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フォーリン・アフェアーズ日本語版 公開論文


小沢一郎 追い詰められた改革者

Ichiro Ozawa: Reformer At Bay


 エドワード・W・デズモンド
『タイム』誌東京支局長
 フォーリン・アフェアーズ日本語版 1995年11月号
「日本の政治評論家の多くは、小沢の時代はすでに終わったと考えている。だが、もし彼らの見方が正しいとしても、「小沢は、冷戦モデルからの脱皮にむけた日本の努力の新局面を切り拓く主要な役割を担った政治家として評価されるべきだ」。「彼は日本が直面する問題を明確に指摘しただけでなく、分裂を策して古巣の自民党と袂をわかち、三八年間に及んだ自民党支配を連立政権の樹立をもって打ち破った立役者」である。個人としての政治的将来はともかく、小沢は「日本を変革させるというアイデアをめぐる具体的な枠組みと流れを形成した人物として」評価されるべきだろう。」

小見出し
ポスト冷戦モデルへの脱皮
明治を意識した小沢 <公開中>
田中角栄との出会い
愛されぬ政治家<公開中>
国内改革
外交・防衛政策<公開中>



明治を意識した小沢

 小沢は明治時代を強く意識し、自らを一八六七年に江戸幕府を倒した人物たちに重ね合わせて考えている。少年時代の小沢は慎み深く勉強熱心だった。彼は、明治的価値をもつ気丈な母親から、ピューリタン的な生活規範を重視する明治の価値観――慎み深さや、「男の子は泣くものではない」、「不平を言わず、言い訳をせず」といった価値――を教え込まれた。若き日の小沢は、徳川幕府を倒した人々に強く魅了された。いまでも彼は、その先達たちが世界へと目を向け、工業、教育、軍事、政治面で彼らがそこに見出した枠組みを導入した明治期が、日本の最善の時代だったと考えている。事実、小沢は著作の一章を、大久保利通や伊藤博文など明治期の指導者の華々しい業績の論考にあて、そこで熱っぽい議論を展開している。

 たしかに小沢は、徳川幕府を倒し明治期に改革を断行した人物たちと、その資質の一部を共有している。小沢同様、明治期の改革者たちもエリートの特権階級で、その激しい改革志向は、現実的な経験や現状認識によって導かれていた。彼らは、仲間である当時の支配階級よりも、たとえば、西洋の軍事技術に遅れをとっていることが日本にとっていかに危険なことかについても、より状況をわきまえていた。ペリー提督の「黒船」は、そうした脅威のシンボルだった。小沢は日米貿易交渉の促進役となり、湾岸戦争をめぐっては、あえて火中の栗を拾う一か八かの論争を巻き起こしたが、彼のこうした洞察力は、明治の先達たちに比肩しうるものだったといえる。

 冷戦の余波のなか小沢は、問題はシステムの老朽化にあると論じた。自民党の旧来の指導層は、米作農家の保護、あるいは憲法第九条の平和主義の慎重な維持など、特定の選挙民や利益団体の要望に縛られた視野の狭い問題に終始し、大所高所からの視点を失っていた。こうした状況下で発表され、大きな影響力をもった小沢の著作『日本改造計画』は、新たな政治や統治システムの導入の必要、とくに、政治家がより優れたリーダーシップを発揮する必要を強調した。

 彼が提示した処方箋は米国人にとってはなじみ深いものだ。それは、健全で闊達な議論が行なわれる二大政党制、小選挙区制、決意に満ちた強い権限をもつ首相、地方自治体政府への抜本的な権限委譲、長時間労働からの労働者の保護、性・年齢による差別の撤廃、そして大幅な規制緩和だった。さらに彼は、海外への戦闘部隊の派遣を含む、国連の平和維持活動への支援策を実施することで、世界外交における日本の立場を強化すべきだと主張した。一言でいえば彼は、大国としての責任を引き受け、その質のよい生活レベルによって他の諸国の人々がうらやむような日本を作りたかったのだ。その目的は、世界中の人々がアメリカン・ドリームを夢みるのと同様に、彼らがジャパニーズ・ドリームに思いを馳せるような国家に日本をすることだ、と彼は指摘している。

