Vladimira Pufflerova / Shutterstock.com

南アフリカ今後の外交政策

ネルソン・マンデラ
アフリカ民族会議議長(論文発表当時)

South Africa's Future Foreign Policy

ネルソン・マンデラ 1918年、南アフリカ生まれ。大学在学中の1944年にアフリカ民族会議(ANC)に入党し、反アパルトヘイト運動に取り組む。1961年、ウムコント・ウェ・シズウェ(民族の槍)という軍事組織を作り司令官となるが、翌年8月に逮捕される。1964年、国家反逆罪で終身刑の判決を受け、その後、27年にわたって収監された。収監中も、ANCの合法化や全政治犯の釈放を一貫して要求し続け、黒人解放運動の象徴的な存在となった。1979年にインドのネルー賞、1988年に欧州議会のハラロフ賞を受賞。1989年12月にフレデリック・デクラーク大統領(当時)と会談し、90年に釈放。91年に、ANC副議長に就任し、デクラークとともに暫定政府、暫定憲法を作成。1993年、デクラークとともにノーベル平和賞を受賞した。1994年、南アフリカ史上初の全人種参加選挙が実施され、ANCが勝利し、大統領に就任。民族和解・協調を呼びかけ、経済政策として復興開発計画(RDP)を実施した。1999年に政界から引退した後、ユネスコ親善大使に就任している。

1994年1月号掲載論文

新生南アフリカの最大の課題は、「人種、肌の色、信条、宗教、性の違いを問わず、すべての人が自らの人間性を十分主張できるような国家を誕生させることにほかならない」。そして、「市民の権利を保障できるのは、真の民主主義の実現をつうじてのみ」だ。今後、市民の権利は、「人民の、人民による、人民のための政府の登場によって」保障されることになる。一言でいえば、「多様性と人権の尊重」こそ、今後のわれわれの国内・外交政策双方における中核理念なのだ。また、アパルトヘイト政策によって孤立化してきた南アフリカを、国際的な政治・経済システムに再編していくことも急務だ。経済面では、市場アクセスや外資の導入を確保するとともに、保護主義的政策を段階的に改め、政治面では、国連を中心とした国際機構に積極的にコミットしていくつもりだ。国際的、地域的、そして国内的に、責任ある政治勢力として振舞うことこそ、民主化、国際化の唯一の方策と信じる。

  • 人権問題と南アフリカの新外交路線
  • 民主主義と多様性
  • 新たな地域関係の模索
  • 経済危機と対応策
  • 貿易と相互主義
  • 世界と南アフリカ

この論文はSubscribers’ Onlyです。


フォーリン・アフェアーズリポート定期購読会員の方のみご覧いただけます。
会員の方は上記からログインしてください。 まだ会員でない方および購読期間が切れて3ヶ月以上経った方はこちらから購読をお申込みください。会員の方で購読期間が切れている方はこちらからご更新をお願いいたします。

なお、Subscribers' Onlyの論文は、クレジットカード決済後にご覧いただけます。リアルタイムでパスワードが発行されますので、論文データベースを直ちに閲覧いただけます。また、同一のアカウントで同時に複数の端末で閲覧することはできません。別の端末からログインがあった場合は、先にログインしていた端末では自動的にログアウトされます。

(C) Copyright 1994 by the Council on Foreign Relations, Inc.,and Foreign Affairs, Japan

Page Top