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中東に関する論文

CFRミーティング
アフガン撤退戦略の見直しを

2010年12月号

リチャード・アーミテージ / アーミテージ・インターナショナルL.C.

「カルザイ政権とのパートナーシップが不安定で、パキスタンとも部分的なパートナーシップしか結べていない以上、われわれは何度も同じことを繰り返して、異なる結果が出るのを期待してはならない。やり方を変える必要がある。・・・・さらに、ラシュカレトイバのことも忘れてはいけない。これまではカシミールを拠点にインドを攻撃してきた・・・ラシュカレトイバは、ハッカニ・ネットワーク同様に、インドだけでなくアメリカを敵視している。私があえてハッカニ・ネットワークについてここで述べたのは、今度、ムンバイタイプのテロが起きれば、インドは(パキスタンに対して)具体的な反撃に出ると考えるからだ。しかも、ラシュカレトイバはアルカイダの同盟勢力だ。アルカイダにとって、インドとパキスタンを戦わせることにどのような利点があるかを考えるべきだ」(R・アーミテージ)

新興国という無責任な利害共有者 ―― 時代は「協調なき、多極化」へ

2010年12月号

スチュワート・パトリック / 米外交問題評議会シニア・フェロー

アメリカのパワーが衰退していくにつれて、台頭する新興国は既存の制度を試し、弱め、改革して自分たちの目的に合致するように作り替えようと試み始めている。既存の大国と新興大国の間だけでなく、新興大国どうしの戦略的ライバル関係も高まりをみせている。各国が演じているゲームは一つではない。金融改革や対テロでは協調するかもしれないが、市場シェア、戦略資源、政治的影響力、軍事的優位をめぐっては競いあっている。問題は、アメリカを含む先進国が、パートナー、そしてライバルとしての二つの顔を持ち、国際社会での発言権を強化したいと望みながら、一方では自国を途上国と定義する新興諸国との関係をどのように管理していくかだ。新しい国家を制度に取り込む一方で、可能な限り、これまでの秩序を維持していくには、2世紀前のヨーロッパの大国間協調がそうだったように、常に綱渡りをしているような細かな配慮が必要になる。

CFRインタビュー
P・ムシャラフが語る政界復帰

2010年12月号

スピーカー
パルベーズ・ムシャラフ 前パキスタン大統領
プレイサイダー
デボラ・S・アモス ナショナル・パブリック・ラジオ、外報コレスポンデント

パキスタンの民衆は現在の政府に大きな不満を持っている。そして、現在のパキスタン政府はすでに気力を失っている。現在のパキスタンが破綻国家同然の状態に陥っているため・・・かつて同様に、軍部に立ち上がることを求める人々もいる。だが、私は政権の打倒と移行は、あくまで平和的で憲法を踏まえたものでなければならないと考えている。そこに、軍部の役割はない。・・・私は政治家だ。新しい政党も立ち上げた。私の帰国を促す大量のメッセージを受けとっている。・・・この8カ月間でフェースブックのフォロワーは35万に達した。帰国すれば、かなりの支持を得られると思う。リスクはあるが、私はこのチャンスに賭けようと思っている。(P・ムシャラフ)

中東の新しい地図に応じた路線を
―― 激変した中東秩序を和平への追い風にするには

2010年11月号

ロバート・マレー 国際危機グループ(ICG) 北アフリカプログラム・ディレクター
ピーター・ハーリング ICGイラク・レバノン・ シリアプロジェクト責任者

中東情勢は急速に進化している。各プレイヤーの思惑も変わり、複雑な絡み合いをみせている。サウジがハマスとの対話を再開し、シリアとの関係を改善させ、一方のシリアはテヘランとの安全保障関係を強化しつつも、テヘランのイラクに対する干渉路線には反対している。アメリカは、この複雑な地域環境の変化を認識すべきだ。これまでのパターンを踏襲するのではなく、さまざまな諸国の取り組みを調整するコーディネーターの役割を果たすべきではないか。アメリカが主導する中東和平交渉と一体性のある形で、エジプトとサウジが、カタールやトルコとともにパレスチナの和解を促進することもできるし、トルコが和平プロセスにおけるハマス、シリアとの折衝にあたることも、核問題をめぐってイランとの折衝にあたることもできる。もっとも重要なのは、ワシントンが、穏健派VS・過激派という不毛なパラダイムで中東をとらえ続けるのをやめることだ。

トルコは脱ケマリストの時代へ?

2010年10月号

スティーブン・クック CFR中東担当シニア・フェロー

9月中旬に実施された憲法改正をめぐるトルコの国民投票で、イスラム系の公正発展党(AKP)が示した憲法改正案を市民は支持したが、これは何を意味するのか。1992年にAKPが権力を握り、議会の多数派になると、世俗派が反対するような法案を数多く法制化してきた。こうして野党勢力は世俗派が中枢を握る司法の場で決着を付けようと試み、その結果、AKPが成立させた法案のほとんどに違憲判決が下された。AKPが憲法改正を通じて司法改革に乗り出したのはこうした理由からだ。今回の国民投票に続いて、AKPとエルドアンが次の総選挙でも勝利を収め、議会の多数派としての地位を確保すれば、彼らがかねて望んでいたように、新憲法を導入する機会に恵まれるだろう。ここで認識しておくべき重要なポイントは、こうした変化がイスラムへの回帰というよりも、大きな力を持ち始めているイスラムの中産階級の立場を反映していることだ。むしろ問うべきは、これによってトルコの民主主義の質が高まるかどうかだろう。

