

戦争に反対する者は撤退を唱えたが、それが敗北を意味することは認めようとしなかった。一方、戦争を支持した者は、トンネルの出口からすでに光が見えていると主張し、勝利は間近だと思い込んでいるふりをした。当時の政治環境の枠内で可能だったのは、厳しい選択を先送りし、その場しのぎの中道策をとることでしかなく、それは、まず目立たないように戦争を激化させ、その後、戦争の現地化、つまりは「ベトナム化」を図ることだった。そして、最終的にこの政策の代価を払わされたのは、ベトナムとアメリカの民衆だった。

理想主義的政策と現実主義的政策がよく比較の対象とされるが、ヒトラーの台頭期やベトナム戦争当時の政策上の選択肢はこうした比較では説明しきれない。むしろ比較の対象とすべきは、目の前にある現実とは関係なく、政治環境から見てそれが許されるかどうかで政策決定者の手足を縛る「政治的現実主義」と、現実や実相との乖離であり、後者についてはそれを「情況現実」と呼ぶことも可能だろう。

ポスト冷戦時代における核の惨状というシナリオへの対応を考える場合にも、この「政治的現実主義」と「情況現実」を区別する必要がある。かつてアレクサンドル・ソルジェニーツィンが「現実における無慈悲なかなてこ」と呼んだ政治的現実と情況現実の衝突がいま再び起きている。つまり現実に対する「真の選択肢」が政治的に受け入れ不可能である一方、政治的に受け入れ可能な選択肢は現実への対応にはなり得ないという状況が今そこにある。

現実に対する真の選択肢は二つある。一つは核兵器の無制限の拡散を認めることである。この場合、最終的には、核戦略の理論家、故アルバート・ウォールスタッターがかつて「多数の核武装国家」と呼んだ状況、あるいは、より最近ではハーバード大学のグレアム・アリソンが「核の無秩序」と呼んだ状況を現出させる可能性がある。一方、もう一つの真の選択肢は、国際合意による核の廃絶である。現在のアメリカの政策は、核拡散を防止しようと試みつつ、同時に自らの核の兵器庫を今後もずっと維持していくことを目的としている。

しかし、この二つの目的は矛盾しており、両立不可能である。二十一世紀の幕開けにおける新たな「核のジレンマ」のさなかで、こうした二律背反的な目的を掲げた政策をとるのは、三〇年代における(ヨーロッパ諸国の)宥和政策や、六〇年代末や七〇年代初期のベトナムでのエスカレーション策、「ベトナム化」政策と同じく大きな歴史的間違いである。

問題を統治するには選択を行わなければならない。現在の政策は選択を回避しているにすぎず、世界の現実を無視した方向性を欠く政策である。(ヒトラーとベトナムという)かつてのジレンマ同様に、不作為を続ければ、その危険と対応コストはますます大きくなっていく。決定が下されない限り、状況は予見可能なシナリオの一つ、つまり無節操な核拡散へと向かっていくだろう。物理学同様に政治学においても、エントロピーは無秩序を呼び込む処方箋なのだ(訳注:「核のジレンマ」とは、互いに相手を信用できないとみなし、一人相撲をし、相手をだますことが合理的であるとみなす環境や形態のこと)。

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