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フォーリン・アフェアーズ日本語版 公開論文
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ダライ・ラマのジレンマ(2)
The Dalai Lama's Dilemma

メルヴィン・C・ゴールドシュタイン ケースウェスタン・リザーブ大学人類学教授
フォーリン・アフェアーズ日本語版1998年3月号


対中妥協か、それともテロ路線か


 とはいえ、チベット問題の恒久的解決を図ることは明らかに中国の国益にかなうし、しかも江沢民の権力基盤が強化されたことは、チベット問題の方向性を変化させるだけの権威と能力を備えた強力な指導者がいまや北京にいることを意味する。この問題をめぐる中国人専門家、そして穏健派の多くは、チベットにおいて中国が望んでいるような長期的安定を現在の政策が導けるかどうか疑問に感じている。というのも、現在の政策は、若い世代をも含む多くのチベット人たちの疎外感や孤立感を増幅させて民族的憎悪や政治的絶望をさらに深めているだけでなく、自分たちの民族的願いはチベットが中国の一部である限り達成されないという考えを植えつけてしまっているからだ。現在、中国では強硬派が主流であり、新政策により穏健な要素を織り込むことを求める何らかの力学が生じない限り、現状は変わらないままだろう。その何かを起こすのはダライ・ラマでなければならない。江沢民の訪米中になされた、米国での親チベットデモを中止するという決定は、その何かを起こすために必要とされていた兆しの表れだったのかもしれない。

 つまり、ダライ・ラマとその側近幹部たちは、かつてダライ・ラマ側の代表団が八二年に初めて北京を訪れる際に遭遇したのとほぼ同じ問題に現在直面していることになる。つまり、どの程度まで不完全な独立を彼らが進んで受け入れられるか、である。八二年の状況と比べて新しい点は、中国の強硬策がつくり出した状況ゆえに、対立を迅速に解決するか、それとも、中国がチベットの民族、経済面での性格を変化させるのを阻止するような効果的な対抗措置をとるかの選択をめぐって、ダライ・ラマに途方もないプレッシャーがかかっていることだろう。

 ダライ・ラマがとりうる選択肢はいくつかある。現在の対外キャンペーンを続けて、国際舞台で中国を守勢に立たせる一方で、中国が譲歩するように圧力をかけるよう欧米諸国を説得し、なおかつ、歴史の潮流が彼が望むような勝利へと導いてくれること、つまり共産中国が、一九一二年の清朝、そしてより最近ではソビエトのように解体するのを期待するのだ。そのような政策は、欧米諸国からチベット亡命コミュニティーへの同情と支援を引き出し、チベット人とその支持者を満足させることだろう。しかし現実には、チベットの状況は、ダライ・ラマやその支持者たちが最悪とみなす方向へと変化しつつあり、現状がしばらく続くとすれば、もはやこの変化を覆すのは難しくなるだろう。その結果ダライ・ラマは、次の二つの選択肢のうちの一つを採用せざるを得ないような大きな圧力にさらされることになるであろう。

 第一が抜本的な妥協である。つまり、政治的自治を下回る条件を進んで受け入れ、しかも国際社会に向けて中国を非難するのをやめるというドラマティックなメッセージをはっきりとした形で北京に送ることである。しかし、そうした行動は、亡命者コミュニティーの不安定な統一を一気につき崩して分裂を招き、欧米の支持者や資金提供者を落胆させる可能性が高いだけに、この選択をするのはかなり難しいだろう。こうした動きが最終的に失敗に終われば、ダライ・ラマは(外からの支援を失い)、政治的、財政的な混沌の中に取り残された自分を見いだすことになるはずだ。彼は中国に対して深い不信を抱いており、しかも(万一の場合の)外からの保障が何もない以上、この選択肢をダライ・ラマがとるのは困難だろう。


 もう一つの選択肢は、中国に対する新たな戦術を行使する手段として、チベットでの暴力的抵抗を煽動し(あるいは率先して組織化さえして)、現状のエスカレーションを図ることだ。八〇年代を通して双方とも、相手の働きかけに対抗するために戦術を調整してきたし、中国がチベットにおいていつもどおりにことを進めるのを阻止するという意味では、テロ戦術もそのような既存のパターンから逸脱するものではない。この戦略はなにもチベットから中国を追い出すことを狙うものではなく、むしろ、北京政府に圧力をかけてより穏健な路線をとらせることを目的としている。この戦略が成功すれば中国の政策面での不安定化を誘うだろうが、一方テロ戦略が部分的な成功に終わった場合でも、観光客が減少し、海外からの投資の増大が阻害されるだけでなく、非チベット人すべての安全が脅かされるため、問題の重大性に関する世界の認識を高めることになる。本質的にテロ戦術は、チベット人の民族的感受性の高さを示すことによって強硬策が無駄であることを中国側に認識させようとする試みである。中国がチベットで再び戒厳令を出すとしても、チベットの闘士たちは近隣の省にその標的を移すことで簡単に状況に対応するであろう。

