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フォーリン・アフェアーズ日本語版 公開論文

※メディア、およびブロガーの方へ:公開論文の放送、記事、ブログ等での引用については、「フォーリン・アフェアーズ日本語版●●年●月号の『<論文タイトル>』)によれば」、とクレジットを必ず入れてください。長文の引用については、全体の2割程度なら許容範囲です。この場合も間違いなくクレジットの明記をお願いいたします。


メディアは政治を変えたのか(1)
Media Pervasiveness

ジェームス・ホーグ 「フォーリン・アフェアーズ」編集長
フォーリン・アフェアーズ日本語版1994年8月号
 
そこに説得力を備えた政策や戦略がない限り、メディアの作り出すイメージによって国家の対外行動の方向性が誘導されてしまう。このパターンは冷戦終結以降、幾度となく繰り返されてきた。必要なのは、明確に定義された戦略、そして指導者のリーダーシップである。メディアの隆盛による否定的なインパクトを抑え込み、その影響を建設的な方向へと導くことができるのは、明確で説得力を備えた大統領のリーダーシップだけである。
 
 
失われた「静かな時間」

政治家たちは、選択を吟味し、個人的接触をつうじて合意をとりまとめ、大衆の理解を形作るのに必要とされる「静かな時間」をもはや持てなくなってしまったと嘆いている

 五年前の天安門事件が衛星中継されて以来、国際危機をめぐるリアルタイムの報道は飛躍的に増加している。リアルタイム報道の先駆けをなしたのはCNNだが、その後、他の放送メディアもそのインパクトに注目し、急速にその体制作りを行った。活字メディアもそのスタイルを変え、ときに分析を犠牲にしてでも、感情的で焦点を絞り込んだ報道を心掛けようとしている。膨大かつセンセーショナルで、勢いをもつ近代的メディアの力が、外交にどのような影響を与えるかはいまだ判然としない。

 確かに、たとえ冷戦が続いていたとしても状況は同じだったかもしれない。だが、超大国間の明確なライバル関係が消失し、現状が混沌としているだけに、メディアの力が現実にもつインパクトはきわめて大きなものになっている。世界規模の即時的な報道を可能としている情報技術の発展は真に革命的なものである。リポーターたちは、悲劇や混乱の現場から、明確な映像とコメントを政治的な妨害や軍部による検閲を受けることなく
、視聴者のもとに迅速に届けようと、ラップトップ・コンピューター、マリサット(衛星)電話、移動型衛星放送用アンテナを駆使した報道活動を行っている。

 CNNによるノンストップのニュース報道は、政策決定者に世界の出来事を常にモニターする機会だけでなく、タイムリーな外交情報も提供している。(CNNだけでなく、今後はBBCその他もこの二四時間ニュース報道部門に参入する予定である)。こうした利点にもかかわらず、政治家は、世界規模でのリアルタイムの報道を歓迎するというよりも、むしろ懸念している。彼らは「主導権を失ってしまう」ことにならないかと心配しているのである。政治家たちは、選択を吟味し、個人的接触をつうじて合意をとりまとめ、大衆の理解を形作るのに必要とされる、静かな時間をもはや持てなくなってしまったと嘆いている。

 かつてキューバにソビエトのミサイルが配備されていることが発見された際にケネディが、うまく対応できたのも、彼が「静かな時間」をもてたからだと彼らは指摘し、ノスタルジックな感情で過去をとらえている。キューバ危機当時は、衛星通信の特権を政府が独占していたため、ケネディが六日間に及ぶ交渉を他に悟られることなく行えたのは事実である。しかし、そもそも一九六二年当時は、テレビの影響力はそれほど大きくなかった。実際、ロバート・マクナマラ国防長官は、2週間のキューバ危機の間、テレビのスイッチをいれたことなど一度もなかったと語っている。しかしメディアの隆盛によって、いまや政治家は(何か問題が起きれば)それに即応することを求められると同時に、自らの行動や発言が妥当に評価されているかどうかを常に気にかけなければならない。敵・味方の双方とも、(テレビに映し出される)発言から何らかのシグナルを読みとろうとし、そこに力の真空が生まれた場合には、それを即座に埋めようと考えるからだ。

