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米国に関する論文

国連憲章と新介入主義の行方

1999年7月号

マイケル・J・グレノン  前・米上院外交委員会法律顧問

国家間紛争を前提とする「時代遅れの国連憲章」による厳格な介入規定に縛られ、国内紛争がつくり出す悲劇に見て見ぬふりをするのは、もはや合理的でも賢明でもない。世界の平和と安定に対する切実な脅威は、いまや国家間紛争ではなく、国内紛争から派生しているからである。NATOによるコソボへの空爆は、正義を重視する新介入主義理念の発露ともとらえられる。事実、この新レジームの下では、大量虐殺のように、「介入しないことによる人道的損失があまりに大きい場合」は介入することが適切であると見なされている。だが、国連憲章が完全に死文化したわけではなく、コソボをめぐっては、(介入という)正義の理念と(内政不干渉を唱える)国連憲章が衝突している。だが、新介入主義の支持者たちは、法に挑戦することと「法の支配」に挑戦することとはまったく意味が異なり、(NATOが国連憲章に対して行ったような)不適切な法に対する挑戦は、法レジームをむしろ強化できることを肝に銘じるべきだろう。新システムの課題は、この新レジームならびに、それを基盤とする軍事行動が人々に正当なものと受け止められるかどうかにある。この点からも、正義を貫くことこそ法的な裏付けを得る最善の方法であることを忘れてはならない。正義を実現しさえすれば、正義を反映できるような法システムの確立にも自ずと道が開けてくるからだ。

情報化時代の国益

1999年7月号

ジョセフ・ナイ/ハーバード大学政治学教授

民主主義社会における国益とは、「世界の他の地域との関係をめぐって市民が共有できる優先順位」のことにほかならず、それを定義するのは今も昔も簡単ではない。アメリカ市民が、自国の国益のなかに特定の価値が含まれ、それを海外で広めることも国益に含まれると考えているのは明らかで、当然、道徳的外交と国益外交の区別はできない。しかも、情報化時代にある今、海外のどの問題に対応すべきで、どれに対応しなくてよいかについて、メディアが事実上、政治的圧力を作り出せる。今そこにある人間の抗争や苦しみがドラマチックな形でビジュアルに映し出されたほうが、「覇権的」中国の台頭やロシアの「ワイマール化」といった概念的な脅威よりもはるかに大衆に訴えかけるものが大きいからだ。さらに、旧ユーゴ地域のように民族指導者が、メディアをつうじて国境を超えた民族の連帯を政治的野望の下にとりまとめることもできるため、状況は混沌としている。だが、最低限言えるのは、「人道上の配慮と明確な国益の危機がオーバーラップしている地域以外では、われわれは軍事力の使用は一般に控えるべき」だし、アメリカの海外での目的をそのパワーに見合ったレベルのものとし、「慎重さ」を心がけて国益を合理的に模索すべきだということだ。テレビに映し出される人道上の問題を、国益促進のためのより遠大な政策と統合するのを助けるような「慎重さのルール」を確立させることが急務だろう。

ニクソン、フォード外交を振り返る
――現実主義、理想主義、新保守主義の相克

1999年6月号

ヘンリー・A・キッシンジャー  元米国務長官

二十一世紀に長期的視野に立った外交政策を実行するには、「レーガン的な直感的アプローチとニクソン的な地政学的な細心の配慮」の双方が必要である。ニクソン期の外交政策がうまく支持を集められなかったのは、外交上の理念や道徳性を重んじる「ウィルソン主義が大衆に与えていた大きな影響を、われわれが過小評価していたためだった」。しかし、ニクソン政権の政策が間違っていたというリベラル派の批判は憶測違いである。われわれは、ベトナムで被った痛手を克服さえできれば、「地政学的な孤立と低迷する経済が、クレムリンのイデオロギー上の熱意を萎えさせ、ソビエト・システムを圧倒できる」と当時から考えていた。冷戦の勝利は、ひとりレーガン政権の手柄ではなく、ニクソン、フォード政権の地政学的戦略とウィルソン主義のレトリックをレーガンが抜け目なく合体させた結果だった。重要なのは、一九八〇年代の勝利は一九七〇年代の戦略を拒否することによってではなく、レーガンがうまくその位置づけを変えたことによって達成された、ということだ。リベラル、保守、新保守派によるとめどない政治論争をコンセンサスへと導くには、それぞれのグループがつくりだした時代の政治状況と各時代の戦略から知的な教訓を得る必要があるし、とくに新保守主義者が自らの過去を正直にとらえ直す必要があるといえよう。

途上国の苦しみはわれわれの苦しみ

1999年6月号

ジェームス・グスタフ・スペス  国連開発プログラム総裁

この相互依存世界にあっては、国際援助・協力は、公共政策の一部でなければならない。われわれの繁栄は環境から経済に至るまで、すでにグローバル化している様々な要因によって規定されだしている。当然、途上国の債務問題への寛大な対策を講じるとともに、旧西側諸国は途上諸国への投資を増やすべきである。世界の社会階層間の境界線が次第に形成されつつあることを無視し続ければ、環境の悪化、人的災害、経済成長の悪化という形で、膨大なしっぺ返しを食うことになろう。

