1994年以降に発表された邦訳論文を検索できます。

中東に関する論文

イスラム世界へと引き込まれたアメリカ

2002年2月号

マイケル・スコット・ドーラン プリンストン大学教授

イスラム過激派は、世俗主義という形で西洋の大衆文化を広く拡散し、イスラム世界の政治経済に最も深く関与しているアメリカを激しく批判したが、彼らの本当の狙いは中東地域の「背教的」政権だった。アメリカとの戦争は、ビンラディンにとって本質的な目的ではなく、それは彼が標榜するイスラム過激主義が、イスラム世界で大きな流れを形成できるようにするための手段にすぎなかった。つまりアメリカは、イスラムという他人の内輪もめに引きずり込まれたのだ。

それを、殺人へと突き進む四つ足の野獣都市と呼ぶがいい。歴史的にも、ニューヨークは片手に自由という名のぼろ切れを握りしめ、もう一つの手で地球を握りつぶす女神なのだから。――アドニス(アリ・アハメド・サイド)「ニューヨークの葬式」一九七一年

アメリカはなぜ憎まれる

2001年12月号

ケニース・M・ポラック  米外交問題評議会国家安全保障担当シニア・フェロー

米国でもテロの背景にある反米主義のルーツを探る動きが進んでいる。以下は、米外交問題評議会がテロ事件後に組織した「テロリズムに関するタスクフォース」での研究会報告の抜粋。タスクフォースには、シャリカシュビリ元統合参謀本部議長、ブラウン前国防長官、ルービン前財務長官、アジャミー・ジョンズ・ホプキンス大学教授、ナイ・ハーバード大学教授、ウェブスター元CIAおよびFBI長官、ウィールジー元CIA長官、ジョージ・ソロスらが参加している。

次なる攻撃に備えよ

2001年11月号

ウィリアム・J・ペリー  元米国防長官

アメリカに対する憎しみ、組織的な作戦を実行できるだけの資源、自らの命をも顧みないほどの狂信主義をテロリストが兼ね備えていれば、その帰結がいかに甚大なものになるかを、世界は目の当たりにした。そしていまやもっとも差し迫った脅威は、テロ集団が、トラック、貨物船、飛行機、小型船で核兵器や生物兵器攻撃をかけてくることである。脅威が出現する前に、それを抑え込む拡散防止などの「予防」戦略、相手に攻撃を思いとどまらせる「抑止」戦略、そして、予防と抑止が破られた場合に備えた「防衛」戦略という3つをバランスよく実施する必要があり、アメリカは米本土ミサイ防衛ばかりを重視したこれまでの防衛姿勢を大きく見直す必要がある。

中東世界でのアメリカの孤独

2001年11月号

フォアド・アジャミー/ジョンズ・ホプキンス大学教授

ビンラディンは、アメリカとイスラム世界の間にある縫い目に沿って、自分たちのための狭い空間、攻撃目標、そして支援基盤を見いだした。彼らは、イスラムの地が悲惨な状況にあるのはアメリカのせいで、祖国とアメリカの同盟関係を揺るがすことにさえ成功すれば、サウジアラビアやエジプトの政権を倒せると思い込んでいる。対テロ戦争を進めていくにつれて、アメリカは中東における孤立を思い知ることになろう。アラブ世界の支配者たちは、中東の見張り番をする外側の国と同盟関係を結べば、「共謀者」あるいは信仰上の裏切り者とみなす人々によって報復の対象とされることを理解している。今回の戦争は、アラブ・イスラム世界にアメリカがかかわり続ける限り、簡単な戦争とはなり得ない。

テロリズムと米本土防衛

2001年11月号

リー・ハミルトン 元米下院議員、民主党、現ウッドロー・ウィルソンセンター所長  ゲリー・ハート 元米上院議員、民主党 ウォーレン・ラドマン 元米上院議員、共和党 ニュート・ギングリッジ 元米下院議長、共和党

同時多発テロから三日後の九月十四日にワシントンで開かれた米外交問題評議会ミーティング・プログラムの議事録からの抜粋。討論に参加したのは、一九九八年に組織された「二十一世紀国家安全保障委員会」の主要メンバー。二〇〇一年一月三十一日に公表された同委員会の最終リポートは米本土へのテロの脅威を今後の安全保障上の最優先課題として位置づけていた。(訳注)

テロの経済への影響はどうなる

2001年11月号

ゲイル・フォスラー コンファレンス・ボード上席副社長  ヘンリー・コーフマン ヘンリー・コーフマン&カンパニー社長  ポール・ボルカー 前連邦準備制度理事会議長

二〇〇一年十月二日、ニューヨークの米外交問題評議会で開かれたミーティングプログラム議事録からの抜粋。

湾岸戦争とアラブの混沌
――米軍のアラビア半島駐留の意味あい

2001年11月号

フォアド・アジャミー  ジョンズ・ホプキンス大学教授

サウジアラビア人は、サダム・フセインの軍隊が自国に侵攻してくれば、どのような事態に陥るかを明確に理解していた。イラクは三日もあれば首都リヤドに到達していたかもしれないし、サウジアラビアでの社会契約のすべては履行不能になっていただろう。石油が埋蔵されている東部地方を切り離すことも、サウド家がイブン・サウドから受け継いだ地域を制圧できたかもしれない。このような災難に比べたら、外国軍の駐留が引き起こす政治・文化的摩擦などは取るに足らない問題だった。
湾岸での旧秩序はその幕を閉じた。現在「新しい政治秩序」が話題にのぼっているが、それがどのようなものになるかは誰にもわからない。しかし、大国(アメリカ)が湾岸の見張り番役を務めることになるのは間違いない。

クラシック・セレクション
西洋とイスラム : 近代化と文明の受容

2001年10月号

バーナード・ルイス  プリンストン大学名誉教授

「近代化と西洋化」をめぐる長期にわたる議論は、「自らの固有の文明を汚さずにいかに近代化をはかるか」という、文明の「受容と拒絶」をめぐる判断についての議論にほかならない。だが、同時代における議論は、近代性が「それに先立つ文明の遺産を継承した」現代文明の規範・基準であることをとかく忘れがちだ。かつてはイスラムがそれを定義づけ、現在は西洋が、そしていずれ過去の諸文明の上に成り立つ西洋文明の遺産を継承するまだ見ぬ文明がそれを規定することになるだろう。

Page Top