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なぜ非核化合意は行き詰まっているのか
――ニューヨーク・フィル・ハーモニックが平壌でコンサートを開き、その様子が世界にTV放送されたのは2008年3月。これは世界と秘密のベールで覆われた北朝鮮社会との関係が劇的に変化したことを示すシンボルとみなされていた。だが、2008年秋から(国際社会と)北朝鮮との関係は悪化し始め、いまや北朝鮮は「6者協議に戻るつもりはない」と言っている。平壌で一体何が起きているのか。
スコット・A・スナイダー ニューヨーク・フィルの公演はシンボリックで重要なイベントだった。当時は、北朝鮮の核施設の無力化についての合意がかわされ、いずれ平壌は他の核施設についても同様の措置を受け入れるとする声明を出すだろうと考えられていた。しかし、核の無力化に関する合意を履行していくにつれて、(米朝)双方の不信が露わになり、最終的に交渉路線は破綻し、非難の応酬合戦が起きてしまった。
――北朝鮮がアメリカにこれまでの核開発活動に関する膨大な資料(核申告)を提出したあたりから、雲行きがおかしくなり、相互不信が高まった。アメリカが核施設でのサンプル採取を望み、北朝鮮がこれを拒んだことが、関係悪化のきっかけだったのか。
そうだ。本来は、北朝鮮が核申告を提出する期限は2007年12月とされていた。提出期限は守られなかったが、それでも、(2008年3月に)ニューヨーク・フィルのコンサートが平壌で開かれた。
最終的に、北朝鮮が核申告を提出したのは2008年夏。文書は、北朝鮮の核開発計画の中枢だったヨンビョンの原子炉と核施設だけに焦点をあて、北朝鮮が他のタイプの核開発を試みてきたサイトについての申告が欠落していた。2007年2月から10月にかけてまとめられた合意文書では北朝鮮は「正確で完全な核申告」を提出するという表現が用いられていたにも関わらず、北朝鮮はヨンビョンの核施設に限定した核申告をしただけだった。
2008年10月に北朝鮮側はクリストファー・ヒル米特別代表に対して検証措置の受け入れを口頭で合意し、その後、米朝二国間協議でもこの点は合意されたが、2008年12月の6者協議では、北朝鮮はそうした口頭合意を文書に盛り込むことを拒絶した。
――同時に、アメリカは北朝鮮をテロ支援国家リストから外すことになっていた。
実際、ブッシュ政権は2008年10月に北朝鮮を(国務省の)テロ支援国家リストから外している。北朝鮮に対してもっと厳格な検証を受け入れさせることを望んでいた日本は、これに大きな苛立ちをみせた。
権力継承問題とミサイル発射
――2008年夏には金正日の健康状態が思わしくないとする報道が相次いだ。現在、金正日の健康状態が良いのか、悪いのかだけでなく、彼が依然として権力を握っているのかどうかさえもはっきりしない。あなたはどうみているか。
金正日の健康状態が北朝鮮の権力継承プロセスを左右する変数となる可能性はある。2008年8月に彼は脳卒中を起こしたと報道されている。同年8月から11月まで彼は公の場には姿を見せなかった。
11月に入って北朝鮮の通信社が金正日の写真を公開した。これが(修正が施されていない)「普通の写真であるかどうか」は確認されなかったが、その後、2009年1月に王家端中国共産党対外連絡部長が平壌で金星日と会談している。
つまり、金正日は長期的に脳梗塞による機能麻痺の状態にあったものの、2009年1月以降はメディアに積極的に登場するようになった。彼は最近の最高人民会議にも姿を現している。写真をみると随分やつれた様子がうかがえる。体重が減り、歩き方もぎこちない。だが彼は存在感を示しており、自分が権力を持っていることを示すあらゆるシグナルをおくっている。
――権力継承問題はどうなっているのか。
2009年4月のミサイル打ち上げも、北朝鮮の権力継承に関係があるとみなすのが適切だろう。1998年、金正日が表舞台に姿を現し、最高人民会議で彼が最高権力者となることが公式に確認され、新憲法が採択される直前にも北朝鮮はミサイルを試射している。
今回の打ち上げも、金正日がいまも権力を握り、国家的な成果を挙げていることをアピールすることで国内基盤を固め、おそらくは、すでに水面下では開始されていた権力継承プロセスが新段階に入ったことを示していると解釈できる。もちろん、その詳細はまだ明らかになっていない。
――金正日の息子の一人が後継を担うことになるのか。
彼には3人の息子がいる。最近、韓国のメディアは3番目の息子である金正雲が国防委員会のメンバー(指導員)になったと報じている。三男を金正日の後継者とみなす報道が最近は多い。