 日本国民は、小沢の提案を積極的に認めながらも、一方では懸念も抱き、複雑な感情でこれを受けとめている。彼の著作は実に七〇万部も売れ、読者たちは、日本の政治が現実にどのように機能しているかについての彼の率直な説明に魅了された。「政府自体、数多くの機構や利益によって分散化している」、たとえば、「すべてを調整し管理するような包括的な組織は存在せず……、通常日本政府の最高意思決定機関である閣議は、まったく中身のない組織だ」と彼は指摘した。これらの点を指摘する人々は他にもいるが、小沢ほどの政界での地位と経験をもつ人物がこの問題を指摘したことによって批判は事実と化し、改革主義志向の人物は、この点をためらうことなく引用できるようになった。

 一方日本人は、機をみるに敏という言葉に特徴づけられる小沢の政治キャリアを熟知しているだけに、週当たり労働時間の短縮化提案を含む広範な社会的課題に、彼が本当にコミットしているのかどうか、確信がもてずにいる。結局のところ、小沢もまた紺の背広を着た典型的な仕事中毒で、タバコの煙だらけの永田町の料亭で密室会談を行なう政治家なのだ。細川元首相が国民を魅了した理由がそのカジュアルなスタイルや、テニスを楽しむようなライフ・スタイルにあったとはいえ、その時々のより広範な社会的課題に対していかに関わっていくかという点では、小沢の主張は、細川の半分程度の説得力しかもたないように思われる。信頼により値するのは、日本の指導者たちのリーダーシップを強化し、国連主導型の軍事行動に参加してでも、日本を世界の表舞台に押し上げようとする小沢の決意のほうだ。だが、こうした彼の野心は複雑な反応を呼んでいる。なぜなら日本人は、尊敬され自信に満ちた明治期の改革者よりも、権力を濫用し国家を戦争へと向かわせた一九三〇年代の権威主義的指導者のほうを、より鮮明に記憶しているからだ。

愛されぬ政治家

 小沢は自民党の権力構造の中核を代弁する人物であるにもかかわらず驚くほど政界内部で人気のない人物である。彼は義理を欠き、人情に薄いとしばしば批判される。たとえば、一九八五年に田中が、日本の全日空にロッキード・トライスター機の導入をめぐって、(影響力を行使した見返りに)五億円の賄賂を得たとして地裁に告訴され、田中の政治的命運が尽きるのが明らかになると、小沢は田中派を離脱した。彼の行動は合理的だったが、それが賞賛されたわけではない。小沢の友人たちは、彼は並外れて合理的で、(自分の行動が)他人にどんな感情を抱かせるかなど考えずに論理的に動く人物だと説明する。小沢に庶民性がないのは、一つには彼が政治的に特権的なまでに恵まれた環境で育ってきた結果だ。ほとんどの若手自民党議員と異なり彼は、選挙に勝つためや、選挙資金を調達するために愛嬌をふりまく必要がなかったのだ。小沢が自分の選挙区の岩手を訪れることは滅多になく、選挙区での政治利益を取り仕切っているのはもっぱら小沢夫人である。

 自民党副総裁の金丸信が表舞台から姿を消すまで、その参謀役を務めた小沢には、傲慢な人物という批判が絶えなかった。彼はしばしばその独裁者的な性格を批判されたが、これは言い換えれば彼が拙速で、コンセンサスが形成されるのを待てず、年長の指導者に敬意を払わないということで、これらはすべて日本では、人の感情を逆撫でするような態度である。たとえば彼は一九八九年に、次なる首相を決めるために、渡辺美智雄、宮沢喜一、三塚博という自民党の年長の指導者たちに自分が「面接」することを要求した。彼らがみな、こうした小沢のやり方に強く反発したのはいうまでもない。

 一般大衆もまた、小沢の過去の行動に関して、法的な裁きがきちんとなされていないことに不快感を抱いている。彼に近い党内の友人、そして恩師である金丸は、一九九三年に佐川急便からの膨大な献金にまつわる脱税容疑で起訴された。金丸は国会議員を辞職するとともに、自民党からも抜け、現在も裁判は続いている。不法な合意がなされたとされる場に小沢も同席していたと証言する者もいるのだが、小沢は国会の証人喚問で、自分は飲み物を運び灰皿をきれいにするのに忙しく、そこで何が行なわれていたかを理解できる状況にはなかった、と証言した。これを真に受けた日本人はほとんどいないが、この文章を書いている段階で、小沢は佐川急便スキャンダルを含むいかなるスキャンダルをめぐっても起訴されていない。