 非暴力主義に徹しているダライ・ラマが、このテロ路線を承認するのは非常に難しいだろうが、一方で、彼が個人的にこの路線に反対したとしても、暴力戦略を放棄させるのは困難かもしれない。チベット社会の性格が明らかに変化しつつあるこのときに、ダライ・ラマが中国の政策を穏健路線へと向かわせるのに失敗すれば、戦闘的なチベット人勢力がダライ・ラマ流の市民的不服従というアプローチの失敗を宣言し、より暴力的なやり方に訴える可能性もある。心しておくべきは、北京政府が故郷を変えていくのを、チベット人が何もせずに手をこまぬいて傍観していることはほぼあり得ないということだ。民族主義感情に絶望や怒りが織り込まれれば、大きなうねりをつくりだすだろう。しかも、チベットの内外には、効率的な暴力作戦をむしろ好ましいとみなすチベット人がいる。事実、九六年にはラサで三件の爆破事件があり、最近の爆発は役所のビルと隣接するホテルを破壊し、〇・五マイル先の建物にも衝撃が及ぶほど大きなものだった。

米国はいかに対応すべきか


 ダライ・ラマによる対外キャンペーンが米議会の支持だけでなく、世論の強い同情を獲得しはじめた八〇年代になっても、チベット問題は米国の外交政策における曖昧なテーマにすぎなかった。九三年のビル・クリントンの大統領就任によって、ダライ・ラマ支持の潮流がホワイトハウスへも波及したと当初は考えられていた。事実、クリントン大統領は、外交案件をめぐる人権重視策の一環として、チベットでの中国の行動を公然と批判した。大統領は九三年五月二十八日に、北京が一連の人権問題を改善しないのなら、国務長官は中国に最恵国待遇付与を支持しないだろうと発言し、問題の一つとして「チベット固有の宗教的、文化的遺産の保護」を挙げた。このとき米国は、中国の対チベット政策の変更を強要するために初めてその力を進んで行使したかに見えた。対チベット政策を一つの理由に米国が中国への最恵国待遇を認めない。これは、チベット人亡命者たちがかねてから望んでいた手段をついに手にしたことを意味したはずだった。だが現実にそうはならなかった。米国の対中政策は九四年に大きく変化した。クリントン大統領は、チベットはもちろん、中国での政治的変革を促すために、経済制裁措置を用いることはしないと宣言したのだ。チベット人亡命者たちのそれまでの努力は水泡に帰した。これは彼らにとって苦々しい教訓だった。

 こうして米国の対中政策は、昂然たる対決姿勢を巧みに回避しつつ、人権や民主主義よりも政治・経済利害に重きをおく路線へと修正された。九四年のチベットに関する国務省の報告書は、中国のチベットにおける主権を米国は受け入れている、と明白な言葉で再確認している。この報告書は、米国の政策は少なくとも一九六六年以来、チベット自治区を中国の一部として明確にみなしてきたし、この政策は中国の近隣諸国のすべてを含む国際コミュニティーの見解と一致する、としている。同報告書はさらに、米国がチベットを独立国家として承認していない以上、自称チベット亡命政府との外交関係は存在しないと明言していた。

 米国はチベットに戦略的利害をいっさいもっておらず、人権侵害を嘆き、北京がダライ・ラマと新たな対話を持つようにと非公式に示唆する以上のことはすべきではない。これが米国の外交エスタブリッシュメントたちの支配的見解である。この政策の問題点は、中国とチベットの関係が現状のままであることが暗黙のうちに前提とされていることにある。だが、紛争が凄惨な流血の事態へと深刻化していけば、次に示す理由から米国の国益は大きくそこなわれることになるだろう。中国はチベットでの暴力に高圧的に対応するだろうし、その場合、米国内ではチベット人支持を求める大きな圧力がつくり出されるはずだ。一方、中国は、米国側のいかなる行動をも自国の中核的戦略利益に対する脅威とみなすだろうし、そうなればすでに足元が危うくなっている米中関係をさらに悪化させ、米国のアジア政策全体を混乱させる危険もある。