長男の正男については、2001年に東京のディズニーランドに行こうとして日本の入官当局に足止めされて以降、彼は基本的に外国で生活してきた。そのような彼のことを父が評価しているはずはなく、現在、この長男はマカオで暮らしている。次男(正哲)は28〜29歳で、三男正雲は彼よりも2〜3歳若い。次男と三男はそれぞれスイスとオーストリアの寄宿舎制の学校で学んでいるが、次男はホルモン分泌障害を患っていると報道されており、後継候補とはみなされていない。
――平壌は他の諸国の政府同様にオバマ政権を好意的にみなしているのか。
アメリカでブッシュ政権からオバマ政権への政権移行にあった当時は、北朝鮮でも権力移行問題が重視されていた。「ブッシュ政権が悪の枢軸とみなした諸国にも外交的にエンゲージしていく」とオバマ政権がはっきりと示唆していたにも関わらず、北朝鮮は(ミサイル試射など)その足下をすくうような行動をとり、この関与路線に対する障害を作り出した。
――イランさえもオバマ政権との対話路線に関心を示している。アメリカとの直接交渉と和平条約に関心を示していた北朝鮮はなぜこの路線に背を向けたのだろうか。
私は、北朝鮮が対話路線に背を向けたとは必ずしも考えていない。むしろ、平壌は彼らの関心がどこにあるかを示す奇妙な方法をとっているとみなすべきだろう。
アメリカでの政権移行、北朝鮮での権力移行プロセスの展開という文脈のなかで、平壌は様々な目的を設定している。
第一は戦略目的。北朝鮮は、自分たちの立場と核保有国としての地位を確固たるものにしたいと考えている。北朝鮮は自国が核を保有しているという内外の認識を強化するための措置をとっており、基本的に北朝鮮には核を放棄するつもりはない。この点については、すでに平壌は外相声明のなかでも明確に示唆している。例えば、オバマ政権が発足する直前に、北朝鮮外相は、北朝鮮の非核化と対米関係の正常化をリンクさせる路線に反対であることを示唆する声明を出している。
むしろ、北朝鮮は非核化と関係の正常化は切り離すべきだという立場をとっている。もちろん、これまでの6者協議では、この点がリンクされてきたが、すでに北朝鮮は核保有国としての地位を維持していくことを戦略目的に据えている。一方で、彼らはアメリカとの二国間交渉にもまだ関心を示している。平壌は対米関係の正常化に関心を示しているが、彼らが好ましいと考える先例はインド・モデルだ。すでに2007年の段階で平壌は、(事実上、核保有国として認知された)「インドのようになりたい」と表明している。
――もう6者協議の場には戻らないと平壌が声明を発表して以降、ヒラリー・クリントン国務長官は「アメリカがこの手の(北朝鮮の)恫喝策に屈することはあり得ない」と述べている。これは、中国にとっては厄介な発言ではないのか。
中国はすでに米朝間の対立にゆえに2006年に困惑を禁じ得ない状況に置かれたことがあるし、特に北朝鮮が(2006年10月に)核実験を強行して以降は平壌に対する手だての多くを失ってしまった。こうした事態に再び陥るのを何とか避けたいと北京は考えている。
中国はすべての関係国が突出した行動をとらないようにすることに焦点を合わせているが、北朝鮮は、中国からの経済支援が打ち切られることはあり得ないという前提で、大胆な行動をみせている。
――オバマ政権は、スティーブン・ボスワースを非常勤の北朝鮮問題担当特別代表に任命したが、それ以降、とくに具体的な動きがあったわけではない。
オバマ政権の北朝鮮路線が明確になっていくにつれて、そこには3つのテーマがあることが明らかになってきているが、矛盾もいくつかあり、これらを是正しなければならない。
第1に、オバマ政権は6者協議路線を継続していくことにコミットしているが、一方で北朝鮮はこのコミットメントを(ミサイル発射などをつうじて)破綻させつつある。
第2に、ボスワースが非常勤の特別代表であるために、東アジア諸国は、アメリカはもう北朝鮮問題にこれまでのように力を入れるつもりはないと考えだしているようだ。
第3は、対イラン路線と対北朝鮮路線の違いだ。オバマ大統領はイランの正月にあたる3月にテヘランに和解のメッセージを送っており、平壌は自分たちにはオバマはどのようなメッセージを出すつもりかと様子見をしている。
核不拡散と外交のどちらを優先するのか。この二つの関連はどうなるのか(これも曖昧だ)。少なくとも、北朝鮮については核不拡散と外交のどちらを優先させるのか、ワシントンは明確な判断を下していない。
こうした路線上の矛盾が生じているのは、オバマ政権に他に優先課題があるからに他ならない、平壌は北朝鮮問題をオバマ政権が最優先課題に据えるように仕向けようと試みている。彼らはオバマ政権を試そうとしている。だがクリントン国務長官の発言からみて、オバマ政権は北朝鮮がワシントンを試そうとしていることを理解しているし、北朝鮮側が交渉の条件を設定するのを拒絶している。●
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