 日本の日刊紙、とくに、リベラルな立場をとる全国紙の『朝日新聞』は、先に指摘したようないきさつから小沢を深く疑っており、小沢の強固なリーダーシップの呼びかけの裏には、反動的でナショナリスティックな思惑が隠されているのではないかと疑っている。事実、『朝日新聞』のこうした懸念は、強固なリーダーシップに対する日本社会の懸念をある程度反映している部分がある。いまだに日本では、強固なリーダーシップを求める議論が起きれば、分散化した弱い権力こそが、一九三〇年代の行き過ぎを回避するための最善の策だという思考を逆に引き出してしまうのだ。  小沢のいうナショナリズムに曖昧な部分があるため、彼の主張は懸念をもってとらえられている。たとえば、彼に近い政治家たちは、日本の第二次世界大戦期の行動については、どちらかといえば公的に謝罪する姿勢をとっている。これに対して小沢は、補償問題については現実的な観点からの対応の必要性を強調するものの、先の大戦に関して道徳的な痛みを十分に感じているわけではない。昨年のインタビューで彼は次のように語っている。「(他のアジア諸国の)観点からみれば、日本は彼らを侵略したということになるだろうし、彼らがそう考えるのはむしろ自然だろう。正義とは、たとえ神がそうは考えなくても、多くの人がそれを正義と考える場合に使用される言葉だ。したがって、日本は正義の戦争を闘ったわけではない」と。

 こうして小沢は、友人たちの中の謝罪派とは一定の距離を置いている。アウトサイダーの目には、彼は明らかに「政治家」で、それもおそらくは、安定した国際秩序の枠内で国益を追求するビスマルク流の権謀術数的な政治家と映るだろう。小沢は、ブッシュ大統領が標榜した「新世界秩序」を肯定的にとらえ、日本が世界の安定のために、外交的、軍事的によりいっそうの役割を果たせるように、それを制約している憲法九条の伝統的解釈を放棄させたいと望んでいる。

 しかし、新聞が新たな小沢を額面どおりに受け入れるのをためらっているため、彼の頑なな性格のうち不寛容な部分が浮き彫りにされてしまっている。小沢は、自分の発言を「誤って伝えた」ジャーナリストたちを出入り禁止にし、自分に敵対的な勢力の主張を論破する気がないことをみせつけたが、これは、より開放的な政治的新ブランドへの自らのコミットメントをアピールしようという政治家にしては、決して賢明とはいえない態度だ。しかし、公正にいうならば、一部の新聞が一斉に反小沢キャンペーンを張っていたことを銘記すべきだろう。

 小沢はあるとき記者たちに、一九三〇年代に新聞が、天皇制や軍部支配を拒否する者たちに非国民の烙印を押したことを指摘し、彼らに間髪入れずに反撃したことがある。「今の君たちも、それと同じことをやっている」と小沢はいった。「メディア側は自分たちの正義の枠組みにかなわぬ意見を述べる者を、私を含めすべて、権威主義者、ナショナリスト、あるいは右翼と呼ぶ」と。彼に対するこうした懸念が存在する以上、現実主義者の小沢自身、自分が有能な首相になれる可能性があまりないことを理解しており、だからこそ彼は、これまでどおり裏舞台の参謀役に徹している。

外交・防衛政策


 小沢はいまや撤退しつつあるのかもしれないし、日本もまた混乱のなかにあるのかもしれない。だが、外交政策をめぐる彼の考えは、安全保障、外交政策部門での、たとえ小さくとも着実な変化を推進している。憲法九条の厳密な解釈の擁護者たる社会党(社会民主勢力)の解体によって、憲法解釈に常識的な修正を加えるのも可能な状況が生まれている。たとえば国会は昨年末、海外で危機的な状況下に置かれた日本人を救出するために自衛隊機の使用を認める法案を通過させた。左派の反対が存在したこれまでであれば、こうした措置の導入はおよそ考えられなかった。一二年間に及ぶ交渉を経て、日米はいまや、NATO(北大西洋条約機構)諸国と同様の物品役務・融通協定をめぐって合意に近いところまできているが、これもまた、これまで左派勢力の反対に阻まれてきた案件である。九三年にカンボジアでの国連活動へ自衛隊を派遣したことは宮沢政権を窮地に追い込んだが、いまや国連活動への自衛隊の派遣は日常的であり、これが社会的に大きな論争となることもない。