 であれば、紛争が実際に暴力行為に至らないように未然に防ぐことは、米国のチベットにおける大きな戦略的利益となる。しかし米国の現在の政策は、紛争の平和的解決を結実させる方向で機能していないし、この政策に内外のチベット人が暴力に訴えるのをやめさせる力があるわけでもない。実際、米議会その他が力強くチベット人を支持している以上、米国がチベット問題に継続的に関与し続ければ、チベット側が妥協を拒否して、中国に対抗するのを結果的に助長するかもしれない。もちろん、チベット人勢力には、中国に対する効果的な武力抵抗作戦をとりまとめて、継続的に実施する力などないと言うこともできる。だが、そのような仮定が試されるまで事態が悪化するのを米国が放置するとすれば、先を見る目がなかったと言われても仕方ないだろう。しかし、米国がより慎重な戦略を通じてこの問題に関与すれば、紛争の迅速な解決を側面から支援できるはずだ。そのような政策は米国のアジア政策上の戦略的関心と一体性をもつだけでなく、文化の存続と宗教の自由を求める米国の人道的価値観の中核理念とも合致する。

妥協への道


 チベット民族が大多数を占め、チベットの言語、文化、宗教が栄えるチベットという故郷の存在を保障するような妥協案をつくり上げることが、この論争を解決するための鍵である。もし双方が数多くの重要な妥協に合意でき、過去の憎悪と不信にとらわれないように努力するなら、中国の現在の政治的枠組みのなかでそうした妥協をなすのは可能だろう(ここで、そうした妥協案を具体的に思い浮かべてみよう)。

 政治領域ではチベット自治区が現在の政治枠組みを維持し、一方で北京政府がチベットの共産党と政府の指導的ポストに改革派のチベット人を任命する。そうすれば、十年後にはチベット人官僚の比率が現在の六〇〜七〇パーセントから八五〜九〇パーセントへと大幅に増大しているだろう。

 文化領域では、チベット文化を支配的なレベルへと高めるようなさまざまな措置が必要だろう。なかでも重要な措置は、二カ国語教育の比重を中国語からチベット語へと移行させ、チベットの政府文書の公用言語としてチベット語を復活させることだろう。この改革の詳細案は、一九八七年にチベット人と中国人の改革主義者からなる委員会によってすでに起草され、問題も起こらず法制化された。僧院における僧侶の数の制限撤廃などの文化政策も双方がともに話しあい、次第に現実の政策のなかに組み込まれつつある。

 人口・経済という重要な領域については、北京政府はチベット人が自治区における経済発展の主要な受益者となるようにチベット内の非チベット人の数を大きく減らし、外からの経済の競争圧力を減らすような措置を導入する必要があるだろう。現在の経済発展プログラムは継続されるだろうが、必要であればよりゆるやかなペースへと減速させ、何よりもチベットの繁栄が最優先とされるようにすべきだ。チベットにおける非チベット系居住者の大半は不法滞在者なので、北京政府は彼らの再移住や再雇用に責任を負う立場にはない。したがって、困難は伴うとしても、北京政府は非チベット系居住者の削減策を優先事項として実施し、目的を実現できるはずだ。

 こうした手順を踏めば、文化的、言語的、そして人口的構成面において、きわめてチベット的なチベットが誕生するはずだ。チベットは近代化し続け、たとえ共産主義者であってもチベット人によって運営されるようになるだろう。そのようなチベットであれば、たとえ彼らが外からの援助がこれ以上あてにできないと感じた場合でも、圧倒的多数は状況を是認し、支持するだろう。もし中国が台湾がたどった道に続き、多党制のようなより民主的な制度へと進化していけば、チベットにおける政治的指導層の政治基盤も広がりをみせることになる。チベットが近代的社会へと変貌していくことは、豊かな言語、文化、宗教を温存することと何ら矛盾をきたさない。民族の故郷としてのチベットの存続を促進することは、中国、チベット双方にとっての利益である。

 ここに示した解決策に対する最大の障害の一つは、亡命チベット人が求める大チベットの再生である。大チベットの構築は北京にとっては受け入れがたい構想である。だが、チベット自治区の外のチベット人居住区に対して同様の改革を行い、大チベットの統合問題を、新プログラムが機能しだし、北京とチベット間に新たな信頼感と尊敬が確立されるまでの五年から十年間棚上げとすれば、状況に対応できるかもしれない。しかし、チベット人の反中国的姿勢や分離主義感情を考えれば、北京がチベット問題の「民族的」解決そのものを中国の立場に対する潜在的脅威と考えても無理はない。これらのことを考えあわせれば、北京政府の好意的な配慮を育んでいくには、妥協案のなかにチベットに対する北京政府の主権と管理権を強化するような要素を盛り込む必要があるのかもしれない。