 昨年十月にロシア議会が制圧された際、米国政府はエリツィンを支持するという声明を発表した。だが、危機に対して即座に声明を発表するというスタイルは往々にして混乱を伴うものである。議会制圧という事態を前に、危機感を募らせた国務省上層部は、国務長官と大統領が四時までにテレビで何を発言すべきかを集中的に検討するために、通常の業務を停止したほどである。これまでであれば、より多くのことがわかるまでは、「発言を控えた方が便利である」、というのが外交上のならわしだったというのに。

教訓

政策決定者が政策課題の決定という役まわりをメディアに譲りたくないのであれば、まず自ら課題が何であるかを明確に見極める必要がある。

 しかし、それぞれに理由がある問題のすべてを、メディアの隆盛のせいだと考えるのは誤りである。そうした態度で新時代に対応しようとすれば、問題はさらに複雑かつ困難なものになってしまう。例えば、米国政府が明確な戦略をもてずにいること、そして米国の特質そのものが変化していることなどは(メディア隆盛とは関係のない、重要な変化である)。現在から顧みれば、冷戦の枠組みが、諸々の出来事の重要性をはかる目安、つまり、ソビエトとの関連でそれが米国の安全保障にどのような影響を与えるかという基準を提供していたのは明らかである。当然、マスコミの報道姿勢も、米国の外交政策上の優先順位に準じたものになりがちだったし、そこで重視されていたのは、コミュニズムとソビエトの拡張主義に対する封じ込めだった。マスコミはときに政府に批判的だったが、それはあくまで政策の運営をめぐるもので、彼らが目的そのもの批判することはなかった。

 こうした旧来の基準が崩壊したため、政策決定者、メディアの双方は、新たな国際秩序をめぐる危機と機会の双方を理解しようと試みている。だが、新秩序の模索が行なわれているといっても、アメリカの大衆は対外問題にかつてほどの関心を示さなくなっている。冷戦終結による幸福感も程なく失望を禁じ得ないような混乱によって取って代わられ、国民の関心といえば、国際問題よりもむしろ国内問題に向けられた。タイム・ミラー社の世論調査などからも明らかなように、大衆は、米国は冷戦期に国内問題の多くを犠牲にしてきたのだから、いまや国内の社会問題への対応を優先させるのは当然だと考えている。

 政策決定者がメディアの隆盛に対応していくには、まず、昨今の国際状況の混迷から妥当な教訓を引き出すことから始めなければならない。政策決定者が政策課題の決定という役まわりをメディアに譲りたくないのであれば、まず自ら課題が何であるかを明確に見極める必要がある。テレビの映し出すイメージに感情的に左右されず、大衆の支持を確実に取り付けることのできる戦略を構築することが不可欠である。そこに説得力を備えた政府の政策がない限り、メディアによって政策の方向性が誘導されることになる。これこそわれわれが最近において幾度となく経験してきたパターンである。昨年9月、イギリスのハード外相は外国人記者クラブでの演説で、メディアが引き起こす厄介な現象について次のように発言している。「彼ら(メディア)は、(問題に)何か手を打たなければと騒ぎ回るためのクラブを結成した発起人のようなものである」と。

 こうしたパターンは、ポスト冷戦世界において幾度となく繰り返されてきた。サラエボの市場に対するセルビア人勢力の攻撃で民間人が犠牲になって以来、それまでは無力ぶりをさらけ出していたNATOも、4月にはセルビア人勢力に条件付きの最後通告を行った。専門家たちは、サラエボの市場での犠牲者の数が、ボスニアにおける他の事件の犠牲者数よりも特に多かったわけでもないのに、なぜこの特定の事件を契機に、NATOがセルビア包囲網を敷くセルビア人勢力に強硬な姿勢を取るようになったか不可解に思っていたが、その答えは、その模様がテレビ報道されたという点でほぼ説明できる。CNNのスタッフがたまたま事件が起きた日曜日の朝にサラエボの近くに居合わせ、生々しい映像を提供したからである。



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