孤独な超大国

1999年5月号

サミュエル・ハンチントン/ハーバード大学政治学教授

グローバル政治は、冷戦期の二極システムから、湾岸戦争期の単極システムを一時的に経験し、現在は二十一世紀における真の多極時代を迎えるまでの、「単=多極」時代にある。しかもアメリカ国内に単極システムへの復帰を求める政治基盤は存在しないし、他の諸国がそれを望んでいるわけでもない。当然、「アメリカ人はそれがあたかも単極世界であるかのように行動し、話すのをやめるべきである」。重要なグローバル規模の問題に対応する場合には、「そのすべてをめぐって大国の協調をとりつける必要があるし、単独の経済制裁や介入は、外交政策を破綻させる処方箋のようなものだ」。現在の世界秩序がアメリカという超大国と、地域的大国、そしてナンバーツーの地域大国のそれぞれの「パワーと文明によって」規定されていることを認識しつつ、今後は大国の一つとして存在していく道をアメリカは学ぶべきだろう。

新たなテロリズムへの対策

1999年4月号

ギデオン・ローズ  外交問題評議会・国家安全保障プログラム副議長

「これまでになかったタイプのテロリズムの危険が高まっている」。テロリストの行動が予測しにくくなり、彼らが破壊力の大きい兵器を簡単に入手できる時代になったからである。核兵器、生物兵器、化学兵器などの大量破壊兵器によるテロが起きる時代は目前に迫っているのか。外交問題評議会の研究員ギデオン・ローズが、最近出版された五冊のテロリズムに関する書物を紹介するとともに、新たな形態のテロリズムへの対策を提言する。

次なる金融危機に備えよ

1999年4月号

ジェフリー・E・ガーテン エール大学教授

金融危機は今後も間違いなく起こる。この点では、ワシントンとウォールストリートの見解は一致している。問題は、危機の最悪の局面は過ぎ去ったという認識、そして処方箋をめぐる見解の不統一ゆえに、すでに憔悴しきっている危機管理者たちの今後に対する決意が揺らぎかねないことだ。たしかに、各国の規制・監視・政治システムは一様ではなく、現代の資本主義を支えるにはどのような政治・経済・社会メカニズムが必要かという点での統一見解はない。ただし、「市場マジック」に対する盲目的な思い込みゆえに、新興市場で堅固な近代的銀行制度と規制システムを構築するには何が必要かが無視されていたのは間違いない。新興市場諸国のインフラ整備、先進諸国側の金融商品への監視強化、国際的な金融機関の強化とすみ分け、政治と経済のリンケージの認識など、対処すべき課題は数多い。グローバルな金融秩序の規律を正していかない限り、危機の揺れ戻しは今後も大きいままだろう。

アメリカとヨーロッパ : 巨人の衝突

1999年4月号

C・フレッド・バーグスティン 国際経済研究所所長

ユーロの導入によって、ヨーロッパは経済領域でアメリカと対等の立場を手にしつつある。これによって、米欧の大西洋関係も劇的な変化を迎えるだけでなく、基軸通貨一極の時代から主要通貨並立の時代へと移行する。例えば、巨大な貿易赤字を賄うためには,アメリカもまた海外の資本を引き寄せようと、より高い金利を払わなければならなくなることを意味する。それだけに,米欧間の協調と管理という、あるべき路線を一歩踏み違えると、肥大化するアメリカの貿易赤字と保護主義が、手に負えない状況をつくりだす危険性も高い。ユーロとドルの変動枠の設定を目指した交渉を手はじめに、米欧の基盤を固め、これに日本、さらに他のG7諸国を加えた多層的な通貨・貿易秩序の形成を目指すべきである。今や米欧による二極パートナーシップを抜きにしたグローバル経済の安定などあり得ないのだから。

国家間戦争から内戦の時代へ

1999年3月号

スティーブン・R・デービッド ジョンズホプキンス大学政治学教授

冷戦が終わり、今や内戦がほぼ唯一の戦闘形態となった。国家間戦争ほど関心を引かないとはいえ、各国の内戦は紛争勢力の「本来の意図とは関係のないところ」で、国境を超えた破壊的衝撃を伴う。しかも、対外的にダメージを与えるという意図に導かれていないだけに、内戦の発生を抑止するのは難しい。例えばサウジアラビアだ。世界一の石油資源を持つこの国で内戦が起きれば、油田地帯が戦場と化し、紛争勢力にその意図がなくても、世界経済は瞬く間に窒息する。しかもサウジアラビアで国内紛争が起きる可能性は現実に高い。われわれは、一刻も早く「安全保障上の脅威のすべてが、一貫した信条を持つ敵対勢力によって周到に準備されているわけではなく、具体的目的に導かれているわけでもなければ」、適切な政策をとれば抑止できる性格のものでもないことを肝に銘じるべきだ。内戦への対応を考えない限り、われわれにとって軍事的選択肢は、自国防衛の強化か予防的先制攻撃の二つしかない。

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