聞き手はバーナード・ガーズマン(www.cfr.orgのコンサルティング・エディター)

トルコのイスラム政党であるAKPの台頭は、その大義が訴求力を持っているからというよりも、トルコ社会の変化をくみ取ることに成功した結果だ。1980年の市場経済革命のおかげで、トルコにはイスラムの中産階級、起業家階級が誕生しており、いまや、数においても経済における重要性においても、世俗派の旧エリート層を圧倒している。AKPの近代化路線の支持基盤を支えているのが、まさにこのイスラムの中産階級で、彼らのビジョンが今後のトルコの路線を形作っていくことになる。トルコが欧米に貢献できるとすれば、その最大のポイントは、イスラム、民主主義、資本主義を統合できる立場にあることだ。中東およびその周辺地域の流れを巧みに仕切れるような歴史的、文化的なツールを持っていないアメリカにとって、世俗化ではなく、近代化を求める現在のトルコは重要な存在だし、新しい親友になれるだろう。

ワシントンが中東和平プロセスを前進させたいのなら、まず、いかようにも交渉を混乱させる手立てをもつハマスの問題に取り組む必要がある。イスラエルの安全保障を脅かし、パレスチナの政治を左右するという点では、ハマスは実に数多くの選択肢を持っている。したがって、ガザ包囲網を緩和させ、ハマスとの停戦合意の制度化を交渉しない限り、中東和平プロセスはいずれ破綻し、再び戦争が起きて、イスラエルはガザを占領せざるを得なくなる。このジレンマを解く上で注目すべきは、いまやハマスはガザをうまく統治しなければならず、ガザ住民の生活に対して責任を負っていることだ。つまり、ハマスはもう単なる抵抗組織として活動するわけにはいかないのだ。ハマスがイスラエルとの停戦合意の制度化交渉に応じれば、今後、ファタハによるイスラエル交渉路線にも反対できなくなる。ハマスとの交渉は、この意味において、イスラエルとの交渉を成功させることで得られる政治的正統性を必要としているファタハにとっても政治的追い風を作りだす。

レバノン情勢を左右する キープレイヤーたちの思惑はどこに

2010年9月号

モハマド・バッジ 米外交問題評議会非常勤シニア・フェロー

レバノン国際特別法廷で2005年のハリリ(レバノン首相)暗殺事件の判断が近く示されるとの報道を前に、レバノンでは緊張が高まっている。スンニ派の指導者だったハリリ暗殺事件へのシーア派ヒズボラの関与が明らかになれば、国内で宗派間抗争が起き、再びレバノンは内戦へと陥っていくのではないかと懸念されている。ヒズボラの指導者ハッサン・ナスララは、「特別法廷はハリリ暗殺の実行犯としてヒズボラのメンバー数名を間違って特定しようとしている」と牽制し、逆に、「暗殺の責任はイスラエルにある」と主張している。一方、シリアのバッシャール・アサド大統領は「(第3次レバノン)戦争の可能性が高まっている」と示唆し、その警告がまやかしではないことを示すかのように、8月上旬には、イスラエル軍とレバノン軍は国境地帯で衝突事件を起こしている。今後の展開の鍵を握るレバノン、ヒズボラ、イスラエル、シリア、イラン、サウジというプレイヤーの思惑を軸に、一触即発の情勢にある中東をCFRのモハマド・バッジが分析する。

多文化国家レバノンにおける 軍隊の複雑な歴史
―レバノン軍の南部掌握で国の一体性が生まれるか?

2010年9月号

マイケル・モラン  エグゼクティブ・エディター (www.cfr.org)

1943年の独立以降、レバノン軍・士官部隊の主流派はマロン派キリスト教徒だったが、各部隊は民族・宗派ラインに沿って組織され、シーア派、スンニ派、ドルーズ派、マロン派キリスト教徒がそれぞれの部隊を持っていた。こうした民族・宗派ラインに沿った部隊編成がレバノン内戦を誘発し、助長した。国家の軍隊としてレバノン軍を再編する試みが始められたのは、1989年のタイフ合意によって長い内戦にピリオドが打たれた後になってからだった。タイフ合意以降、レバノンがごく最近まで安定を維持してきたことを国軍の貢献として評価することもできる。しかし、レバノン軍の最大の失敗は、ヒズボラが幅を利かすレバノン南部を掌握できなかったことだ。

「アフガンにおける成功」の定義は何か
―― このままではアフガン国家は分裂する

2010年9月号

スティーブン・ビドル 米外交問題評議会シニア・フェロー
フォティニ・クリスティア マサチューセッツ工科大学助教授
J・アレクサンダー・サイアー 米平和研究所ディレクター

中央集権体制型の民主主義はアフガンではうまく機能しなかった。このままでいくと、アフガンは分裂し、タリバーンが一部地域を支配し、他の地域は強権者たちがそれぞれ不安定な支配権を確立していくことになるだろう。この流れを覆すことはできるが、もはや中央集権的統治モデルの導入に固執するのは賢明ではない。アフガンの権力構造、地方における正統性への認識からみても、中央集権的統治モデルはアフガンでは機能しない。この国の主要な民族、宗派集団だけでなく、武装勢力の一部も取り込んだ、永続的な平和の枠組みを作るには、より多くのプレイヤーが参加する、柔軟で分権化された政治枠組みが必要だ。アフガンでの成功とは、「理想的な国家」と「受け入れられない国家」の中間に位置する状況へとアフガンの現状を改善していくことであり、そのためには、中央集権モデルではなく分権化モデルへと国家建設のギアを入れ替える必要がある。

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