 阪神大震災は、政府によるより周到な危機管理計画の策定を促し、とかく日陰者扱いされてきた自衛隊を、尊敬に値する社会組織の一員として認知させる効果をもった。事実、日本人の多くは、三月に起きたオウム教団による地下鉄サリン襲撃事件の処理作業に自衛隊の化学戦実務班が投入されたのを肯定的にとらえており、警察によるこのカルト教団の施設の捜索に自衛隊が参加したことへの抗議の声も聞かれなかった。これが数年前であれば、自衛隊が警察とともに活動することなど想像すらできなかったはずである。

 左派勢力の反対が存在しない現在、日本の防衛庁が、このほかにも優先順位の高い二つの計画を追求するのも可能になるだろう。これらの計画はともに、より独立的な日本の防衛態勢の基盤づくりを促進すると考えられる。一つは、提案されている戦域ミサイル防衛システム(TMD)だ。これは、ミサイル攻撃に対する防衛(抑止)システムとして、米国との協調のもとに進められる数十億ドル規模の防衛計画である。もう一つは、現在その多くを米国に依存している日本の情報収集能力の大幅な強化である。日本の軍事専門家は、北朝鮮の核能力の潜在的脅威の評定などの重要な問題について(その情報を)米国に依存していることを不安に感じだしている。彼らは、クリントン政権が北朝鮮による核燃料の開発や使用に対して寛大な取り決めをしたのは、日本や韓国の利益をめぐる冷徹な分析に基づくものではなく、むしろ、大統領の国内政治上の弱さのせいではないかと懸念している。実際、日本の防衛プランナーたちの大きな願いの一つは、日本側が独自に地域的脅威を評定できるような軍事衛星をもつことである。

 こうした防衛・外交面でのトレンドが続いていけば、日本側も、より的確な言葉で自己主張を強め、独自の立場をうちだすようになるだろう。北朝鮮をめぐって昨年起きた危機への日本の対応の変化には、小沢の考えが影響を与えていた。湾岸戦争への対応をめぐる大失態を踏まえて、羽田政権は、日本国内の北朝鮮系団体で資金力豊かな朝鮮総連から北朝鮮への支援資金の流出の阻止を含む強硬な措置を支持し、小沢路線の継続のために努力した。小沢は、日本が(北朝鮮問題をめぐって)自らの役割を果たすべきだと決意していたのだ。

 その一方では、カーター元大統領が北朝鮮を訪問し、米国と北朝鮮間の交渉が合意の方向で再び動き出したが、小沢は、北朝鮮による核開発計画の現状凍結の見返りとして、 五〇万トンの重油と軽水炉二基を提供するという米国側の約束を公然と批判した。実際この取り決めは、数多くの問題を棚上げにしていた。小沢はテレビのインタビューで、「核査察の問題が解決しないかぎり、われわれは、財政面で(北朝鮮に)協力すべきではない」と発言した。この発言をしたとき、小沢は野党勢力の一員にすぎなかったが、もし、彼が政権の座にあったらこれとは異なる考えを持っていたかもしれない。いずれにせよ、小沢が今後も、日本が米国の完全なパートナー、それも自分の考えを明確に述べるパートナーになるべきだと主張していくのは間違いない。

 小沢、あるいは少なくとも彼が代弁する感覚が、今後の日米関係の基盤をなしていくと思われるが、彼の米国に対する考えは、自民党の旧世代の指導者たちの考えとは異なっている。戦後の自民党指導者たちは、矛盾を生き抜いてきた。彼らは、外交政策のほとんどについては盲目的なまでに米国のリードに従う姿勢をとりながらも、一方で、日本の経済的優位を確立させることに強くコミットしていた。日米両国が、とくに貿易問題をめぐって対立や紛争を引き起こすと、自民党の指導者たちは、イエスともノーともとれる曖昧な外交姿勢をとり、これによって幾度となく対日関係に暗雲が立ちこめた。

