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「対テロ戦争」というレトリックの弊害

グレンビル・バイフォード 国際問題アナリスト

The Wrong War

Grenville Byford ボストンに拠点を構える企業家、国際関係専門家。

2002年10月号掲載論文

美しさを人がどうとらえるかと同じことで、テロリズムも立場によってとらえ方が違ってくる。目的を達成するのにどのような手段を用いたかで、それがテロであるかどうかを判断するのは間違っている。同時多発テロへのアメリカの怒りにしても、アメリカが攻撃され、アメリカ人が殺されたことに市民は激怒しているのであって、攻撃の手法自体に怒りを募らせているわけではない。したがって、漠然としたものにしかなり得ず、むしろ問題をつくり出す「対テロ戦争」というレトリックを振り回すのをやめるべきだ。国家安全保障にかかわる特定の具体的課題としてテロ問題に取り組むべきであり、テロ対策について語るときも「利益が一番で、次が目的、そして手段」というアメリカ人の常日頃の優先順位を忘れてはならない。

  • テロをどう定義するのか
  • 目的は手段を正当化する?
  • 崇高な目的、いかがわしい手段
  • 対テロ戦争というレトリックの矛盾

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