 北京にそのような働きかけをなしうるのはダライ・ラマだけで、亡命政府というよりもダライ・ラマ本人こそ、妥協案を説得力に満ちたものにするキーパーソンなのだ。中国側からここに示したような譲歩を引き出すには、ダライ・ラマはまず中国、そしてチベットに戻り、チベットにおける中国の主権を公に認め、チベット人と非チベット人との間の協力と調和を実現するために積極的に行動する必要がある。とりわけ、中国に対する国際的非難をやめて、ラサのチベット人を説得して騒乱をやめさせなければならないし、真のチベット人によるチベットと中国の一部であることの間に本質的な矛盾がなく、両立可能であることを認めるべきだろう。また、中国の一部となることへのチベット人の態度を改めさせるために、彼がもつ絶大な権威とカリスマを用いる必要もあるだろう。妥協プロセスがいったん始まれば、亡命チベット人たちの大多数がたとえ戻ってこないとしても、これを十年という歳月をかけて着実に進展させていくことは可能である。ダライ・ラマがこのような解決策を受け入れれば、欧米世界でのチベット独立への支持は消えさり、よって、中国にとってもチベット問題が解決されることを意味する。そしてダライ・ラマにとっても、それは、彼が代弁する人々と文化の明確な故郷としてチベットが維持されることを意味するのだ。

 しかし、この種の妥協は外からの支援なしには成り立たないだろう。事実、自治区以外のチベット人居住区を妥協プロセスの適用外とするかどうかをはじめ、政治的妥協の利点について亡命者コミュニティー内でのコンセンサスは存在しない。つまり、ダライ・ラマは亡命政府の統一的な支持がない状態で、妥協案を受け入れるという決断を下さざるを得なくなる公算が大きいのだ。それは決してたやすい決断ではないし、常日ごろの行動から判断すれば、彼は妥協に抵抗するだろう。その結果、もし中国とダライ・ラマがそれぞれ思うままに行動すれば、先に示した大枠に沿った話しあいによる紛争解決の可能性は低くなる。残念なことに、双方の間に信頼関係はほとんどなく、一方で危険を冒さないための理由はありあまるほどある。

 であればこそ事態を進展させるには、音頭取りか進行役が必要である。直接的な非公式外交であれ、調停代理国の斡旋であれ、米国はどのように建設的役割を果たせるか、という設問への解答がここにある。ダライ・ラマの中国に対する不信が根深いことを思えば、もし中国に戻った後に中国側が約束を反故にするような挙に出れば、米国は彼を守るために強い行動をとると約束する必要があるだろう。他方で、米国政府は北京に対して、米議会や欧米諸国の強硬派が何を言おうとも、新しい取り決めを壊さぬように配慮すると約束すべきである。実際に妥協に向けて状況が動きはじめれば米国政府はある種のリスクを冒すことになる。中国は内政干渉についてひどく神経過敏だし、米議会の批判勢力がワシントンはダライ・ラマを共産党員に売り渡したと主張する危険は十分あるからだ。しかし、ダライ・ラマの同意のもとに慎重にことを進めてゆけば、これらの危険も最小限に抑え込めるだろう。ケ小平の死、江沢民の政治基盤の強化、そして米国でチベット問題担当特別調整官が新たに任命されたことは、妥協に向けてこれまでにない好条件が整っていることを意味する。

 どのような妥協がなされるとしても、その鍵を握るのはあくまでダライ・ラマだろう。すでに六十三歳のダライ・ラマは、残された年月にどのような行動をとれば、チベットの人々を守り、チベット流の生活をうまく温存できるかをまず考えなければならない。海外勢力が敵を打ち砕いてくれるのを期待しつつ、ダライ・ラマは今後も傍観者であり続けようと決断するかもしれない。だが彼は近いうちにチベットを守るために積極策をとらざるを得ないと感じるようになるだろう。その手段は大幅な妥協を受け入れるか、あるいは、――こちらのほうがより可能性が高いが――いやいやながらも、チベットでの中国の政策に対して組織的な暴力をもって対抗する新戦術を暗黙のうちに認めることである。ダライ・ラマとその指導者たちが暴力よりも妥協を間違いなく選ぶように仕向ける戦略を形成することが、米国およびチベット人の双方を利するのは明らかだろう。●


Melvyn C. Goldstein チベットの政治システムを人類学的アプローチから分析した博士論文を書いて以後、一貫してチベットの政治、文化、宗教を比較文化、人類学的アプローチで分析しているチベット研究者。現在はケースウェスタン・リザーブ大学の教授で、同大学のチベット研究センターの所長も兼務。最近の著書に、The Snow Lion and the Dragon: China, Tibet and the Dalai Lama(中国、チベット、そしてダライ・ラマ)があり、この論文は同著を基にしている。

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