 米国との安全保障上の緊密な絆を維持していくことをとくに重視し、貿易摩擦が同盟関係を損なうと考えている小沢は、米国の交渉者の言い分に理があるような場合に、交渉を打ち切って日米が敵対的な論争を行なうのは合理的ではないとみている。小沢の政治理解をあてはめて考えれば、現実を理解するのは簡単であり、日本の貿易交渉者が立てこもる堅固な防壁の裏には、多くの場合、利益団体の複雑な絡み合いが存在することがわかる。

 八八年、日本の公共事業市場を米国企業に開放させることを目的とした日米交渉を小沢は妥結に導いたが、以来、彼は米国の貿易交渉者にとって貴重な友人である。モトローラ社のビジネスを日本市場で立ち上げるのを助け、大幅な価格の引き下げを実現した携帯電話市場をめぐる昨年の合意の影の立役者もまた小沢だった。最近の自動車交渉にしても、(もし小沢が交渉していれば)次期自民党総裁の呼び声の高い橋本龍太郎通産大臣が行なったような、二国間関係を損ないかねないスタンドプレーはみせなかったはずだ。小沢なら、米国車の日本市場でのシェアを保証することを回避しつつも、米国との取り決めを目立たぬように妥結へと導く、地味な努力を重ねていただろう。  米国の重要な同盟者である小沢は、自民党の旧指導層のように米国のイニシアティブに対する盲目的な追随者ではなく、(問題があると感じた場合には)はっきりと物をいい、ときには批判さえする。もっとも小沢は、日米同盟の存在が、日本が他のアジア諸国に引き続き受け入れられるかどうかの鍵をにぎっていると見ているし、もっと最近では、しだいに愛国主義的となり、脅威となりつつある中国に備えるためにも、日本はカウンター・バランスとしての米国を必要としていると強調している。この意味で小沢は、前自民党議員の石原慎太郎が火付け役となり、保守派勢力の一部で支持されている「アジア・ファースト」(アジア重視)論には反対している。小沢は、日本はワシントンに対してアジアで力強い役割を担うように働きかける一方で、日本も、これまでよりも建設的で、なおかつ一定の距離をおいて批判もするという役割を担っていくべきだと考えている。いずれにせよ、今後日本は、米国のアジアからの撤退という将来のシナリオに備えて、安全保障面での自主路線を強化していくだろう。

 外交・防衛政策面で日本を「普通の」国家にしようとする小沢の試みに対して、自民党のハト派はこれを牽制しようとするだろう。自民党(前)総裁の河野洋平に代表されるハト派の指導者たちは、実務面での変化は受け入れるだろうが、憲法の再解釈、防衛予算の実質増、国連戦闘部隊への自衛隊のコミットメントなどに関しては一線を画す態度をとるだろう。こうしたハト派の立場は世論の支持を得ている。実際、日本の世論は、危険が迫っていても無視して行動を起こさないという戦後のエートスからの離脱となると、ひどく保守的になる傾向がある。

 こうした制約をわきまえている小沢は、日本の部隊が軍事行動が行なわれている近くに位置する可能性についてはこれを受け入れているが、国連監視のもとでだけ自衛隊を関与させるべきだと言葉を選んで強調し、憲法の改正についても慎重な態度をとっている。

 しかし一方で彼は、日本の自衛隊は国連の平和維持活動に参加してもよい、という条文を憲法九条につけ加えることもできると主張している。また小沢は、日本の安保理常任理事国入りに関しては、いささか茶目っ気に満ちた議論を行なっている。彼は日本はいまだ常任理事国としての責任を負えるような体制にないというのを好むが、これは、日本のリーダーシップが、安保理常任理事国に求められる困難な決定を下せるほど成熟していないという彼の主張の言い換えなのである。

 より積極的な日本外交を求める小沢のビジョンも、結局は、国連の枠組みに閉じこめられてしまうだろう。冷戦以後の国連の実績はわれわれを失望させるものだが、目下のところ、日本の広範な安全保障をめぐる小沢のビジョンを収める最適の場所は国連だろう。小沢は『日本改造計画』のなかで、貿易国家としての日本は、都市国家として広大な海外の通商拠点を積極的に防衛していたころのヴェネツィアを範とすべきで、結局は崩壊した古代カルタゴを範とすべきではないと指摘している。日本は、こうした見解の意味するところに現に直面させられつつあるが、小沢一郎のリーダーシップを受け入れるにはまだまだほど遠い状態にある。●

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